あれから抵抗する間もないまま手を取られ、連れてこられたのは隠世。
「こっちに来たのは初めてか?どうだ?初めての異界は」
「なんか…気持ち悪い」
さっきから吐き気を催す感覚に体が前のめりになる。
「人間に異界の空気はちとキツかったか。とは言え、慣れるまでは辛抱してくれ」
「うぅ…それで貴方のことは何て呼べばいいの?鬼嶋君?それとも弥一さん?」
「好きなように呼べ。別に拘りなんかねーよ」
「じゃあ…弥一?」と、楓が聞けば「そこは呼び捨てかよ笑」と向こうは笑っていた。
「んじゃま、家に帰りますかね」
「え、ちょっと待って!私さっきも言ったけど家に帰らないと!」
両親と言う立場上、あの人達が自分を野放しにしとく手もない。中でも母親は世間帯を気にする人だから。
「問題ない、戻ったら連絡するよう伝えとく。それにお前の親とは今後のことを話し合わないとだからな」
「今後のこと?」
首を傾げれば、弥一は黙って歩いて行くので慌てて後を追いかける。軍服の鬼を先頭に制服姿の女が歩く。その姿は目立つらしく、キョロキョロと辺りを見渡せば人間らしからぬ、言わば異界に住む妖達がこちらを観察していた。
「凄い…妖がいっぱいいる」
「そりゃあ隠世だ、むしろ人間がいる方が珍しい」
「弥一は鬼の妖なんでしょ?でも人間界では男子高校生に化けて生活していたよね?妖って異界から出れないものとばかり思ってた」
「出れないことはねーよ。魔物が人間界に出るように、俺達だって同じことはできる。ただそれには人間に変幻できるだけの妖力がないとダメだがね」
「どういう事?」
「妖ってのは人間に化けないと人には普通見えないんだよ」
「そうなの⁈」
あ、でも言われてみれば。
確かに人間界じゃ誰も妖なんてもの見えていない。
本当はいても可笑しくはない、そんな妖達を人間が確認できてないだけなんだ。
「詳しい話は後だ。さ、着いたぞ」
「スゲー…デカイ」
目の前に映る巨大な日本構造を宿したお屋敷。
豪邸?館?とも表現すべきか、それにしても大きすぎた。
「ここが弥一の家?」
「まあな」
表門を潜れば中からは使用人らしき妖達の姿が。
「おかえりなさいませ、若。お勤めご苦労様です」
前方からやってきた一人の男性。
白いちょび髭にタキシードのような服装、片目には眼鏡と執事のような格好をすれば、弥一にうやうやしく頭を下げる。
「よっ、戻ったわ」
「それで今回はいかがでしたかな?」
「Bクラスの魔物だ。上からの指示で着いた時には成熟化一歩手前だった。人間に被害が及ぶ前に仕留められて良かった」
「それはそれは、流石は若ですな。っと、若、そちらの女性は??」
男性は楓に気が付くと目をパチパチさせていた。
「コイツは八咫烏楓。あの八咫烏磯五郎の孫だ。同時に娶ることにしたから」
「ななな、なんと!!あの八咫烏様直系の⁈こうしちゃおれん…直ぐに家の者達へ連絡を!」
「悪いな、俺は先に報告へ行く」
すると辺りは一気にバタバタと騒がしくなる。
不意に背後に気配を感じれば傍らには二人の女性。何やらニコニコと笑って楓を見ている。
「楓、お前も着替えてこい」
「え?」
「ソイツらがお前を案内してくれるから」
「あ、ちょ、弥一⁈」
楓が呼ぶも彼は一人先に何処かへ行ってしまう。
「さあ花嫁様、こちらへ!!」
「こちらへ~」
有無を返さず二人に両腕を掴まれれば、敷地内へと連れて行かれる。そして通された場所で服をはぎ取られた。ビックリして抵抗するも、間もなくしてすっ裸のまま風呂に突っ込まれれば、全身くまなく洗われる。
「イヤー誰か助けてーー!!」
だが彼女達は嬉しそうに作業する手を止めない。
怖い!なんでこんなことに…
恥ずかしい場所も全部見られた。
楓はゲンナリした顔で半ば死んだように大人しくしていれば、気づいた時、自分は綺麗な着物を着ていた。空手で鍛えあげられた体には所々細かい傷もある。彼女達はそこも丁寧に手当してくれたようで、今は保湿ケアまでしている。
「なんかすみません…」
「いえいえ!花嫁様をお世話できるなんて光栄でございます」
二人のうち、一人がそう答える。
「えーっと、私は八咫烏楓と言います。貴方達は??」
「あらついうっかり!申し遅れました、私は一江と申します」
「私は妹の二江です!」
聞けば彼女達は姉妹のようだ。
酒呑童子に代々仕える鬼の妖らしく、普段はここで働いているとのこと。
「楓様は烏本家様のお孫様なんですよね⁈」
「烏本家様のお孫様にお会いできる日が来るなんて!!」
二人は目を輝かせていたが、烏本家っておじいちゃんのこと?
「おじいちゃんを知っているの?」
「勿論です。逆にあの方を知らぬ者などおりませんよ」
一江さんが言えば、二江さんもウンウンと頷いている。
「さあ参りましょう!」と二人のペースに乗せられれば、装飾の綺麗な大きな扉の前まで連れて来られる。
「若様がお待ちですよ」
中に入ればソファーに座る弥一の姿が。
「よお、来たか」
チラリと目を向けた弥一はこちらを観察してくる。
「ふ~ん、なかなか可愛いらしいじゃないの。よくお似合いですよオジョウサン」
「ねえちょっと、ちゃんと説明してよ」
ニヤニヤと笑う彼に、楓は半ば怒った顔で近づく。
「まず一つだけ言いたい!私は貴方と結婚する気ない」
「その前に父親へ報告が先。直ぐ来るからお前も座れよ」
ちょいちょいと自分の隣を指差しそう言われるも、な~んか胡散臭いので向かい側の席に座ることにした。すると向こうは可笑しそうに笑っていた。
「そんな警戒しなくとも。今はまだなんもしねーよ」
「ま、まだ?まだって何⁈」
コイツ、、やっぱ一発足蹴りでもしとくか??
