その女性は生徒と見間違いそうなほど幼顔だが、格好から教員だろうと判断した彼は、校内をうろついている事を咎められたと思い、足早にその場を立ち去ろうとした。
「待って。帰らなくてもいいのよ。ごめんなさい。突然、声をかけてしまって」
女性は浩志を呼び止めつつ、頭を下げた。
「ただね。寒くないかなぁと思っただけなの」
女性の言葉に、彼は思わず身ぶるいで答えてしまう。
「ふふ。もし良かったら、ちょっとあそこで暖まっていかない?」
中庭の一角を女性が指さす。その先にはカントリーログハウス風の建物があった。浩志はその建物に近づいたことがなかった。生徒たちの間では「開かずの館」と呼ばれていたその場所は、多分、花壇を手入れする物などが保管されているのだろうと漠然と思っていたし、興味もなかったので彼の中では完全に風景の一部となっていた場所だった。
「あそこ……ですか?」
「うん。そう。どうぞ」
赤いエプロンの女性は建物へ一人先に向かい、扉を開け、浩志を手招きする。教員に逆らうわけにもいかず、浩志は渋々女性の誘いに従った。
扉を潜ると、彼はポカンとした表情で足を止めた。農具庫だと思っていたその場所は、天窓から夕日が幾筋もの光となって差し込んでいて、とても明るくそして暖かかった。入口を入ってすぐの場所には、雑誌がいくつも置いてありソファもある。ゆっくり雑誌を見るにはもってこいの場所だった。
「ここって、図書館?」
思わず浩志の口から疑問の言葉が溢れる。それを女性はふんわりとした笑みで受け止めた。
「そうよ」
教員らしき女性に誘われた場所は、校舎とは別に独立した図書館だった。
そういえば今年度から専任司書が常駐し、図書館が常に開館されるようになったと年度始めの全校集会で聞いたような気がした。彼は自分には関係ないことだと適当に聞き流し、やがて記憶の端に追いやり忘れ去っていた情報を引っ張り出す。
「初めて来た」
浩志にとって図書館は、校内にある施設の中で一番縁遠い場所だった。事実、中学二年が間もなく終わろうとしているこの時まで、図書館の場所を知らなくても何も不自由していなかったのだ。
入り口の雑誌コーナーを通り過ぎると、天井の高い閲覧スペースが広がっていた。広々とした閲覧スペースは、勿体ないことに男子学生が一人使用しているだけだった。閲覧スペースの脇は中二階の造りになっており、一階部分にも二階部分にもいくつもの書架が収まっている。
「すっげ……」
浩志は小学生の時に数回学校の図書室へ足を運んだことがあったが、全くの規模の違いに口をあんぐりと開けて上を見上げるばかりだった。
「うふふ。ゆっくりしていってね。もし借りたい本や、分からないことがあれば、私に声をかけて」
司書はそう言うと、入り口横にある小部屋へと入っていった。
一人取り残された浩志は、これからどうしようかと考えを巡らす。せつなと会って話がしたいが、この暖かな場所から木枯らしが吹き荒ぶあの場所へ再び戻るには、勇気と気合が必要だった。
ふと、書架とは反対側に設置されている窓に目が留まる。もしかしてと思い窓に歩み寄ると、彼は閉められているカーテンをそっと開けてみた。彼の予想通り、窓からは中庭を見ることができた。彼は小さくガッツポーズをする。すぐにこの場所でせつなを待つことに決めた。
しばらくそのまま窓の外を見ていた彼だったが、いくら待ってもせつなは現れない。何もせず待機するだけの状況に飽きてしまった浩志は、少し書架の間を歩いてみることにした。しかし、読書など全くしない浩志にとっては、背表紙のたくさん詰まった書架はただの迷路の壁のように感じられる。
(図書館って、どうしてこんなに暇なんだろう)
そんなことを思いつつブラブラと書架の間を歩いていると、一冊の背表紙が目に留まった。それは、花の百科事典だった。浩志は、何気なくその本を棚から抜き出し、待機場所と決めた窓辺の席へ戻る。
