家の中と庭、窓から覗く景色。それだけが、フィオナにとっての世界の全てだった。
強力な魔法が使える者が頂点に君臨する世界において、自分のように魔法が使えない人間は弱者であり、強者にとっては都合の良い獲物でしかない。
親も弟も使用人も口を酸っぱくしてフィオナに外に出ないように言う。ただ、家の中にずっといるのはあまりにも退屈だ。
本を読むのは楽しいが、外に出て遊びたい、知らないものに触れてみたいという欲求を強くするだけだ。双子の弟が聞かせてくれる話は面白いけれど、それで退屈が埋まるほど外への憧れは小さくない。
幼い頃、こっそりと家を抜け出したことがある。その度に攫われそうになったり、襲われそうになったりして、成長した今では退屈を誤魔化しながら家の中に籠るようになっていた。
「フィオナ、欲しいものはなんだい」
弟は毎朝この質問をする。昨日の本はもう読み終わったかい。面白かったかい。そんな何気ないやりとりを楽しみつつも、こちらが欲しいものを答えるまで、彼は会話を終わらせようとしない。
話している間、彼の菫色の瞳はじっとこちらを向いて、フィオナの姿を映し続けている。彼の太陽の光を編んだような金髪も、笑ったときに切れ長の目が細められる様子も、人を魅了するものであるとは知っている。しかしそれらを向けられると、どう扱っていいのかが分からなくなる。爪の形が気になるふりをして、いつもいつも、俯いてしまう。
「そうね。あの本の続きがほしいかな」
「分かった。今日用意するよ」
彼が優しく笑い、フィオナの手を静かにとった。先ほどまでフィオナが剥こうとしていたささくれに指で触れて、それから何もなかったように自らの口元に運んだ。
軽い口づけ。数年前からずっと続いている儀式。やめてほしいと伝えたことは何度もあるけれど、これをしない限り彼は出掛けることはないのだと、随分前に諦めた。彼曰く「出かける前に魔力を補給している」とのことだから、断る理由も見つけられなかった。
「セシル。もう出かけないと、授業に遅れるわよ」
「うん。それじゃあ行ってくるね、フィオナ」
ひらりと彼が手を振り、部屋から出ていく。その軽やかな足音が、フィオナには羨ましいものでしかない。
きっと彼は、日々に退屈なんてものが挟まる間もなくて、毎日が充実しているのだと思う。フィオナの退屈を慮って、いつもいつも気を紛らわせようとしてくれるけれど、結局彼は自由な身の上だ。彼に魔力を与えるために生きている自分なんかとは違うのだ。
自分たち双子は胎の中にいるときに、魔力とそれを使う能力の配分を間違えたらしい。フィオナは魔力を作り出す能力を二人分持っていたが、セシルにはその能力は備わっていなかった。フィオナが魔力を魔法に変える力を持っていなかった分、セシルはそれを二人分持って生まれてきた。
この世において、魔力と魔法のどちらかを持たないのは致命的だ。より深刻なのは、魔力を生み出す力がない方。魔力とは生命力であり、それが尽きてしまえば死に繋がるのだ。
自分たち二人は、お互いの大切なものを奪いあって生まれてきたのだと思う。一度奪ったものは返せないし、返そうとしたところで完全に補うこともできない。補えたとしても、それは何かを失って得た結果であって、元通りになるわけではない。
「フィオナ様。お召し替えを」
幸いというきか不幸というべきか。自分たちが生まれた家は貴族で、使えない人間を飼い殺すだけの財力はある。フィオナがセシルに魔力を与えさえすれば彼は生きられると分かってから、自分はただそうであるように飼われている。物心がつく前から、赤子の頃からずっと、自分はセシルを生かすための道具だ。
「どうせ外に出ないし、一日パジャマでも良いじゃない」
「しかし、こちらはセシル様が昨日あなたにプレゼントされたのです。お召しになれば喜ばれるかと」
「いつの間に」
セシルにどう思われているのか、未だにフィオナは分からない。両親がフィオナのことを道具としか思っていないのは間違いないだろうけれど、彼の気持ちは十八になった今でも読めないままだ。
彼の境遇を考えれば自分と同じように妬みや憎しみを抱えていたっておかしくない。だけど彼はフィオナを詰ったことがないどころか、冷たい態度をとったことすらないのだ。それは温かい愛を注がれているように思える一方で、氷のように冷え切ったものを隠しているようにも感じられる。だから彼の本心に触れるのが怖くて仕方ないのだ。
「セシル様は今日は魔法学の実技試験だそうですよ。きっとフィオナ様がこのお洋服でお出迎えされるのを楽しみにして――」
「わかった、わかったから」
渋々着替えを了承すると、侍女は嬉しそうに淡い色の洋服を広げた。シンプルながらも細かい装飾がされたそれは確かにフィオナの好みであり、彼のセンスの良さが現れたものだった。
好みの服を与えられたのは嬉しい。だけど、こちらが何も言っていないのにこうも簡単に好みを当てられると、複雑な気持ちになる。
彼のことは分からないことばかりなのに、彼はこちらのことは分かっているみたいで不公平だと思うし、知っているふりなんかしないで、と叫びたくもなる。それは自分が何も知らないことに対する八つ当たりでしかないのだろうけれど、憎らしいとすら思っている相手の庇護下に置かれている事実から目を逸らせなくなるから、苦しかった。