鬼であろうと襲ってくるなら関係ない。楓はいつでも技をかけられるよう軽いイメトレを行う。
「そういや明日、お前の家に挨拶行くことになったから」
「挨拶?なんの??」
「ん~?娘さんを俺の花嫁候補に。同時に八咫烏磯五郎との養子縁組を結ぼうって話」
「養子縁組?」
次から次へと話される内容に理解が追いつかない。
「お、いるねいるね~」
「!!!」
するとドアが開き、入ってきたのは一人の男性。
「やあ弥一。パパが帰ってきたぞ~」
「パ、パパ⁈」
その人は弥一そっくりな顔で、長い黒髪に金色の瞳、容姿は人間とは桁違いに美しい。
「や~ごめんごめん。急に会社で急用が入って。帰るの遅くなっちゃったよ~」
ヘラヘラ笑えば「今日の弥一もカッコイイ~」なんて言って抱きつくので、弥一は「離れて下さい」と少しうっとおしそうだった。
「それでそれで~?磯ちゃんの孫がここに来てるんだって~?」
男性が尋ねれば、弥一は頷き「楓」と自分に声をかける。すると男性も楓の方をジッと見つめた。
「八咫烏楓です…あの、、」
楓が挨拶すれば向こうはこちらを観察している。怖い。
「ふ~ん、確かに磯ちゃんの血が濃く流れてるね~。どうも~弥一のパパの酒呑童子で~す!」
「あ、宜しくお願いします」
だが心配なんてなんのそのって感じで、その人はウキウキした様子で楓に近づく。手を差し伸べてくれるので楓も黙って握り返した。
「かわいい~。なんだ弥一、こんな可愛い子いたならパパに紹介してよ~」
「会ったのは今日が初めてだっつーの」
「じゃあもしやナンパ?はは、流石はパパの子だ~」
そんな酒呑童子に弥一は「てめえと一緒にすんな」とゲシゲシ足を蹴っていた。
え、何この人…ノリ良すぎでは??
しかも弥一のお父さん??
でも酒呑童子なんだよね?なんかもっとこう…
「あっは~楓ちゃん、もしや僕のこと疑ってる?」
「え、あ、えっと」
考えていたことがバレていたらしい。慌てて誤魔化そうとすれば酒呑童子が笑う。
「そんな慌てずとも大丈夫だよ。別に取って喰いはしないからさ。まあでもそうか~確かに酒呑童子って人間が聞いて考えることと言ったら、あの大江山の話だからね~」
「じゃあ本当にあの酒呑童子なんですか?」
「そうだよ~でもそれは僕が若い頃の話だ。伝説じゃ源頼光君が退治したって言われているけど。その前に隠世へ逃げてきてるからね~」
「に、逃げて…」
この何とも言えない反応の中、向こうは「この通り~」とクルクル回っていた。
「因みに平安時代に美女を攫っていたというのは?」
「それは事実~でも単に女の子と遊びたかったからだよ~。あの時代は今と違ってネットもゲームも無いからね。いわゆるナンパって奴」
「へ、へえ…」
え、、マジでこの人、酒呑童子だよね?
楓はもう白目が向きそうだった。
「父さん、もうその辺に」
見かねた弥一はそう声をかけた。
「釣れないな~弥一君は。まあいいや、それで?楓ちゃんとは何処で知り会ったって?」
「中央区5番地のF公園です。Bクラスの魔物が出現したと、上から報告があったので。だが俺が到着した時、魔物は既に彼女によって討伐された後でした」
「ふ~ん、それで楓ちゃんはどうやって魔物を倒したんだい?」
酒呑童子は楓の方を見る。
「え、えっと…あ、足で」
「ん~?」
「だからその…足で、、蹴りました」
「…」
するとその場は静寂に包まれる。
ヤバイ、これはやってしまったか。
楓は内心焦っていた。
だが不意に、酒呑童子は体をプルプルと震わせれば盛大に笑い始めた。
「あっはははは!!噓でしょ、魔物を足で蹴って殺しただって?そんな話聞いたこともないんだけど」
酒呑童子は「あ~可笑しい可笑しい」と腹を抱えていた。
「流石は磯ちゃんの孫だ。彼も凄い人だったけど、そう…」
酒呑童子は一頻り笑えば、何処か懐かしむような目で楓を見つめた。話からして二人は知り合いだろうか。
「おじいちゃんと知り合いなんですか?」
「旧友だよ~彼とは五十年前に人間界で会ったんだ。当時、魔物狩り調査で人間界に足を運んでいた僕を、先に狩ろうとしてきたのが彼だった」
「おじいちゃんが⁈」
初めて聞く話に楓はビックリした。
「これでも僕、過去を騒がせた伝説の鬼だからさ~。実地調査のため人間に化けていたにも関わらず、磯ちゃんは僕の存在に気づいた。もう人を襲う気なんて無いのに退治してこようとした時は焦ったよ~」
「八咫烏一族は直感が人並み以上だからな。その血には妖や魔物を見抜く力がある」
弥一はのんびり話す父親の横からそう付け足す。
「まあ色々あったけど今では仲も良い。八咫烏一族はその昔、一匹の八咫烏が人間の娘に恋をして生まれた特殊な家系。産まれた子供が異能に似た力を宿すなんてことも十分あり得たわけさ」
だが酒呑童子は困ったように笑った。
「でも一つ問題が起きててね~」
「問題ですか?」
「いやね、八咫烏は異界から漏れ出る魔物を狩る上で極めて重要な存在なんだ。魔物は本来、死者の魂に負の瘴気が混じって生まれてしまうものなんだが。妖が見分けるのにも限界があってね」
「…と言うと?」
「妖は人間と違って能力に秀でる。それは過去も今も変わらない。人間には見えない魔物を、代行して討伐しようと作られたのが今の『鬼灯』。でも魔物の階級が高すぎると妖でも見ることはできなくなるんだ」
「それってどういう…」
楓が尋ねれば弥一が口を開く。
「俺たち妖が倒せる魔物にも限界があるってことだ。人間界で行方不明者が依然として減らない原因の一つがここにある」
ニュースでも度々取り上げる行方不明事件。最初は誘拐か?なんて考えていたが、魔物に襲われたからと考えれば辻褄が合う。
「僕が鬼灯を作ったのは百年ぐらい前なんだ。その時は魔物も今ほど酷くなかったし。僕一人で退治できてたんだけどね。でも時代を重ねるごとに手に負えないSランクのものまで出てきちゃってさ~」
酒吞童子は「これも時代かな~」と苦笑していた。
「八咫烏一族の血が途絶えつつある。中でもSランクは八咫烏の異能を持つ人間にしか見えない。八咫烏磯五郎は八咫烏一族の最後の砦だった」
「おじいちゃんが?」
楓は祖父と聞いて分かりやすく反応する。
「彼は烏本家の中でも史上最大の退魔術師だよ~そこを僕が声をかけて契約したんだ」
「契約?」
「つまりね、妖史上最大の力を誇る酒呑童子と八咫烏の血を引く人間。二人が契約することで魔物クラスへの耐性を高めたって訳。お陰で僕にもSランクが見えるようになった」
「視覚共有的な?」
楓が聞けば向こうはウンウンと頷いている。
「そこでだ!楓ちゃん、君、ウチの弥一君と結婚してくれないかな~」
「えええ!!」
まさかそっちからもそれ言う?
