ベルベッチカ・リリヰの舌の味 おおかみ村と不思議な転校生の真実

「ねえ、僕はどうなったの?」
「しばらく身体を借りていてね。戦っていたんだ。けれど……オリジンに、負けた」

 ベルは寂しげに言った。ゆうは下を向いた。

「そっか……僕たち、死ぬの?」

 ベルベッチカは歩み寄り、ゆうの顔を覗いて首を横に振った。 

「ここにずっといることも出来るし、戦いを挑むことも出来る」

 ゆうもベルを見た。

「でもベル、君で勝てない相手に、僕なんかじゃ勝てないよ」
「ふふふ。大丈夫。勝算はまだあるよ」

 そういうと、ベルはゆうのおでこに触った。

「奴に接触してね。記憶を覗けたんだ。オリジンの真の姿と、奥に何か秘めていることがわかった」
「オリジンの真の姿?」

 ゆうはベルを見た……やさしく、微笑んだままだ。

「今から、それを君にたくす。そして、決めるんだ。このままここに留まるか。この村を縛り続けた呪いと愛を滅するか」

 そう言うとベルの手が暖かくなった。と同時に、知らない景色が洪水のように流れ込んできた。
 ぷつり、とゆうの意識は切れた。
 その姉妹は、狼に産み落とされた。
 母様の乳を飲み、父様が捕ってきたシカやイノシシの肉を食べた。東北の冬はとても寒かったけれど、母様の毛皮はとても暖かくて、父様はとても凛々しかった。ヒトの姿をしていたけれど、母様も父様も、他のきょうだいと変わらず愛してくれた。渓流に面した大きな洞窟を巣穴にしていた狼の家族。寒いけれど、暖かい日々。姉妹は愛に包まれて育った。
 姉妹が四歳になったころ。他のきょうだいと一緒に狩りに出ていた。シカを追っていた。大物でとても美味しそうで、だから気がついたら深追いしていた。いつの間にか母様が絶対に近寄ってはならないと言っていた、ヒトの里に近づき過ぎていた。
 妹が崖から落ちて気を失った。きょうだいは母様を呼ぶため遠吠えをした。
 しっ! と姉は制したが、遅かった。
 だーん、と聞いた事のない雷のような音がして、きょうだいは血を吹いて倒れた。
「でーじょぶかい」

 ヒトの男はまだ煙を吹いている筒を持って、姉に近づいた。そして、姉がヒトにとってはとても美しい見た目をしている事に気がつくと、崖下に落ちた妹と一緒に男の家に連れていった。
 綺麗なおべべを着せられた姉妹だったが、ヒトの言葉は話せない。男は自分の娘にしようと始めは考えていたが、その年は気候が特に厳しかった。夏は秋の様に肌寒く、薄い雲が太陽を隠した。夏のほんの少しの畑の実りは、秋早くからの雪に押しつぶされた。里の民は飢えて死ぬ者が増えていた。
 こんな年は、地獄の餓鬼のような人買いが増える。男も日銭欲しさに姉妹を売ることにした。人買いは姉妹を見るなり、目の色を変えた。江戸は吉原の遊郭にすら通用すると考え、畑一年分以上の金を支払った。
 そうして、言葉も話せぬ姉妹は、江戸に連れていかれた。
 江戸に着き、吉原に入った初日。
 楼主の妻である花車は、二人を見るなり目を見開いた。子猫のような幼さ、ヒトあらざるほどの美貌、そして魔性の性的魅力。口が利けるようになれば遊郭の稼ぎ頭になれると考え、言葉のいろはから遊女としての基本的なマナーまで、全てを叩き込んだ。
 姉妹は、教えられた全てを吸収し、一年で最高の遊女となった。

 ……

 吉原の遊郭に、人外の美貌をもつ双子がいる、と江戸の世に聞こえるまで、そこまで時間はかからなかった。一夜を共にする為の金額もうなぎ登りで、半年もしないうちに大名がこぞって逢いに行くほどになった。連日連夜男の相手をし続けなければならない地獄であったが、姉妹は二人で決めていた。

「……いつか、いつかあの山に帰ろうね」
「ええ、姉様。いつか、いつかきっと……」

 痛む下腹部を押さえながら、父様と母様を想い二人は誓い合うのであった。
 姉妹が吉原のトップに上り詰めてからしばらく経ったある日。ある人物が会いたいと遊郭を訪れた。諸大名すら会いたがるトップクラスの花魁。競争率も半端ではなかったが、なんとその人物は大名の二倍の金を一括で包んできた。
 双子の前にやってきたその人物は、男にも女にも見えた。狼のころから鼻の利いた二人でも、どうしてか判別がつかなかった。

「お会いしたかったよ、お二人さん」

 底知れぬ恐ろしさを含んだ声で、そのモノは声を放った。その日は「朔」の日。新月の日だった。

 どういうふうにしたのか、記憶が無い。妹は、ただ、姉にすがって震えていた。姉は自分の右手を見る。手は指が大きく開き、二倍位に伸びていて、五寸ほどの爪が付いている。その爪の先からは、血が滴っている。
 そして。目の前には首のないそのモノが転がっていた。なぜか、とても美味しそうに見えた。姉妹はそのモノの肉を、残らずたいらげた。

