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 海の魔女は、少年を人間にする代わりにろくでもない報酬を求めてきた。藍色の珊瑚を献上しろと言ったのである。藍色の珊瑚は魔女にしか作れないものだ。要するにあの女は過去に自分が作ったものを探し出せと言ったのである。難しい要求だったが、少年はどうしても人間になりたかった。
 人魚の「家族」は子どもに関わらない。生まれたらすぐに放置する。それを寂しいと思うのはたった一人だけだったけれど、人魚として生きづらかった。だから、人間に憧れた。
 結局藍色の珊瑚は期限までに見つけられなくて、代わりの大粒の真珠だけを魔女に差し出した。すると魔女は不服にも満足にも見える顔をして、少年に魔法をかけた。
『鱗を剥がせば人間に変わる魔法さ。だけどお前は海に戻りたくて仕方なくなるだろうよ』
 魔女の望みを叶えられなかったために、人間になれる魔法をかけてはもらえたけれども、鱗がなくなったときに泡になる呪いもかけられた。その時は海に戻る気なんてなかったから、それでも良かった。だけどいざ陸に仮初の家族を与えられ、人間として過ごし始めると、自身を囲う水がどこにもないのが辛かった。
 何度も海に飛び込んで、自由に泳ぎ回った。尾のついた足を抱きしめて、泳ぎ疲れて沈む前に鱗を数枚剥がして人間に戻った。そんな時に出会ったのが梨花だった。幼い彼女が溺れかけたのを助けただけだったが、彼女の温かみに満たされたような気がして、しばらくの間は海に戻るのを止められた。
 成長してからまた出会えたのは、本当に偶然だった。人間としての生活の苦しさに耐えられなくなって、いっそのこと鱗を全て剥がしてしまおうとしていた時だった。残っていた鱗が手のひらの数ほどになろうとしたとき、彼女が現れたのである。助けたい。そんな想いが浮き上がって、少年は自らを殺すのをやめた。
 最後に人魚になるのは必要に迫られたときだと決めて、彼女との日々に甘えた。人魚のときに叶えられなかった家族の夢を見ることができたし、それよりもっと甘い、恋人のような関係に満たされた。触れなかったのは温かな関係を壊してしまいそうだったからで、本当は、彼女の望みを聞いてあげたくなるくらい、好きだった。だから彼女のために死のうと思った。そうして、彼女の記憶にいつまでも残りたかった。
 自分勝手な死に方で傷つけて申し訳ないとは思う。だけど看取られたいという願いも、最後に恋人らしいキスをしてみたいという欲求も、彼女に向けたくなってしまったのだ。美談にするには酷い話だが、それでも幸せはあったのだと言いたい。

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 梨花が死のうとして、彼が消えた日。翌日に近所の人に梨花は見つかって、無事に家に送り届けられた。自殺未遂をしたことは狭い田舎ではあっという間に噂になってしまって、華に知られて泣かれた。「追い詰めてごめん。こんなつもりじゃなかった」とのことだった。
 華は彼氏を振ったらしい。あの一連の出来事から何をどう得たのか、自分勝手な振る舞いは随分と減り、こちらの意見に耳を傾けることが増えた。死のうとした梨花への気遣いというよりは、自身を省みたからこその行いであると窺えたので、嫌な気持ちにはならなかった。
 あの日から、ほとんど毎日のように海に通うようになった。彼の鱗を持って、波の音に耳を澄ませると、彼の声が聞こえるような気がするのだ。
 多分、自分と彼はどうしようもなく似ていた。日々が退屈で孤独だったことも、死というものを近しく思っていたことも、全部。彼の身体は何度も「変身」できるものではなかったようだが、海が恋しかったのだろうと、何となく想像できてしまった。何度も海に戻って、生きる為に人間に戻ってと繰り返していく度に、彼は鱗を減らしていったのだろう。いつか自分の鱗を全部剥がしていた、というのはきっとそういう意味。梨花が彼の最後に温もりを与えられたのだとすれば、彼の言う幸せは嘘ではないのだと思う。
 彼の勝手な死に方は、思い出すと腹が立つし、後悔で目の前が見えなくなる。だけど、泡になる時を梨花の前で迎えたいと思ってくれたことは、嬉しくないといえば嘘になる。それだけ梨花に心を開いていてくれたということだからだ。
 年を取って死んだら、遺灰は海に流してもらうつもりだ。鱗と一緒に流れていけば、いずれ泡として散った彼に辿りつけるだろう。そうしたら永遠を共に過ごせる。生きている間に共に過ごすのがもう叶わないのだから、それくらい夢を見てもいいだろう。
 海に足を浸からせ、鱗に唇を押し付ける。泡みたいなキスを思い出して、泣きたくなった。