予想の遥か上をいく質問に、楓は反応に困ってしまった。
「弥一は僕の一人息子として僕の血を強く引き継いでいる。鬼灯を引退した僕に変わり、軍を引っ張る上でなくてはならない存在だ。でもそんな彼にも問題はある」
「ね~弥一君」と酒吞童子が目線をずらせば、弥一は溜息をついた。
「俺には黒鬼装備とこの妖力もある。だから他の隊より幾分か強い。だが俺にSランクの魔物は倒せない」
「八咫烏との契約ができてないから?」
「そうだ。楓、お前は魔物を倒した。可能にしているのはそのフィジカルギフテッドだ。八咫烏の異能とはいえ、磯五郎にも限界はある。元は妖である俺達と体も備わるエネルギーも違うんだ。エネルギーが尽きれば倒せるものも倒せない。強い術師ならそれだけ消費量も激しい。その点、お前は体力が続く限りその力は無限だ」
弥一はそう楓を見つめた。
「俺にとって最も都合がいい。八咫烏の力が尽きれば回復まで魔物の判断能力が鈍る。お前ならその心配はないだろうし、これは結婚という名の異類婚契約だ」
「異類婚契約…」
楓は困ってしまった。
契約とか結婚とか、楓にとっては縁が無さ過ぎて直ぐには即決できない。何なら高校卒業後は家と縁を切って、一人で自由に生きようとさえ思っていたのだ。
「急だし戸惑うのは分かる。でも頼む、俺と結婚してくれ。その代わりお前には自由をやる」
「自由?」
「あの家から解放してやる。代わりに八咫烏磯五郎と養子縁組を申請すれば問題ないだろう。そうすればお前もあの家で暮らせるし、空手だってやり放題だぞ?」
その言葉に楓は目を見開く。
あの家から解放できるの?でも父は八咫烏グループの会長。きっと養子縁組だって反対するに違いない。
「でも八咫烏は井崎と並ぶ日本の上昇企業だよ⁈そんな上手くいくかな…」
「あっは、楓ちゃ~ん、ウチを舐めて貰っちゃ困るな。僕はあの酒吞財閥の会長だよ~?」
「え、ま、まさか酒吞って。あの酒吞財閥の⁉」
日本最大規模を誇る大手企業・酒吞財閥。
今やその名前を聞かぬ者はいないんじゃないかってぐらい有名な大手企業だ。世界にも進出するほど強い影響力で日本の国を支える彼らはどこにいても有名だった。
「まさか酒吞さんが…あの酒吞財閥の会長」
「人間界で何気なく始めた取り組みだったんだけど。なんかもう後戻りできないとこまで企業デカくしすぎて鬼灯に手を回せなくなっちゃったんだ。まあ息子もこんな立派に育ってくれたし?この際引退して全力投資極めることにしたんだ~」
「す、すんげぇ」
そんなやってみたのテンションで。
規格外すぎて楓は苦笑いすることしかできなかった。
「決まりだ。明日の朝、お前の家に話をつける。いざとなれば権力でも何でも使うから安心しろ」
「人間は執念深いからね~」
物騒なことを語る親子が恐ろしすきた。
二人はその後も話があるらしく、「今日はもうお休み~」と酒吞さんの一言で、迎えにきた一江さん達とその部屋を後にする。
「ここが本日の寝床でございます」
案内された客間の一室は凄く綺麗で広かった。
「急ぎでしたので、今日は我慢して下さいね」
「ゆっくりお休み下さい。何かあれば遠慮なくお申し付けください」
二人は声を揃えてそう言えば部屋を出ていった。
「はあ~疲れた…」
急に静かになった部屋の中、楓は布団にダイブした。明日からどうなるのか不安ではあったが、疲れていたのか直ぐに眠ってしまった。
次の日、楓は昨日まで来てた制服からオシャレな服に着替えさせられれば、二人の乗る車へと乗り込んだ。
「ねえ弥一、本気でやるの?お父さんは頑固だよ?」
「関係ない。お前が手に入るならリスクは惜しまないさ」
堂々とした弥一の態度に隣からは「さっすが僕の息子~」と酒吞童子がときめいている。本当に大丈夫なんだろうか。
「今日はその姿のままなんだね」
「仕事の時はこうだ。逆にあれは高校にいる時にしか使わない。普段は俺も酒吞財閥で働いているからな」
弥一は高校生だけでなく、昼は会社で夜は鬼灯で働いているらしい。何とも忙しい人だな。
「それ体壊れない?大丈夫?」
「なになに~心配してくれてんの?弥一さん嬉し」
「もうふざけないでよ」
心配してるのにニヤニヤ笑う姿がムカつく。
「弥一様、楓様は本気で心配しておられるのですよ」
ドライバー席からは、酒吞童子の秘書・鬼代紅楊が困ったように声をかけた。
鬼代家は代々に渡って酒吞家に仕える鬼族で、酒吞家からの信頼度は高い。彼もまた主人の側で仕事をこなす有能秘書。そのスマートぶりには酒吞童子も頭が上がらないよう。
「楓様が契約して下さり助かりました。でなければ弥一様は仕事の手を止めませんから」
「そんなにですか⁈」
「童子様とは違って真面目過ぎますからね」
弥一を見れば、向こうはそっぽを向いている。
「ちょっと紅楊~僕は不真面目だって言いたいの~?」
「デートのしすぎです。人間の女性は妖とは違うのですから。その気にさせて問題を起こさないか、私はそれだけが心配なのです」
溜息をつく鬼代。
彼もこの親子には手を焼いてるようだ。
暫くして車は大きな高層ビルの前で止まる。先に出た弥一が手を差し伸べてくれるので、楓はその手を取って車内から出る。
「ほんじゃやることやってさっさと帰るよ~」
「父さんは楽観的すぎだっての。もっと日本のトップらしく威厳の一つを持て」
「え~そう言うのは僕の趣味じゃな~い」
呑気な酒吞童子に続くようにして二人も後に続く。
「な、なんだお前達は!!」
中では突然の訪問に驚いた警備兵が一斉に警備体制をとる。
