「さしずめ貴様に出来ることは、この大会を勝ち抜き、その賞金を僕に渡すことだ」
「う、うん。それは勿論、最初から……」
ダン!と音をたて、清一郎が横の壁を殴りつけた。
「その上で、貴様は僕の側で一生タダ働きだ! それだけのことをしたんだからな。取れよ、責任を。生涯かけて僕に償い続けろ!」
「せ、清一郎……」
「おいおいおい、ちょっと待て!」
妹分の窮地を見かね、正宗が割って入る。
「光乃、さっきの話は本当なのか? 八条家の家宝の皿を割ったって」
「う、うん。わざとじゃ、ないけど……」
「急に大会に出ると言い出したのも、この件が関係しているんだな?」
光乃がコクリと頷く。正宗は大きく息を飲み、そして吐き出した。
「なんで俺に相談しなかった」
「言えるわけないよ、だって正宗は絶対私を守ろうとする」
「清一郎殿」
正宗は光乃を押しのけ、清一郎に向かって頭を下げる。
「このたびはうちの光乃が申し訳ないことをした。賠償金に関しては、俺が一生かけて払うから、光乃のことは勘弁してやって欲しい」
「正宗!」
光乃が、正宗の着物の胸元を掴む。
「そんなのだめだよ! 正宗ならそう言うと思ったから、私は……」
「断る」
鼻に皺を寄せ、清一郎は正宗を睨みつけた。
「貴様が責任を取ると言うなら、今すぐここで一万円を渡せ」
「それは無茶な話だ。だが、俺が店を継いだ後なら必ず返すと誓う」
「話にならんな」
清一郎は冷たく笑った。
「償いをするのは日吉光乃、貴様本人だ。それ以外は認めん」
「清一郎……」
「用意をしておけ。僕と共にこの町を去り、辺境の地で一生こき使われる準備をな!」
言い残し、清一郎はその場を後にした。
「……最低だな、あいつ」
正宗が怒りを含んだ声で低く唸る。
「心配するな、光乃」
大きな手が、光乃の華奢な肩をそっと包んだ。
「俺が必ず助けてやる。こんな馬鹿馬鹿しい大会に出るのも、もうやめちまえ」
慈しみに満ちた正宗の声に、光乃は涙が出そうになりながらも首を横に振る。
「……最後までやらせて。私が清一郎に出来るのは、これくらいだから」
正宗が、鼻から大きく息を吐いた。
「お前はそういう奴だよなぁ……」
その日、泣きながら往来を駆け抜ける華族の青年の姿を、何人もが目撃した。
「くそっ! くそ、くそっ!」
仕立てのいい服は汗まみれになっている。髪を振り乱しながら、清一郎は走り続けた。
(どうしてあんな言い方しかできない! 僕は、僕は……!)
『おおだけ屋』の若旦那が光乃を背に庇い、店を継いだ後に支払うと言った時、腹の煮えくり返る思いがした。きっとあの男は、隣に光乃がいる未来を見ているのだろう。
(違う、光乃、僕だって……!)
彼女を守りたいと思ったのは本当だ。だからこそ、皿の件では彼女の名を隠した。しかし同時に彼女に罪悪感を与えたままなら、そこへ付け込み我が物に出来ると考えたのもまた事実だった。
(僕は卑怯者だ!)
清一郎は屋敷に駆け込み自室へ戻ると、枕に顔を押し当て声が漏れぬように慟哭した。
準決勝の日がやって来た。
「頑張ってこい」
正宗に見送られ、光乃は選手控室へ向かう。その途中、一人の女性に呼び止められた。
「日吉光乃さん、でしたわね」
振り返った先にいたのは、すらりと整った体つきの若い女性だった。綺麗な顔からは、気品と自信があふれている。他の参加者同様剣術の道着を身に着けているにもかかわらず、一瞬、彼女が纏っているのがドレスであるかのような錯覚を覚えた。「華族のお姫様だ」光乃は本能でそう察した。
「あなたは?」
「わたくしは桃小路緑子。本日のあなたの対戦相手ですわ」
「そうなんだ、よろしく」
一礼した光乃に対し、緑子はツンと顎を逸らしたまま腰に手をやり、小柄な光乃を見下ろしている。
「あなたですわよね? 優勝しても妻の座を辞退して良いかと、朔哉様におっしゃったのは」
「う、うん」
「欲しいのはお金だけ、ということでよろしいかしら?」
はっきりと問われ、光乃は自分が金の亡者になった気がして少し恥じ入る。しかし戸惑いながらも肯定すると、緑子はぱっと表情を明るくした。
「ならば話は早いですわ! わたくしがあなたに一万円を差し上げます」
「えっ?」
「ですので、光乃さん」
緑子はにこにこと目を細めながら、ぽんと両手を打ち鳴らす。