外の様子を気にしつつパラパラとページを捲ると、探していた花の項目を見つけた。「スターチス」のページには花の写真とともに、花の説明や開花時期、花言葉などが載っていた。スターチスの花言葉は「変わらぬ心」「変わらない誓い」「途絶えぬ記憶」らしい。
(変わらないことを望んでいるようだな)
浩志は花言葉の並びをぼんやりと眺めつつ、この花言葉に不快感を感じてしまった。その後もしばらくパラパラとページを捲ってみたが、これといって目ぼしいページはなかった。
浩志が顔を上げると、いつの間にやら天窓からの夕日はなくなり、夕闇が天窓を黒く染めていた。閉館の時間が近いのか、一人勉強に没頭していた男子学生が帰る支度をして席を立つ。そして、カウンター周りで忙しそうに動いていた司書に二言三言声をかけて出ていった。
その様子をぼんやりと眺めていた彼に、やがて司書が閉館を告げる。彼は本を閉じると、元の場所へ本を戻すため席を立った。
最後にもう一度確認と思いつつ、いそいそと待機場所としていた窓から中庭を覗いてみたが、せつなの姿どころか、そこには暗闇が広がるばかりだった。がっかりとしつつ彼が出口へ向かうと、司書がふんわりとした笑顔で話しかけてきた。
「待ち人現れず、だったわね?」
「えっ、何で?」
「うふふ。なんとなくね」
「まぁ、約束してたわけじゃないんで……」
そう言いながら、浩志は頭を掻き、気まずそうに視線を逸らす。
「そうなのね。また、外で待ちぼうけするくらいなら、いつでも図書館を利用してね」
「はぁ。……そうします。それじゃ」
「暗くなったから、気をつけてね」
外まで出てきた司書に見送られながら、彼は図書館を後にした。
そしてもう一度だけ花壇へ視線をやると、両手をコートのポケットに突っ込み、寒そうに背を丸めて帰宅の途についたのだった。
翌日、浩志は一日中花壇を見ていたが、その場所でせつなの姿を捉えることはなかった。彼は授業が終了し校舎に人気がなくなるまで、いつものように窓際の席から花壇を見下ろしていたが、やがてガタリと席を立つと教室を後にした。そして、一年二組の教室へとやって来ると、教室の前扉からそっと室内を覗き見る。
教室内には小さな影が一つポツンと座っていた。それは、浩志が今日一日探し求めていた少女の姿だった。机の上には、初めて言葉を交わしたあの日のように色とりどりの折り紙が広がっている。 机の端にはその折り紙で造られたと思われる何かと、小さく輝くものが相変わらず置いてあった。
以前感じたように、その小さな輝きがまるで自分に向かって放たれているように感じられた浩志は、此度もその輝きに誘われるように教室の扉をガラリと開けて少女の席へと近づいていった。無心でおもちゃの指輪に手を伸ばし、不思議な面持ちで指輪を見つめる浩志の鼓膜を乾いた声が震わす。
「何?」
「えっ?」
彼はその声でふと我に返ると、目をパチパチとさせ少女の姿を視界に捉えた。
「それ、また持って行かないでよ」
せつなは、浩志のことなどどうでもいいという風に突き放すような言葉を発する。そして、少しの間休めていた手作業を再開した。
「ああ。ごめん。何故だか、コイツに呼ばれてるような気になっちまうんだよな……」
浩志はそう言いながら、手の中の小さな指輪をそっと机に置いた。そして、せつなの前の席の椅子を引くと、せつなのほうへ体を向けてストンと腰を下ろす。
「お前さ、コレ何のために作ってるんだ?」
「……」
浩志が手にしたのは、折り紙で作られた一輪の花だった。茎の部分は折り紙をストローのように細く棒状に丸められており、花弁の部分は立体的に織り込まれたパーツが五つ集まって花弁を成しているようだった。下手ではないが上手くもなく、子供の手遊びの域を出ていないように彼には見えた。