「酒吞財閥からの所用だ。取り急ぎ、八咫烏会長への謁見を申し出たい」
「酒吞財閥だと??」
前に出る紅楊の発言に、周りからはSPが出てくれば警備兵達を抑え込む。
「童子様、今です」
紅楊の合図で、酒吞は「行くよ~」と声をかけ歩いて行く。酒吞財閥会長の訪問には社員もソワソワした視線を送っている。やはりそれだけ影響力は高いようだ。
△▼△
「た、大変です!ただいま酒吞財閥の関係者がこちらへ向かっていると連絡が」
「なんだと⁈」
上では知らせを受け取った楓の父・八咫烏晃大が目を丸くした。
「どうもどうも~邪魔するよ~」
「な、なんだ貴様ら!無礼だぞ!」
酒吞童子達が入ってくれば晃大は怒りの眼差しを向ける。だがその集団の中に楓の姿を見つければたちまち血相を変えた。
「楓!お前はまた!これは何の真似だ」
「ご、誤解よ、お父さん!これは…」
「黙れ!昨日から家にも帰らず今までどこで何をしていた⁈井崎は今回のでウチとの契約を無効にすると言ってきた。全部お前のせいだぞ!」
晃大は顔を真っ赤にして楓を𠮟りつけた。怖くて震えてしまう。だが不意に伸びてきた腕に引っ張られれば、弥一が抱きしめてくれた。
「静粛に。童子様の前ですよ」
「うっ、、」
冷たい視線を送る紅楊に晃大は身じろぐ。
「まあまあ、急に押し掛けたのはこっちだ。それはそうと紅楊」
酒吞童子が呼べば、紅楊は「はい」と言って何やら書類を取り出す。
「今回は楓様の養子縁組の件でお伺い致しました。並びに、酒吞財閥ではご子息である酒吞弥一様との婚約を承諾してもらいたく」
「養子縁組に…婚約だと??」
晃大はこれに強く反応した。
「ウチの息子が楓ちゃんに一目惚れしてね~。是非とも貰い受けたいと思い直々に足を運んでみた訳だが。そっちはどうかな?」
「ふざけるな。例え酒吞財閥とはいえ、ウチの娘を連れて行くことは許さん」
「ウチの娘ね~あれだけの扱いしときながら、今それ言うのは身勝手じゃな~い?」
酒吞童子が煽り文句を言えば、晃大は「なんだと!」と怒りに震えていた。
「楓ちゃんの為にも。今後のお世話は八咫烏磯五郎に任せようと思ってね。大人しくそれ、サインして?」
「親父にだと??」
その名前に晃大は怒りのまま立ち上がる。
「ふざけるな!娘を奴の養子なんかにしてたまるか!私はサインなどしない」
「少なくとも君の元に置いとくよりは良い生活を送れると思うけど。磯五郎には承諾済みだ」
「!!!」
酒吞童子が目配せすれば、紅楊は紙を指差し署名しろと再度促す。
「楓、お前はどうなんだ!!」
だが署名はする気などないらしい。
怒りの矛先は弥一の元にいた楓へと向けられた。
「私…私は」
楓は言葉に詰まる。
怖くて声が出ない。
するとふわりと肩に乗せられた手。見上げれば弥一が優しく微笑んでいた。
「私は…おじいちゃんの子になる。日々注がれ続けた苦しい言葉も、家での辛い生活ももうウンザリなの!」
「この親不孝ものが!!!」
晃大は激怒すれば楓に向かって手を振り上げた。
ぶたれる!!!
咄嗟に目をつぶったが衝撃はこない。
見れば自分を庇うようにして弥一が晃大の腕を掴んでいた。
「俺のもんに手を出すな、このクソ野郎」
「ぐあっ!!」
ギリギリと腕を握り潰さんばかりの力には、流石の晃大も悲鳴を上げていた。弥一が手を離せば後ろに後ずさる父親に、緊張の糸が解けて倒れそうになる。すかさず弥一が抱き留めてくれた。
初めてだった。
誰かに守って貰う日がくるだなんて。
信じていいのだろうか。
楓は未だ冷たい視線を父親へ向け続ける弥一に、少し気持ちが揺さぶられた。
「もう一度言う、その誓約書にサインしろ。八咫烏楓の身は我ら酒吞財閥が引き取る。今日をもって貴様らとの関係は終わりだ」
「…クソ」
晃大は悔しそうにするも、ペンを持てば書類へとサインする。一通り確認し終えた紅楊が「終わりました」と声をかければ、酒吞童子も笑って部屋を出ようとする。
「…酒吞、こんなことして、ただで済むと思うなよ」
そう言葉をこぼす晃大は酒吞童子を睨みつける。
「あっは~ウチが君たち相手に負けるとでも?悪いけど、勝手な真似しようもんなら…消しちゃうよ?」
冷たく放たれた声。
楓からはその顔を見れなかったが、父親が酷く怯え切っている姿だけは見えた。
「な~んて、冗談冗談!ならこれで僕らは失礼するよ~」
酒吞童子を先頭に、楓は弥一に支えられれば会長室を後にした。
その後、三人が向かったのは祖父・磯五郎が住む家。養子縁組が成功したと話せば泣いて喜んでくれた。後ろでは抱きしめ合う楓達を嬉しそうに見つめる鬼の親子。磯五郎は酒吞童子に気づけば声をかけた。
「久しぶりだな、酒吞」
「久しぶりだね~あれから何年ぶり~?」
懐かしむように話し始めた二人を、楓達は離れた場所から見守る。
「弥一」
「ん~?」
「あの、さっきはありがと…」
目を合わせようにも恥ずかしくて下を向いてしまう。そんな楓に、弥一はふっと笑えば頭を撫でた。
「い~え~、楓ちゃんが傷ついているのは見てられないんデ」
胡散臭い笑みにも見えるけど、彼にとってそれは本心なのだろう。
「ふふ、オッサンの余裕って奴?」
「オッサン言うな。俺はお兄さんだ」
少し揶揄うもノリよく合わせてくれる。
「でも私は貴方と結婚なんてしないからね?」
「おいおい…折角の雰囲気が台無しじゃねーか」
やれやれとした目を向ける弥一。
「おじいちゃん達みたいに契約だけすればいいじゃん」