強力な魔法が使える者が頂点に君臨する世界において、自分のように魔法が使えない人間は弱者であり、強者にとっては都合の良い獲物でしかない。
親も弟も使用人も口を酸っぱくしてフィオナに外に出ないように言う。ただ、家の中にずっといるのはあまりにも退屈だ。
本を読むのは楽しいが、外に出て遊びたい、知らないものに触れてみたいという欲求を強くするだけだ。双子の弟が聞かせてくれる話は面白いけれど、それで退屈が埋まるほど外への憧れは小さくない。
幼い頃、こっそりと家を抜け出したことがある。その度に攫われそうになったり、襲われそうになったりして、成長した今では退屈を誤魔化しながら家の中に籠るようになっていた。
「フィオナ、欲しいものはなんだい」
弟は毎朝この質問をする。昨日の本はもう読み終わったかい。面白かったかい。そんな何気ないやりとりを楽しみつつも、こちらが欲しいものを答えるまで、彼は会話を終わらせようとしない。
話している間、彼の菫色の瞳はじっとこちらを向いて、フィオナの姿を映し続けている。彼の太陽の光を編んだような金髪も、笑ったときに切れ長の目が細められる様子も、人を魅了するものであるとは知っている。しかしそれらを向けられると、どう扱っていいのかが分からなくなる。爪の形が気になるふりをして、いつもいつも、俯いてしまう。
「そうね。あの本の続きがほしいかな」
「分かった。今日用意するよ」
彼が優しく笑い、フィオナの手を静かにとった。先ほどまでフィオナが剥こうとしていたささくれに指で触れて、それから何もなかったように自らの口元に運んだ。
軽い口づけ。数年前からずっと続いている儀式。やめてほしいと伝えたことは何度もあるけれど、これをしない限り彼は出掛けることはないのだと、随分前に諦めた。彼曰く「出かける前に魔力を補給している」とのことだから、断る理由も見つけられなかった。
「セシル。もう出かけないと、授業に遅れるわよ」
「うん。それじゃあ行ってくるね、フィオナ」
ひらりと彼が手を振り、部屋から出ていく。その軽やかな足音が、フィオナには羨ましいものでしかない。
きっと彼は、日々に退屈なんてものが挟まる間もなくて、毎日が充実しているのだと思う。フィオナの退屈を慮って、いつもいつも気を紛らわせようとしてくれるけれど、結局彼は自由な身の上だ。彼に魔力を与えるために生きている自分なんかとは違うのだ。
自分たち双子は胎の中にいるときに、魔力とそれを使う能力の配分を間違えたらしい。フィオナは魔力を作り出す能力を二人分持っていたが、セシルにはその能力は備わっていなかった。フィオナが魔力を魔法に変える力を持っていなかった分、セシルはそれを二人分持って生まれてきた。
この世において、魔力と魔法のどちらかを持たないのは致命的だ。より深刻なのは、魔力を生み出す力がない方。魔力とは生命力であり、それが尽きてしまえば死に繋がるのだ。
自分たち二人は、お互いの大切なものを奪いあって生まれてきたのだと思う。一度奪ったものは返せないし、返そうとしたところで完全に補うこともできない。補えたとしても、それは何かを失って得た結果であって、元通りになるわけではない。
「フィオナ様。お召し替えを」
幸いというきか不幸というべきか。自分たちが生まれた家は貴族で、使えない人間を飼い殺すだけの財力はある。フィオナがセシルに魔力を与えさえすれば彼は生きられると分かってから、自分はただそうであるように飼われている。物心がつく前から、赤子の頃からずっと、自分はセシルを生かすための道具だ。
「どうせ外に出ないし、一日パジャマでも良いじゃない」
「しかし、こちらはセシル様が昨日あなたにプレゼントされたのです。お召しになれば喜ばれるかと」
「いつの間に」
セシルにどう思われているのか、未だにフィオナは分からない。両親がフィオナのことを道具としか思っていないのは間違いないだろうけれど、彼の気持ちは十八になった今でも読めないままだ。
彼の境遇を考えれば自分と同じように妬みや憎しみを抱えていたっておかしくない。だけど彼はフィオナを詰ったことがないどころか、冷たい態度をとったことすらないのだ。それは温かい愛を注がれているように思える一方で、氷のように冷え切ったものを隠しているようにも感じられる。だから彼の本心に触れるのが怖くて仕方ないのだ。
「セシル様は今日は魔法学の実技試験だそうですよ。きっとフィオナ様がこのお洋服でお出迎えされるのを楽しみにして――」
「わかった、わかったから」
渋々着替えを了承すると、侍女は嬉しそうに淡い色の洋服を広げた。シンプルながらも細かい装飾がされたそれは確かにフィオナの好みであり、彼のセンスの良さが現れたものだった。
好みの服を与えられたのは嬉しい。だけど、こちらが何も言っていないのにこうも簡単に好みを当てられると、複雑な気持ちになる。
彼のことは分からないことばかりなのに、彼はこちらのことは分かっているみたいで不公平だと思うし、知っているふりなんかしないで、と叫びたくもなる。それは自分が何も知らないことに対する八つ当たりでしかないのだろうけれど、憎らしいとすら思っている相手の庇護下に置かれている事実から目を逸らせなくなるから、苦しかった。