 ……
 五十年の月日が流れた。
 時代が江戸から明治に変わった。新政府は、近代化と称したヒト以外のモノたちへの弾圧が始まった。五十年もの間全く変わらぬ美貌を持った姉妹は、あっという間に人外の存在として、マークされた。新政府軍の幹部が遊郭に乗り込む。その日はちょうど、満月の夜だった。銃を突きつけられた妹を見た姉は、自分の中に強大な力が溢れるのを感じた。本能のおもむくまま着物を破りおおかみになった姉は、地を揺るがすような遠吠えをした後、軍人たちを喰らい尽くした。
 ヒトに戻った姉妹はしばらく震えていたが、不思議なことが起こった。さっきまでヒトだった軍人たちが起き上がり、おおかみに成ったのだ。とっさに、妹は遊郭に火を放った。その時に姉は大きな火傷をしたが、遊郭から逃げ出すことには成功した。追手は、姉が刀すらへし折る自らの爪で皆殺しにした。
 姉妹は男どもの相手をする地獄からは逃れられたが。新月のモノと、新政府軍に追われる地獄が始まった。

 ……
「姉様、あの山に帰りましょう」

 殺しても殺しても、襲いかかってくる新政府軍と新月のモノたち。姉妹は細々と命脈を保ってきた。中でもその日は言語に絶した。朔の日で、覚醒した新月たちを三人も相手にした上に、それを新政府軍に見られた。百人以上の軍人をかみちぎった。
 修羅場を潜り続けてきた姉は、もう疲れて果てていた。そんな時、妹が言ったのだ。

「母様と父様が待つ、あの山へ……」
「そうね。少し……疲れたわね」

 二人は雪の夜、東京から鼻を頼りに、歩いた。歩いて歩いて、歩き続けた。
 そして、遂にその山を見つけた。母様のお乳を飲んだあの洞窟も、妹がすべり落ちた崖も。そのままあった。けれど母様も父様も、とうに居なくなっていた。

「もう、お終いです、姉様。私たちの居場所は、この世のどこにも無くなってしまった」
「いいえ、妹よ。居場所なら作ればいい。ここを、私たちおおかみの村にしましょう」

 百五十年前の、この雪の夜。
 大祇村は東北・岩手の山奥に、ひっそりと誕生することになったのである。
 大祇村は、姉妹が訪れた時には、無人の廃村になっていた。姉妹は考える。どうやって「家族」を増やそうかと。
 だがそう時間が経たずに、意外な方法で「殖やす」ことに成功する。追ってきた政府軍や狩人達を返り討ちにするだけなのだ。一度でも噛みつけばそのモノはおおかみになる。おおかみにさえしてしまえば、こちらの都合のいいように動いてくれる。気がついた頃には村がひとつ出来ていた。
 村に子供も生まれた。たくさん生まれた。
 妹は、教師として村で居場所を見つけた。元々、遊郭にいた時から、小柄で明るく、愛嬌のある見た目だった。おおかみとなる子供たちに、明るい未来をあたえる、満月そのものだった。
 姉は、火傷のこともあり誰にも姿を見せなかった。あの狼の洞窟の真上に立派な西洋風の屋敷を造らせ、普段はそこに身を隠し、人目から逃れた。そして夜な夜な村に迷い込んだニンゲンをおおかみに変えたり、餌にしてみなに振舞ったりしていた。
 明るく、日向を歩く妹。暗く、人目をはばかって生きる姉。

(満月と、新月のようね……)

 姉は独りごちた。

 ……
 十三年がたった頃。困った事態が起きた。ある満月の夜。村人たちが一斉におおかみになったまま、暴れ始め、戻らない。妹がなだめるが、手に負えない。
 途方に暮れたその時、迷い込んだヒトがいた。姉はそのヒトを瞬間的に殺すが、殺してから新月のモノだと気づく。誰にも見られずに処分したはずなのだが、おおかみたちがその亡骸のにおいに反応して一斉に食べ始めた。そして、食べ終わったモノから、ヒトに戻っていった。

(……これだ)

 姉は確信する。これが私の存在意義だと。

 神社を作らせた。あの洞窟の中に本殿を造り、祭壇奥の階段と自分の屋敷を繋いだ。そして夜な夜な本殿から村の外へ出た。そして十二年に一度、祭りと称して新月のモノの肉を振舞った。村の外からも消えてもいいヒト──罪人や底辺のヒトたち──をさらって集めて村人へ食べさせた。
 ヒトをひとり宮司をさせた。宮司までおおかみになってしまっては困るからだ。村人も、全員をおおかみにはしなかった。彼らには村の維持存続のための活動や、新月のモノ探索のため村の外へ派遣した。新月が見つかれば姉が出向き、拉致監禁の上、祭りの供物にした。