「そうもいかねーよ。なんせ隠世では酒吞家の次期正妻を狙う輩でうじゃうじゃしてる」
弥一は酒吞童子の息子。
当然、未来の当主として隠世を統治するわけだが、婚約者どころか結婚さえする気配がない。お陰で他の家から花嫁候補が後を絶たないらしい。
「ま、人助けだと思ってサ。お前のことは信用してんだ」
「…胡散臭さ」
「なんでだよ笑」
弥一は苦笑いするも再び楓の頭を撫でた。
「俺が高校生のフリまでしてあの学校に通ってる理由。なぜか分かるか?」
暫くすれば弥一がそう聞いてくるので、確かに何でだろうと楓は考える。
「ある噂を耳にした」
「噂?」
楓は不思議そうに聞き返す。
「今までは父親の会社を手伝いつつ、実地調査もしていた。だが聞くところによると、魔物を悪用した裏組織の連中が複数この街に潜んでるって話だ」
「悪用するって、何に?」
「八咫烏狩りだよ」
「!」
弥一が話す内容に楓は驚いた。
「八咫烏は昔から人間界でも導きの神をして有名だ。そんな八咫烏から産まれた一族は、国家転覆を目論む奴らからしたら格好の餌食。中でも魔物を識別する異能持ちなら尚のこと」
「それって…」
そんな楓に弥一は頷く。
「ようはお前、危険な状況だってことだ。今まで無事だったのは周りに合わせていたから。でも烏本家の人間としてまず目はつけられていた。それはお前の姉貴達も同じだ」
お姉ちゃんや美玲が⁈
楓は衝撃が止まらなかった。
「だがお前達の中で魔物に反応したのはお前だけ。彼女達に八咫烏の血は作用してないとこみると安全ではある。調べて分かったが、F公園での一件には奴らが絡んでいた」
「狙って仕掛けられた犯行だったってこと?」
「奴らは人間とは少し違い魔物を使役する。昨日の件でお前が魔物を倒せることを知られた。現に高校には、お前を狙う敵のスパイが紛れ込んでいる」
「そんな…」
驚きが隠せなかった。
まさか知らないところでそんな恐ろしいことが起こっていたなんて。
「お前のことは八咫烏を通じて知っていた。同じクラスになったのはお前を監視するため。まあ魔物を足蹴りで退治するのは予想外だったけどな!」
弥一はぎゃははと笑い出す。
腹が立った楓は、その腹に渾身の一発を入れてやる。すると向こうは倒れて動かなくなってしまう。
「…お前は俺を殺す気か」
「お望みならそうしますが?」
「未来の旦那になんてことを!!」
「私はあんたの妻じゃねえ!」
コントみたいなことをしていれば酒吞童子達が帰ってくる。
「ごめん待ったかい?お、その様子じゃ話は聞いたようだね」
「酒吞さん!私、狙われてるって本当ですか⁈」
「そ~怖いよね~でも大丈夫!そこは君の旦那である弥一君が守ってくれるから!」
そんな悠長な、、
軽いノリの酒吞さんといい、楓は少し心配だった。
「楓、心配するな。なんならワシと訓練でもするか?」
「訓練?」
「護身術じゃよ。退魔術には及ばんが、こなせば自己防衛ぐらいには強くなれる」
「やる!」
護身術の言葉でウキウキした目をおじいちゃんに向ければ、隣からは「もう十分やべーよ」と弥一の声。聞かなかったことにしておく。
「なら僕からも~」
酒吞童子が目の前に手をかざせば、煙の中から現れたのは二人の女の子。綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭に黒い着物を着れば、一人は赤い花柄、もう一人は青い花柄だった。
「これって…」
「座敷わらしさ」
「座敷わらし??」
「何年か前にこっちで見つけたんだ。行き場を探していた途中みたいだったから式神にしちゃった」
座敷わらしを式神って…流石は酒吞童子。
彼女達はジッと楓を見れば服を掴む。
「ワタシ、この人好き」
「好き」
そう言うとわらわらと楓に群がり始める。
「気に入ったようだね~その子達は楓ちゃんにあげるよ~」
「ですが私に式神なんて」
「心配いらない。基本は勝手に出たり消えたりしてるし、元は力ある妖だから」
酒吞童子が話せば、座敷わらし達はシュパッと消えてしまった。と思ったら、向こうのお店を窓から除いている。確かに自由な子達だ、、、
「じゃあ弥一君、高校の件はそっちに任せるよ。八咫烏狩り主催者は桃源郷って言うみたいだから。二人も十分気をつけるように」
桃源郷ね~
なんか胡散臭い名前だこと。
楓は明日から始まる高校生活が憂鬱に感じるのだった。
登校日の朝、楓は制服に着替えれば部屋を出る。
「楓様とガッコウ。楽しみだね」
「そうだね」
座敷わらし達は嬉しそうに後ろで跳ねている。
部屋を出れば弥一が待っていた。
「おはよう」
「おはよ。支度できたなら行くぞ」
「え、一緒に?」
「当たり前だろ。俺達は婚約者なんだから」
養子縁組もできたから祖父の家から通えると思っていた。だが酒吞財閥の婚約者という役目状、今後は酒吞家で暮らすよう言いつけられてしまった。酒吞さんは「娘ができた~」と周りにもう自慢してるようだ。
「学校では俺の側から離れんな。万が一、鬼嶋君がお留守の時はソイツらに頼るように」
「鬼嶋君ね~」
確かに今の姿は鬼嶋君だ。
高校生の姿になれば、この男が妖だなんて誰も分からない。
「なら学校では改名しなくちゃね。それと普段は行動パターンが真逆なんだし、変に絡んでこないでね?」
「マジで?」
「だって弥一、クラスではいつも陽キャじゃん。急に仲良くなったら周りから変に思われる」
目立ちたくない。
だが彼の傍にいるとどうにも目立ってしまうのだ。