「この準決勝、辞退していただけませんこと?」
「う、うん。それは勿論、最初から……」
ダン!と音をたて、清一郎が横の壁を殴りつけた。
「その上で、貴様は僕の側で一生タダ働きだ! それだけのことをしたんだからな。取れよ、責任を。生涯かけて僕に償い続けろ!」
「せ、清一郎……」
「おいおいおい、ちょっと待て!」
妹分の窮地を見かね、正宗が割って入る。
「光乃、さっきの話は本当なのか? 八条家の家宝の皿を割ったって」
「う、うん。わざとじゃ、ないけど……」
「急に大会に出ると言い出したのも、この件が関係しているんだな?」
光乃がコクリと頷く。正宗は大きく息を飲み、そして吐き出した。
「なんで俺に相談しなかった」
「言えるわけないよ、だって正宗は絶対私を守ろうとする」
「清一郎殿」
正宗は光乃を押しのけ、清一郎に向かって頭を下げる。
「このたびはうちの光乃が申し訳ないことをした。賠償金に関しては、俺が一生かけて払うから、光乃のことは勘弁してやって欲しい」
「正宗!」
光乃が、正宗の着物の胸元を掴む。
「そんなのだめだよ! 正宗ならそう言うと思ったから、私は……」
「断る」
鼻に皺を寄せ、清一郎は正宗を睨みつけた。
「貴様が責任を取ると言うなら、今すぐここで一万円を渡せ」
「それは無茶な話だ。だが、俺が店を継いだ後なら必ず返すと誓う」
「話にならんな」
清一郎は冷たく笑った。
「償いをするのは日吉光乃、貴様本人だ。それ以外は認めん」
「清一郎……」
「用意をしておけ。僕と共にこの町を去り、辺境の地で一生こき使われる準備をな!」
言い残し、清一郎はその場を後にした。
「……最低だな、あいつ」
正宗が怒りを含んだ声で低く唸る。
「心配するな、光乃」
大きな手が、光乃の華奢な肩をそっと包んだ。
「俺が必ず助けてやる。こんな馬鹿馬鹿しい大会に出るのも、もうやめちまえ」
慈しみに満ちた正宗の声に、光乃は涙が出そうになりながらも首を横に振る。
「……最後までやらせて。私が清一郎に出来るのは、これくらいだから」
正宗が、鼻から大きく息を吐いた。
「お前はそういう奴だよなぁ……」
その日、泣きながら往来を駆け抜ける華族の青年の姿を、何人もが目撃した。
「くそっ! くそ、くそっ!」
仕立てのいい服は汗まみれになっている。髪を振り乱しながら、清一郎は走り続けた。
(どうしてあんな言い方しかできない! 僕は、僕は……!)
『おおだけ屋』の若旦那が光乃を背に庇い、店を継いだ後に支払うと言った時、腹の煮えくり返る思いがした。きっとあの男は、隣に光乃がいる未来を見ているのだろう。
(違う、光乃、僕だって……!)
彼女を守りたいと思ったのは本当だ。だからこそ、皿の件では彼女の名を隠した。しかし同時に彼女に罪悪感を与えたままなら、そこへ付け込み我が物に出来ると考えたのもまた事実だった。
(僕は卑怯者だ!)
清一郎は屋敷に駆け込み自室へ戻ると、枕に顔を押し当て声が漏れぬように慟哭した。
準決勝の日がやって来た。
「頑張ってこい」
正宗に見送られ、光乃は選手控室へ向かう。その途中、一人の女性に呼び止められた。
「日吉光乃さん、でしたわね」
振り返った先にいたのは、すらりと整った体つきの若い女性だった。綺麗な顔からは、気品と自信があふれている。他の参加者同様剣術の道着を身に着けているにもかかわらず、一瞬、彼女が纏っているのがドレスであるかのような錯覚を覚えた。「華族のお姫様だ」光乃は本能でそう察した。
「あなたは?」
「わたくしは桃小路緑子。本日のあなたの対戦相手ですわ」
「そうなんだ、よろしく」
一礼した光乃に対し、緑子はツンと顎を逸らしたまま腰に手をやり、小柄な光乃を見下ろしている。
「あなたですわよね? 優勝しても妻の座を辞退して良いかと、朔哉様におっしゃったのは」
「う、うん」
「欲しいのはお金だけ、ということでよろしいかしら?」
はっきりと問われ、光乃は自分が金の亡者になった気がして少し恥じ入る。しかし戸惑いながらも肯定すると、緑子はぱっと表情を明るくした。
「ならば話は早いですわ! わたくしがあなたに一万円を差し上げます」
「えっ?」
「ですので、光乃さん」
緑子はにこにこと目を細めながら、ぽんと両手を打ち鳴らす。
「この準決勝、辞退していただけませんこと?」