「なぁ。お前、コレどうするんだ?」
「……せつなは、お前って名前じゃないっ!」
せつなの冷たい視線にハッとした浩志は頭に手をやり、やってしまったという顔になる。
「あ〜悪い悪い。俺、口が悪くてさ……つい……。せつなだよな。……アレ? 何せつなだっけ?」
「……蒼井」
少女は浩志には視線を向けずにポツリと答える。
「蒼井せつなね! バッチリ覚えたっ! でも、もしまた俺がお前って言っても怒らないでくれ。悪気はないんだ。頼むよ」
浩志は手をパンと打ち合わせ、少女に向かって頭を下げる。そんな彼にせつなはチラリと視線を投げかけただけで、作業の手を止めることはなかった。彼もそんな素っ気無い態度にも幾分慣れてきたのか、少女の無反応さに心を折られる事もなく自由気ままに会話を続ける。
「なぁ、せつな。知ってるか? 花壇の花咲いたんだぜ」
彼の言葉に少女はそれまで休むことなく動かしていた手を止め、訝しむように眉根を寄せて浩志の顔を見た。反応があったことに幾分嬉しさを感じながら、浩志はニヤリと自信満々の笑みを覗かせる。そんな浩志に向かって、少女は相変わらず乾いた言葉を投げた。
「咲いてなんかない。せつな、毎日見てるもん」
「本当だって! 俺、昨日、この目でちゃんと見たんだ。せつなにも早く見てもらいたかったのに、昨日、花壇に来なかっただろ?」
「昨日は……新月だったから……」
「新月? 何だそれ? 早く帰って、塾にでも行く日だったのか?」
浩志の言葉に少女はフルフルと頭を振った。その仕草は、何故だか力なく見え、どことなく寂しさが漂っている。
「昨日は……昨日は無理だったけど、咲いてない事は知ってるもん!」
俯き少し声を震わせるせつなは、机の上に載せていた両手を強く握り込んでいて、まるで悔しさを耐えているようだった。浩志は少女が反応をしてくれたことに初めは喜びを感じたが、その態度に次第に緊迫感を覚えた。せつなの心を宥めようと優しく語り掛けようと努める。しかし気持ちに反し、少し弱腰な声が出た。
「ホントだって」
そんな彼に向かって、少女は白けたように問う。
「じゃあ、どんな花だった?」
「いや、花は見てない。でも、土が盛り上がってたんだ」
「土?」
彼の言葉の意味がわからなかったのか、少女は俯き気味だった視線を彼に合わせ首を傾げた。せつなの視線を捉えると浩志はしっかりと見つめ返し、力強く肯く。
「そう。土がこんもりと」
彼は手で小さな山を表現した。少女はその手をじっと見つめつつ眉を顰めると、ボソリと口を開く。
「それって、花が咲いたんじゃなくて、もうすぐ芽が出るところじゃ?」
「あ゛っ」
少女の指摘に浩志は口をあんぐりと開ける。ようやく彼は自分の間違いに気がついたようだった。
「そうだ。……花は咲いてない」
彼は一瞬肩を落としたが、それでもすぐに力強い視線をせつなに向けた。
「でも、芽は出てるんだ! つまり、あの花壇にもうすぐ花が咲くってことだろ。やったじゃないか!」
浩志は花壇の花になど全く興味はなかったが、小さな少女の背中を毎日のように探し求めるうちに、いつしか、少女の危惧を共有しているかのような気持ちになっていたのである。しかし、せつなは浩志の喜色を孕んだ声に難色を示すように眉を顰めるばかりだった。
「今、芽が出ても、きっと間に合わない」
小さな声が少女の口からポロリとこぼれ落ちる。それはとても小さく、昼間の喧騒の中なら誰にも聞かれない言葉だったかもしれない。しかし、今はそんな小さな声もハッキリと彼の耳に届いてしまう。
「間に合わないって、何にだよ?」