「婚約者なんてバレたらそれこそヤバいから。ウチは全国から著名人が集まる私立高だよ?勝手なことして関係がバレたりでもしたら面倒だもん」
「けど世間には俺達が婚約者だってもうバレてるぞ?」
「え!ななな、なんで??」
まさかの返答にビックリして大声が出てしまった。
「昨日の夜、親父が公表した。とはいえ今の俺は鬼嶋君だ。周りは俺が酒吞財閥の息子だってまず分からないし、奴らにバレないよう妖力も抑えてるから安心しろ」
「うぅ…なんてことを。そんなことしたら…」
絶望して学校に着けば周りから感じる視線。クラスに行けば皆が一斉に見てくるので気分は最悪だ。
「楓!アンタあの酒吞財閥のご子息と婚約したんだって⁈」
先に到着していた美玲が興奮した表情で迫ってくる。スマホには楓達についてが記された記事が載っていた。
「美玲…私、どうしたらいいの」
「楓?しっかりしなさいよ!」
へなりと座り込む楓に上からは焦ったような美玲の声。
「よお楓、生きてるか~?」
遅れて向こうからは清史郎もやってくる。三人は同じクラスメイトなのだ。
「清史郎~私ダメかも…」
「お~お~、何があったのか俺達が聞いてやるよ」
楓は今までのことを二人に話した。
勿論二人とも烏本家の素性は知っている。だから楓が魔物に会ったと聞いても驚きはしなかった。
「つまり婚約と言っても契約ってこと?」
「魔物が見える事と八咫烏の血があるって意味では私の力が必要みたい。…本人は何故か結婚したがってるけど」
美玲は「ビックリだわ…」と向こうにいる鬼嶋を見つめた。
「彼があの、酒吞財閥の若様…」
「今は変幻してるからあの姿だけどね。ここに通うのはあくまで視察らしい」
「まあ確かに雰囲気が他と違うかもね。若様ね、『井崎から楓を奪い取った王子様』って女子達から人気なの知ってた?」
「そんな事言われてるの⁈」
弥一のルックスに惚れる女性は多い。
今回の婚約で多くの女性が泣いて寝込んだと噂されたようだが、同時に井崎グループから婚約者を奪った。略奪愛だなんて世間を騒がしていると美玲は話す。
「いや~ん、やるじゃない楓!」
「笑えないよ…お陰で周囲の視線が痛くて落ち着かない」
全くなんてことをしてくれたんだあの鬼の親子は。まさか弥一が朝からごきげんだったのはその為か。
「お前も厄介事に巻き込まれたな。でも良かったのか?」
「何が?」
「八咫烏グループから解放されたのはいいけどよ。条件は若様との契約だろ?」
清史郎が心配そうに聞いてくる。
「ん~でも意外と嫌に感じないんだ。今までは家族に出来損ない認定されて育ってきた訳だし。あの人は自信を無くかけた私を、始めて必要としてくれた人だから」
婚約者にも姉にも裏切られた。
家族はことあるごとに罵倒する。
そんな地獄な環境から抜け出せたのは、弥一が自分を拾ってくれたお陰。
今度こそ…そう信じてみたくなったのだ。
「へ~楓は若様が好きなんだ?」
「は、何言って!」
「だって今の楓の顔、凄く恋する乙女だよ?」
美玲はニヤニヤと笑って突いてくるので楓は恥ずかしくなってしまう。チラリと向こうを見れば弥一が自分を見ている。意識してしまっては顔が赤くなり急いで視線を逸らした。
「と、とにかく!この学校には桃源郷のスパイがいるの。美玲も魔物が見えないとはいえ、同じ八咫烏の人間なんだから気を付けなさいよ?」
「桃源郷か~清史郎、彼女である私を全力で守るのよ!」
「俺はいつもお前にやられる側だろ~」
「なんですって⁈」
二人の喧騒を楓は笑って見つめた。
良かった、二人がいてくれて。
妖の存在も、魔物が見える楓も、どちらも彼らは否定しない。ホントにいい友人達だ。
「でもよ、よく考えたら姉ちゃんは井崎のぼんぼんと婚約したんだろ?楓だって八咫烏グループ会長の娘だったんだ。酒吞財閥と婚約したとこで周りはそんな驚かねーと思うぞ。でもな~」
清史郎は苦い顔をする。
「ん?どうしたの?」
「いや、これは憶測になるけど」
楓の父・晃大は国でも影響力は十分ある。と、言うのはどうやら作り話に近いと清史郎は語る。
「俺の家は政治家だ。企業家の人間と絡むことだってある。聞いた話じゃ、八咫烏グループが大きくなれてるのは井崎グループの力あってのことらしい」
「どういう事?」
「つまり楓を婚約させることで井崎との繋がりを掴む。井崎は前々から八咫烏に目をつけてたし。代わりに井崎からは援助金を受け取ってるって意味だろう」
祖父である八咫烏磯五郎は名のある権力者。でも縁を切った父にその権力は使えない。だが野心家の父がそこで終わるなんてこともなく、次に目をつけたのは自分よりも大きな組織との繋がり。
「気を付けろ。接触の機会は今後十分ある。今のお前には酒吞財閥がバックにいる」
「!」
「酒吞財閥は井崎を抜く国のトップ。八咫烏が黙ってるとも思えない。若様から離れんなよ?近づく者は十分に警戒するんだ」
それだけ楓の身が危機的状況にある、学校にいるとはいえ誰が敵でも決して可笑しくはない、そう清史郎は語るのだった。
ーーー昼休み、西校舎B-2
送られてきた文に目を通せば楓は溜息をつく。
相手は勿論あの男しかいない。
「何の用?匠哉」
もう二度と話すことなんてないと思ってたのに。
隣にいる筈の叶華は今日はいないよう。
「冷たいな、俺が振ったから怒ってんの?」
「別に。ただ貴方とはもう話たくない」
「そんなこと言うなよ。俺達の仲だろ?」
白々しい。何を今になって…
「悪いけど、私はもう八咫烏グループの人間じゃない。だから関わらないで」
「へ~そういや親子の関係を切ったらしいじゃん。ウチも騒いでたぞ」
