前略。
半年付き合った彼氏にフラれました。
「なんか、海花といてもドキドキしなくなったっていうか……」
「海花ってしっかりしてるし、俺がいなくても平気っぽいじゃん? もはやオカンみたいに思えてきて」
「好きなのかわからなくなった。ごめん」
以上、別れ際に彼に言われたセリフ(一部抜粋)である。
困ったように笑う彼の目を思い出し、私は、
「……はぁ」
部屋を片付けながら、深いため息をついた。
お互い二十七歳。結婚も意識していた。
彼といると落ち着くし、このままずっと一緒にいたいと、そう思っていた。
けれど……
彼が求めていたのは『落ち着き』ではなく、『ときめき』だったらしい。
別れを切り出された時、言いたいことがいくつも頭に浮かんだ。
私だって、彼に全く不満がなかったわけではない。
でも、何も言わなかった。
言ったところで、『別れる』という結末は変わらない。
そう思うと……上手く言葉が出てこなかった。
一人暮らしの私の部屋には、彼の私物がいくつも残されていた。
実家暮らしの彼が週末だけ泊まりに来て、半分同棲みたいな形になっていたから。
それらの私物を集め、ダンボールへ詰めていく。
彼に、送るよう頼まれたのだ。
そのことを友達に話したら、「甘やかし過ぎだ」と怒られた。
別れを切り出したのは向こうなのに、どうして海花が送る手配をしなければならない? そういう世話焼きなところが男をダメにするのだ、と。
その通りすぎて、ぐうの音も出なかった。
甘え下手で、可愛げのない性格であることは自覚している。
……駄目だ。少し手を止めると、ぐちゃぐちゃ考えてしまうな。
今は無心で、部屋の片付けに専念しよう。
まさか付き合って半年祝いのために取っていた有給休暇を、破局後の大掃除に使うことになるとは思わなかった。
なんて、再びため息をつき、顔を上げる。
私の家は単身向けのマンションで、リビングから続く廊下の先には、広いとは言えない玄関が見える。
その隅に、黒い傘が一本、無造作に立て掛けてあった。
……あの傘も、彼が残したもの。
もういらないから処分してほしいと、彼に言われた。
……傘って、何ゴミの日に出せば良いんだろう?
スマホで調べると、私の住む自治体では分解して捨てなければならないようだった。
具体的には、金属類である骨組みと、可燃ゴミである布部分をバラバラにしないといけない。そのまま捨てると粗大ゴミとしてお金がかかるのだそうだ。
「……めんどくさ」
友人の言う通り、どうして私がここまでしなければならないのかと、今更ながらに苛立ちを覚える。
しかし、請け負ってしまったからには最後までやるしかない。
軍手を嵌め、糸切りバサミを用意し、玄関へ向かう。
そして傘を手に取り、玄関の縁に座って、解体を始めた。
傘の構造なんてじっくり見たことはなかったが、骨の一本一本まで糸でしっかりと縫い付けられていた。
そこにハサミを入れ、黒い布を取り外していく。
「……なるほど。ここを外せば一気に切り離せるのか」
構造を理解した後は、より早く解体が進んだ。
昔から、こうした分解作業は得意だった。例えば、固結びされた友達のミサンガを解いたり、ぐちゃぐちゃになった職場のコード類を解いたり……高校時代、知恵の輪が流行った時にも、誰にも解けない難しいやつをあっさり外して驚かれたことがある。
とはいえ、何の役にも立たない特技だ。
彼との関係も、見事にバラしてしまったわけだしね。
なんて自嘲しながらハサミを入れ――
この傘に纏わる記憶を、ぼんやりと思い出した。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
今から半年前。
職場の同僚に誘われ、初めてコンパというものに参加した。
元々参加予定だった人が体調不良になり、人数合わせで急遽召集されたのだ。
しかし、お酒に弱く、二杯目から烏龍茶を飲んでいた私は、酔い始めた周りの雰囲気に居心地の悪さを感じ、お金を多めに置いて「ごめん、帰るね」と二時間足らずで席を立った。
昔から大勢で騒ぐのが苦手だった。特に、初対面の人とのノリを見極めるのが難しい。
失礼がないようにと丁寧に返せばつまらなそうな顔をされ、ノリよく返そうと例えツッコミなんかをすれば、ポカンと白けさせてしまう。
愛嬌もユーモアもない、真面目なだけのつまらない女。
そのことを思い知らされるようで、いつからかこうした飲みの席を避けるようになっていた。
(……やっぱり、私にはコンパとか向いていないや)
下駄箱からパンプスを取り出し、笑い声の響く店内を背に、外へ出る。
深夜の繁華街には、雨が降り出していた。
夜から雨が降ることは、天気予報で事前に把握済みだった。
私は鞄に手を入れ、折り畳み傘を取り出そうとする――と、
「――あの!」
後ろから、声をかけられた。
振り返ると、一人の男性が立っていた。
同じコンパの参加者で、私の斜め向かいに座っていた人だ。
彼は私の前に立つと、緊張した面持ちになって、
「俺も帰ります。傘あるので……一緒に入りませんか?」
と、黒い長傘を差し出した。
突然の申し出に、私は暫し呆けたのち……こう返す。
「あ、傘ならあるので大丈夫です。お気遣いありがとうございます。みなさんまだ飲まれていますよね? 戻っていただいて結構ですよ」
言って、折り畳み傘を取り出す私。
しかし、彼は慌てて手を振り、
「いや、違くて! 俺は、あなたと一緒にいたいというか……!」
そう口ごもりながら言うので、私は意図がわからず首を傾げる。
彼は意を決したように顔を上げ、私を見つめると、
「……あなたのことが気になります。二人で、少し歩きませんか?」
そう言って、黒い長傘を、あらためて差し出した。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
――それが、元カレとの出会い。
その後、何回か食事をして、付き合うことになったのだ。
こうして振り返ると、私の振る舞いは最初から可愛げがなかった。
甘え上手な人ならきっと、折り畳み傘を持っていることを隠し、素直に彼の傘に入っていただろう。
しかし、そうした反省も、もはや無意味だ。
私も、この傘も……彼に捨てられてしまったのだから。
「…………」
私は、骨組みに縫い付けられた最後の糸をハサミで切る。
そして、真っ黒な布地を、ばさりと取り払った。
私の手でバラバラになった、思い出の傘。
これで、ちゃんと……捨てることができる。
「……ありがとう」
そして、さようなら。
そう胸の内で呟くと同時に、涙が一筋、溢れた。
その雫を手で拭い、骨だけになった傘の柄をそっと握った――その時だった。
――カッ!
傘から、目が眩む程の猛烈な光が放たれた。