バスを降りながら、ヘッドホンを返す。

「ありがとう、水野」

水野はそれを受け取って、何歩か歩いた歩道の上で急に立ち止まった。

「ありがとうってやめてくれない?
俺嫌いなんだ。ありがとうとかごめんねとか」

珍しいな。
ありがとうが嫌いな人も、水野が何かを嫌いと言い切るのも。

俺が何も言えず固まっていると、水野の口が言い訳をするように滑らかに動く。

「ありがとうって言ってほしいわけじゃない。
俺がしたいからしてる。
お前になら何されても嬉しい。
ありがとうもごめんねも、見返りを求めてるやつが使う言葉だ」

水野が言った言葉を咀嚼するのに時間がかかった。

またありがとうと言いそうになって口を噤んだ。
俺はまた、何も言えなかった。


当時は気づかなかった。
水野も俺と同じだったのだ。

世の中にある普通に抗いたくて、
燃やしたって灰にもならない反骨精神に塗れていた。

苦しくて、自分のいる意味さえ見失いかけて、でも今に繋がる大切な時間だった。