酒吞財閥が婚約発表までしたんだ。
井崎グループが知らないわけもない。
「お前と別れて、叶華との婚約に親父が反対なんだ。叶華は役に立たない、お前と寄りを戻せってうるさくてよ~」
「…どういうこと?」
井崎会長とは前に婚約の挨拶で会ったことはある。だがそれだけ。寧ろ楓に無関心だと思っていたのに。
「お前が酒吞と婚約してからコッチも大変なんだよ。何言っても親父は叶華を認めない。少しは叶華の気持ちも考えろよ」
「考えろ?何言ってるのよ。散々私のこと裏で騙しといて!」
たまらずそう叫べば、匠哉は溜息をついた。
「それはお前が無能だからだろ。叶華と違って容姿も才能も優れない。井崎の品位を下げるには十分すぎんだよ」
「は、」
「中でもその顔は一番嫌いだわ。見てて気味が悪い」
そんな言葉に楓は怒りがおさまらない。許せることなら今すぐにでも地平線の彼方にぶっ飛ばしてやりたかった。
「八咫烏を裏切ったと思ったら今度は酒吞かよ。一体どんな手使った?」
「そんなことしてない!」
「ならなんで奴らはお前の肩なんか持つ?これ以上、俺達に泥を塗るような真似すんなよ」
ウンザリしたような顔で説教する匠哉。
楓はもう我慢の限界だった。
一発ぐらい、、そう楓は力拳を作る。
「楓様、コイツやっつける」
「やっつける」
すると背後からは座敷わらし達が飛び出してきた。
「うわ!な、なんだよソイツら!!」
彼女達はビックリする彼の元へ、手からはビームのようなものを放つ。お陰で匠哉の服は焦げてチリチリだ。
「オマエ、楓様を傷つけた」
「傷つけた」
「楓様の敵とる」
「とる」
再び攻撃体制に入る彼女達。
楓は「待って!」と言って慌てて止めれば、素直にも彼女達は攻撃を止めてくれた。
「な、なんなんだよ…クッソ覚えてろよ」
匠哉はその隙に怒ったように楓を睨めば教室を出て行ってしまう。
「守ってくれてありがとう。でも二人共、やりすぎはダメ」
彼が去った後、楓が軽く説教すれば二人は互いを見つめ合う。
「あの男、楓様が嫌いな奴。見張っておこう」
「楓様の為に。見張っておこう」
今度は楓を見上げてそう言う。
楓は笑って彼女達の頭を撫でてやる。
「ほどほどにね?」
ここでダメと言わないのが楓なのだ。
すると彼女達は謎に気合いを入れていた。
帰り道、楓は空手稽古のため美玲達と帰ることになった。
「今日は師匠のとこ泊ってくの?」
「ううん、後で弥一が迎えに来てくれる」
弥一は仕事場に行く用事があるらしく、迎えが少し遅れるとのこと。それまで空手をして待つことにする。
「弥一様ってあの酒吞童子の息子でいいんだよな?」
「そうだけど何で?」
「いやオーラがさ。なんか意識したらヤバいっつーか…妖だからか?」
弥一には二人のことを紹介している。
向こうも普段から二人のことは知っていたし、快く対応して鬼の姿も見せてくれた。
「でも妖ってやっぱ綺麗な顔してるわね~酒吞会長もイケメンだし」
美玲はイケメンに目がない。
視線はさっきから、弥一にお願いして撮って貰ったという写真に釘付けだ。
「写真も撮ってもらったし。んふふ、これは家宝にするわ!」
「おい美玲、俺の存在忘れてねーか?」
「目の保養~」と言って見つめる美玲に、彼氏のプライドをズタボロにされた清史郎はガッカリしていた。
「ん、なんだあれ」
暫くして、清史郎が指さす方向には一台の車。
「楓ー!!」
「え、お姉ちゃん⁈」
中からは叶華が泣きながら飛び出してきた。
「楓、八咫烏家と縁を切るってどういう事?」
叶華は取り乱した様子で楓へと詰め寄る。相変わらずの可愛さだ。
「…私、おじいちゃんと養子縁組を組む事にしたの」
「どうして?あんなにずっと仲良く暮らしていたのに。楓がいなくなって心配しているのよ?」
心配?何を根拠にそんなことを。叶華の話す意味が分からなかった。
「ちょっと叶華ちゃん!いきなり来て何の用よ」
美玲は怒ったように楓達の間に割って入る。
「八咫烏家が楓にしてきたこと考えれば、これは当然のことよ」
「そんなの可笑しい!楓が出ていったせいで、コッチはもう井崎からは取引ができないとまで言われてるの。匠哉君との婚約もできていないままだし、意味が分からないわ」
井崎が取引を蹴った。清史郎と目が合えば、彼は「な?」と言った顔をしていた。
「井崎の力あってこその八咫烏なのに。関係が切れたら援助も途絶えちゃうわ」
「ならお姉ちゃんが井崎と婚約すれば丸く収まるじゃん」
「それが出来ないから言ってるの!あっちは楓じゃないとダメだって。なんで楓なのか…」
そんなの自分が知るわけない。
井崎にとって、自分は今どんな判断材料にされているのか、楓は不思議で堪らなかった。
「とにかく私は無理。もうお姉ちゃん達とは縁も切ってるんだし。これ以上、関わらないで」
「なら若様に頼んでよ」
「え?」
叶華の頼み事に楓達は目を丸くした。
「あの酒吞と婚約したんでしょ?国のトップが味方なら井崎だって口出しできない。楓の口から若様に言って、お願いしてくれるだけでいいの。それで関係は修復できる」
「…嫌よ。第一、私、弥一をそんな風に使いたくない」
弥一は大切な存在。
こんな馬鹿げた話に利用する気なんて起こりもしない。
「なんでよ!私達家族でしょ?楓には私達がどうなってもいいって言うの?」
「そうさせてきたのは貴方達でしょ?」
いつだって悪者は自分なのか。
叶華の中に、一度でも妹の自分を大切だと思ってくれたことはあったのだろうか?
