翌日セシルは宣言通り早く帰ってきて、頼んでいた本を渡してくれた。一つは読んでいる小説の続きと、薬草の本だ。真っ先に薬草の本を捲ると、薬草の種類や絵と共に、育て方や使い方が書いてあった。

「薬草、育てたいの?」

 フィオナが捲っているページを覗き込んで、セシルが問いかけてくる。静かに頷けば、彼の身体がより近づいた。肩と肩が触れ合って、彼の指が白い本にのびる。

「難しそうだね。手伝おうか」

 先ほどまで落ち着いていた彼の声が、急に明るくなる。手伝ってほしいとは一言も言っていないのに、二人で薬草を育てられると信じて疑っていないようだった。

「セシル、忙しいでしょ」
「ん。でも薬草育てるの、楽しそう」

 何を育てたいの。セシルがにこやかに尋ねてくる。
 本当は一人で育てたい。土を整えるのも、種を植えるのも、水をあげるのも全部ひとりでやりたい。そうすれば自分の力で薬草を育てられたということになる。だけどセシルが手伝ってしまえば、彼が作ったことになってしまう。彼に手柄を横取りするつもりがなくても、両親はフィオナが手をかけたものだということを知らぬふりをする。

 刺繍だとか編み物だとか、部屋に籠りながらできる趣味はやりつくした。同じ年ごろの貴族の娘と競い合っても、さして劣ることはないだろう。だけど自分は、この世に存在しない者として扱われている。誰かと恋をすることもなければ、結婚をすることもない。だからそんな女らしい教養なんて、両親にとっても、他の誰にとっても、価値を見出せないものでしかない。

 薬草作りなら、まだ望みはあるかもしれない。両親が認めないにしても、人の役に立つ可能性はある。自分という存在がないものとして扱われていても、作ったものは受け入れられるかもしれないのだ。

「一人で、やれると思う」

 想像していた通り、彼の顔が曇った。整った眉が下がり、菫色の瞳がわずかに潤む。

「本当に」
「多分」

 自信はない。だけど、彼と一緒に作ったものになってしまうのは、困る。フィオナの人生の全てが、この家の中に囚われたままになってしまう。

 薬草を育てたことはない。それどころか、小さな花すら育てたこともない。庭師には避けられているから、土いじりを教えてくれる人もいない。たった一人でやるのは不安ばかりだけれど、諦めという選択肢はフィオナの心をひどく暗くする。

 彼は顎に手を当て、じっと考え込むような仕草を取った。それからゆっくりとこちらの目を見て、静かに言葉を紡いだ。

「本当に、一人でできるの」
「そんなのやってみないと」
「庭は用意した?」

 まだだ。道具も土も、肥料も種もまだだ。育てるのに必要なものが、何一つとして揃っていない。

「花壇の端でも借りるつもりだった? そんなの父さんも母さんも許してくれないよ」

 言い返したい気持ちはあったが、彼の言う通りだった。花壇を使いたいと言ったら鼻で笑われるだろうし、勝手に使ったとしても母に怒鳴られて、育てたもの全てを台無しにされるのが落ちだ。

 結局、セシルがいないとだめなのだ。ほんの少しの自由を得ようとしても、そのきっかけすら掴めない。
 この不自由で退屈な生活はきっと罰なのだろう。胎の中で片割れの大切なものを奪ってきた罪を、生まれ落ちた後に償わされているのだ。

「そうね。セシルから、お父様に頼んでくれる?」
「うん。今日にでも頼んでみる」

 彼の表情が穏やかなものに戻り、それからフィオナの手に優しく触れた。
 欲しいものがあったら何でも言って。俺が用意するから。彼の明るい言葉に、何も言わずに頷くしかなかった。