浩志は不思議そうにせつなを見やる。そんな彼の視線を避けるようにせつなは顔を逸らし押し黙った。少女から反応が返ってこなくなり手持ち無沙汰になった彼は、手近にあった折り紙を棒状に丸めた物を何気なく手に取り指先でクルクルと弄び始めた。教室は、まるで誰もいないかのような静寂に包まれる。
しばらくすると、せつなは浩志の手から折り紙の棒を取り上げた。手作業を再開させつつ、静かに口を開く。
「お姉ちゃんが、もうすぐ結婚するの」
「ふ〜ん。結婚? 随分と歳の離れた姉ちゃんがいるんだな」
暇つぶしに弄んでいたオモチャを取り上げられた彼は、机に頬杖を突く。せつなの小さな声が彼の耳元近くで聞こえた。
「だから、お花を送りたかったの」
「あそこの花か?」
「そう。でも、間に合いそうにないから作ることにしたの」
「花屋で買うんじゃダメなのか?」
浩志は至極当然のように少女に問いかけたが、その問いに少女はフルフルと頭を振るだけだった。彼にはまだ結婚を祝うような相手もいないし、ましてや、誰かに花を送ろうと思ったこともないので、何故花屋がダメなのかさっぱりわからなかった。だが、何かこだわりがあるのだろうと思い深く考えることはしなかった。
「花を送れないから花を作るってことは、まぁ良いとして。一体どれくらい作るんだ?」
「たくさん」
「たくさんって……具体的に何本とか決めてないのか?」
彼の質問に、少女は手作業を止めずにフルフルと頭を振る。
「姉ちゃんにあげるのって、今作ってるやつだろ? 結構面倒臭そうだけど、間に合うのか?」
少女は再び頭を振る。
浩志はため息を吐くと、手近にあった棒状の物をもう一度手に取った。じっくりと眺める。やがて、紙の束から緑色の折り紙を取り出すと器用にクルクルと丸め始めた。彼の行動に驚いたせつなは手を止め、彼の手元を注視する。
浩志の手の中には、あっという間に綺麗に細く丸められた茎が出来上がっていた。
「何してるの?」
せつなは思わず声を漏らす。浩志は出来上がった物を脇へ避けると、新しい緑色の折り紙を紙の束から取り出しながら、さも当然だと言いたげに簡単に答えた。
「何って、手伝ってんの。これで作り方合ってるだろ?」
「合ってる……けど、何で?」
「何でって、どのくらい作るのか知らないけど、一人じゃ大変そうだし。そっちは難しそうだから、こっちだけでもと思って」
手の中に新しくできた緑色の棒で浩志はせつなの手元を指す。せつなの手元には花弁となる小さな折り紙が細かく折られていた。
「手伝って……くれるの?」
「おう! まぁ、俺はこれくらいしか作れないけどな」
浩志は出来たばかりの棒を指先でクルリと回しながら、ニカっと笑みを溢した。
「……ありが……と」
俯きがちに礼を述べた少女の肩が少しだけ震えていた。しかし、目先のことにのめり込みやすい単純な思考の浩志は、少女の小さな変化に気づくことはなく、緑色の棒を量産する事に没頭していた。
せつなとの夕方の作業を始めて、今日で3日目。
今日もこれから、1年2組の教室へと向かうべく、浩志は、校舎内が静まるのを、自席で頬杖を突きつつ、特に何をするでもなく、ボーッとしながら待っている。
なぜ、すぐに向かわないのか。理由は、至極簡単なことだ。誰かに、女子と2人でいるところを見られてしまうかもしれないと警戒してのことだった。
もしも、校内で噂にでもなってしまったらと考えると、思春期真っ只中の浩志は、恥ずかしすぎて、自分が爆発してしまうのではないかと思うほどに、耐えられないことだった。
そうは言っても、自身の周りには、クラスメイトの優という女子がいるではないかと、浩志は自問自答する。
優は、クラスメイトであり、友人であると自身が認識しているので、2人で話していることは、別段おかしなことではないだろう。周囲の友人達も、浩志と優の仲を、変に囃し立てる者はいない。