「おい、いい加減にしろよ」
清史郎が行き詰った空気を遮れば、叶華を遠ざける。
「何度も言ってるけど。今の楓に君たちは関係ないだろ」
「そうよそうよ!分かったらとっとと消えなさい!」
美玲も見かねて応戦する。
叶華は誰も助けてくれないと分かると泣いて走って行ってしまった。
「楓、大丈夫?」
「うん…ありがとう」
心配してくれる二人に楓は静かに微笑んだ。
できればもう二度と会いたくなんてなかった。
「来たよ、おじいちゃん!」
「おお、楓か。よく来たな」
祖父の家に着けば、おじいちゃんが嬉しそうに出迎えてくれる。今日は稽古もお休みで、楓達には特別レッスンをつけてくれるらしく、美玲達二人も張り切っていた。
「今日は酒吞の坊はいないのか?」
「酒吞さんのとこに寄ってから来るって。仕事が忙しいらしい」
「そうか。まあ上がっていきなさい」
三人は空手服に着替えれば道場に向かう。
「よ~し、特訓だ!」
「相変わらず楓は空手が好きね」
隣では美玲が呆れたように笑う。
「だって特別な訓練だよ⁈八咫烏狩りがいつ狙ってくるかも分からない。身を引き締めて備える時に備えておかなきゃ」
「お前は十分もう強いだろ」
それには清史郎も笑っていた。
先に道場の鍵を開けておくよう言い渡されたので、道場までやって来れば鍵を開けて中に入る。
「え、、、」
だがここで、楓は嫌な空気を覚えた。
「ん?どうしたの楓」
美玲達が不思議そうに見てくる。
中は暗く、何か嫌な気配が肌を掠めるのを感じたのだ。
「ッ、二人共!避けて!!」
「「!!」」
突如、上から襲ってきた攻撃に楓達は咄嗟の反射神経で端に避ける。見れば黒づくめの男達が楓達を取り囲んでいた。
「な、なんだ⁉何者だお前ら!」
清史郎は二人の前に出れば相手を睨みつける。だが相手は近くにいた美玲に目を付ければ攻撃を仕掛けた。
「美玲!!」
楓は美玲の前に回れば寸前のところでそれを受け止める。強い回転蹴りを相手に喰らわせれば、ひるんだ隙に胴を掴み上げるとそのまま床に叩きつけ気絶させた。
「美玲、大丈夫?」
「ええ。助かったわ、楓」
どうやら怪我は無くて安心した。
「清史郎!美玲をお願い!」
清史郎に美玲を預ければ、楓はどうしたもんか必死に考える。この量を一人で倒すのは出来なくもないが、後ろの二人を庇いながらだと楽ではない。
「…見つけた」
不意に黒づくめからはそんな声が聞こえてくる。
「八咫烏だ!捕えろ!」
「!」
その声で一斉に襲い掛かかる敵。
どうやら狙いは楓のようだ。楓は向かってきた攻撃をかわしつつ、自分も攻撃を仕掛ける。だがだんだんと押されてしまえば身の危険が脳裏を横切った。
「楓様危ない!」
「危ない!」
すると楓の後ろからは座敷わらし達が姿を現す。
手から光のビームを出せば、相手に向かって放つ。これには敵達もビックリして攻撃を止める。
「クソ…式神か。ええい、ここなったら」
「‼」
敵は楓に近づけないと分かれば、懐からは謎の瓶を取り出す。ニヤリと笑った顔に息を吞めば、刹那、瓶が床に叩きつけられ出てきたのは黒い瘴気に身を包んだ巨大な魔物だった。
「魔物⁈しかもこれ…」
あの日、公園で倒した時よりも遥かに強い。
はっと楓は美玲達を見る。二人には魔物が見えてないらしく、不思議そうな目で楓を見つめていた。
「美玲、清史郎!この部屋から逃げて!!魔物よ!!」
「「!!」」
二人はその言葉で目を見開く。
「恐らくとても強いわ!ここは危険だから貴方達だけでも逃げて!」
「分かった!私達は師匠を呼んでくるわ!」
二人は急いでその場を去る。
楓は無事に部屋から出れた二人の様子に安堵した。それにしてもどうするか。目の前にいる魔物からは異様な空気を感じる。加えてこの部屋に敵は複数。完全にこちらが不利。
「楓様!」
すると空間を切り裂くような振動と共に、誰かの攻撃が魔物に入った。魔物は苦しそうに唸れば倒れていき、楓には何が起こったのか分からなかった。だが不意に目の前に降り立ったのは一人の青年。彼は敵の一人に切りかかれば楓を攻撃から守った。
「クソ、烏だ!引け!!」
敵はそんな様子に踵を返せば逃げていく。
「追え!奴らを逃がすな」と辺りからは別の誰かの声が聞こえてくれば、逃げていく敵を追って道場を後にしていくのが見えた。
「行ったか…」
向こうを見つめる青年。
すると道場には本来の明るさが戻り、魔物も綺麗に消えていた。
「楓様!」
「楓様、大丈夫?」
座敷わらし達が心配して駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ。二人共、守ってくれてありがとね」
撫でれば二人は嬉しそうに顔をほころばせていた。
うん、可愛い。
「楓様、お怪我はないでござるか?」
「あ、はい、お陰で助かりました。それで貴方は?」
心配そうに楓を見つめる青年は、鳥の嘴をした面のようなもので口元を覆い、忍者のような出で立ちで手には刀剣を持っている。
「拙者、酒吞家にて烏の役割を担っております。名を夜ノ丸と申す」
「烏?」
「烏とは酒吞家を守る影の護衛でござるよ。敵への攻撃に備え、館の見張りはもちろんのこと、酒吞様を影から護衛もいたす」
夜ノ丸がピーっと口笛を吹けば、そこには同じような出で立ちの烏が現れる。彼らは烏天狗と鬼が派生して産まれた烏鬼と呼ばれる妖らしく、山奥の山頂に住処を構えるという。
「楓!!」
すると道場には美玲達が入ってくる。
「楓、大丈夫⁈どこも怪我してない⁈魔物は⁈」
「美玲、落ち着いて。怪我もしてないし魔物は彼らがやっつけてくれたから」
視線を移せば彼らは静かにそこに立っている。
「え、嫌だ何このイケメン…」
美玲は彼らを見るとその綺麗さに見とれている。隣では清史郎が「お前な…」とこれに呆れていた。
「楓」
「おじいちゃん!」
磯五郎は楓の側にやってくれば、心配そうに顔を見つめた。
「敵襲があったと報告を受けた。来るのが遅くなってすまなかった」
「私は大丈夫だよ。幸い座敷わらしちゃん達がいたから。あと夜ノ丸君達も助けてくれたし」
磯五郎は夜ノ丸達を見れば「…烏か」と一言呟いた。
「楓が世話になったな」
磯五郎がお礼を言えば、彼らはその場に跪いた。
「いえ、これも我ら烏の役目。若様より、楓様の身を保護するよう仰せつかっておりました。到着が遅くなり申し訳ない」
楓はそれに驚いた。
聞けば自分が行けない代わりに烏達を護衛に頼んでいたと言う。それもこれも桃源郷から楓を守る為の弥一の優しさだった。
「先ほどの刺客、桃源郷の手先でまず間違いないでござる。八咫烏様、今後この家には鬼の結界が必要になるかと」
「…そうか」
烏本家は本来、磯五郎の張る結界で外からの攻撃を防いでいる。だが今回はその結界を突破されてしまった為、酒吞童子が直ぐにでも外から鬼の結界を張ってくれるとのことだった。
「楓!無事か⁈」
「弥一!」
扉が開けば弥一が息を切らして駆け込んできた。
「桃源郷に襲われたと連絡があって飛んできた。どこも怪我してないか⁈」
「うん、大丈夫だよ」
楓がそう言えば、弥一はホッと息をつく。
「悪いが今日は戻るぞ。父さんには連絡入れたから直ぐ来る。ここには烏を何人か置いていく。八咫烏、構わないか?」
「ああ、問題ない」
磯五郎は楓に「また来なさい」と言って頭を撫でた。道場を出れば紅楊さんが待っていたので車に乗り込む。折角の特訓も暫くはお休みだ。
「あ、ねえ楓、親睦会の件は決まった?」
帰り際、美玲から言われ思い出す。年に一回、学校が運営する親睦会で、学校の生徒ならまず参加するもの。参加はまず気乗りしないが、立場上は出席しないとなので楓は渋々行く旨を伝えた。