だがしかし、彼には優の他に、特に親しくしている女子の友人はおらず、浩志の中で、優は、やはり特別な存在であることは確かであった。
もし仮に、2人の中を囃し立てる声を耳にしてしまったら、自分は一体どの様な反応をするのだろうか。
(たぶん、俺は、あいつと、これまでの様には接しなくなるだろうな……)
自身の出した答えに何故かモヤモヤとした気持ちになった浩志は、その正体を探るべく、さらに深く、自身と向き合う様に、自答を繰り返す。
(まぁ、囃し立てられる相手が、あいつじゃなくたって、例えば、せつなが相手だったとしても、騒がれるのが煩わしいから、俺はたぶん、せつなと距離を置くだろう。現に、こうして、誰かに見られない様に様子見をしているわけだし。相手がせつなだろうが、優だろうが、それはたぶん変わらない。だけど……)
そこまで考えた時、浩志の脳裏に、優の笑顔が浮かび、彼は、無意識に、心拍数を上げる。
その時、教室の扉を勢い良く開けて、彼の心拍数を早めた張本人が入ってきた。
優は、楽しげに浩志の席へと足を向けつつ、口を開く。
「成瀬〜。あんた、何でいつもいつも、用事もないのに、教室に遅くまでいるのよ?」
「なんでも良いだろ。お前こそ、部活どうしたんだよ?」
浩志は、突然の優の登場に、バクバクと高鳴る心音を聞かれまいと、無意識に大きな声を出して、プイッと窓の外へと視線を向ける。
そんな浩志の様子を「いつものこと」とでも言うように、サラリと流しながら、浩志の前の席までやって来ると、優は、スルリと椅子に腰を下ろす。
「明日、3年の追い出し試合なの。部内の。土曜日だから、丸一日使ってやるんだ。だから今日は、軽く身体動かして、明日の確認したら終わりだったのよ。まぁ、1年は、その後の打ち上げの準備があるから、まだ帰れないみたいだけどね。2年は、上がりだったの」
「ふ〜ん」
「ねぇ。成瀬。せっかくだしさ、これからアイスでも食べて帰らない?」
「えっ?」
優の楽しげな提案に、浩志は、思わず、優の方へと視線を向けた。困惑が顔に現れてしまった様だ。優は、彼の態度に、どことなくがっかりした表情を見せたが、すぐさま取り繕う様に言葉を発した。
「あ〜ごめん。暇してるのかなぁと思って誘ってみたんだけど、本当は、何か用事があって、残ってたりする?」
「ん〜、まぁ、用事っていうか……」
せつなとの夕方の作業は、お互いに約束をしているわけではなかった。浩志が勝手に押しかけて手伝っているだけなので、このまま優と帰っても問題はないだろう。
だか、勝手に乗り掛かった船とはいえ、なんだか、せつなのことを放り出す様で浩志の心は落ち着かない。
どうしたものかと、彼は沈黙をもって、逡巡する。そんな彼に、優は控えめに、声をかける。
「無理にとは言わないけど、もし、用事がすぐに終わるなら、私待つから、一緒にアイス食べに行かない? 駅前に新しいお店ができたの」
「う〜ん。そうだなぁ……」
優の誘いに、浩志は、中途半端に答えながら、席を立つと、窓辺から、中庭を見下ろした。
ここのところ、一気に春めいた気候になってきて、そろそろ夕刻を迎えるというのに、中庭には、まだ暖かな日差しが差し込んでいる。
1ヶ月ほど前は、茶色く剥き出しのままだった花壇に、所々、緑が見えるようになっていた。
花壇にせつなの姿はない。既に1年2組の教室で、1人作業をしているのかもしれない。
そう考えた浩志は、窓辺を離れると、机の傍にかけてあったリュックを手に取り、優へと声を掛ける。
「行こうぜ! アイス!」
「いいの?」
優は、弾かれたように椅子から立ち上がる。先ほどまでの萎れた顔とは打って変わって、溢れんばかりの笑顔を煌めかせている。
浩志は、チラリと優の顔を見てから、足早に、教室の扉へと向かう。そんな浩志の後を、優は跳ねるようにしてついて来た。