「ありがとうございます、みんな……!」

 ドレスを着替えて後宮の庭園へと向かうと、侍女達が総出でお茶会の用意をしてくれていた。彼女達は、マリアローズが本当は優しい性格の頑張り屋だと知っている。気心の知れた侍女達の完璧な用意に、マリアローズは泣きそうなほど感動した。彼女達の手助けがなかったならば、あの激務と並行してのお茶会など不可能である。

 シンプルな銀色のケーキスタンドは、快晴の空から降り注ぐ日の光で輝いて見える。焼きたてのスコーンとクロテッドクリーム、なによりそのそばにある苺のジャムは匂いもよく、ルビーのような色彩は見ているだけで甘美さを想像させる。その他も完璧だ。

 ティーポットやカップを見渡し、肩から力を抜いたマリアローズは、侍女の一人が引いてくれた椅子に座って、開始時刻を待った。

 少しすると日傘をさした淑女達が集まりはじめる。残暑が落ち着いてきた秋の庭園の薔薇のアーチをくぐってきたご令嬢や貴婦人達を、立ち上がってマリアローズが出迎えた。白を基調とした薔薇やユーパトリウムに彩られた緑の庭園にある、白いテーブルクロスの掛けられた長方形のテーブルに、一人、また一人と座っていく。

 マリアローズは時折振り返り、それを確認していた。その時だった。

「マリアローズ皇太后陛下」

 儚さが滲み出ているような、か細い声がした。そのソプラノの声の持ち主が、ナザリア伯爵令嬢のサテリッテだとすぐに思い当たったマリアローズは、顔を入口側へと戻す。すると声と同じように儚さを体現したかのようなご令嬢がそこには立っていた。現在十八歳の彼女は、この国の貴族としては結婚適齢期だが、まだ許婚がいるといった話は、マリアローズの耳には入っていない。国内の貴族女性の婚姻関係を、マリアローズは大体把握している。それもまた必要な仕事だからだ。

「ごきげんよう、サテリッテ」
「私のことを覚えていてくださって光栄です」

 するとサテリッテが、花が舞うようなと言う表現が相応しいとしか言いようがない表情をした。きっとその花は薄紅色をしているだろう。赤い肉厚の唇をしていて、少し垂れ目だ。体躯はとにかく細い。長い黒檀のような髪をしていて、深窓のご令嬢というに相応しい印象を与える。肌は雪のように白い。彼女はたおやかに左手を持ち上げて頬に当てる。彼女は左利きだ。確か趣味は絵画だったはずだ。

「どうぞお座りになって」

 マリアローズが笑い返すと、サテリッテが小さく首を振る。

「皇太后陛下がお立ちになっているのに、私が座るだなんて……」
「構わないわ」
「いいえ、お手伝いさせて下さいませ……私、少しでもお役に立ちたくて……マリアローズ皇太后陛下を尊敬しているので……その……おそばに……」

 消え入りそうな声でサテリッテが述べる。マリアローズは、曖昧に笑って頷いた。
 きっと良い子なのだろうとは思う。
 だがいつも、あんまりにもおだてられるので、正直居心地が悪い。

 しかし手伝ってくれるというのだし、その気持ちを無下には出来ないので、マリアローズはサテリッテに、隣に立ってもらった。そうして招待した最後のご婦人が来た直後だった。

「ごきげんよう、皇太后陛下。僭越ながら、俺も皆様にご挨拶をさせて頂きたくて参りました。宜しければ、椅子をもう一つ用意して頂けませんか?」

 そこに、よそ行きの顔としか言えない上辺の笑顔を浮かべたハロルド陛下がやってきたのである。あからさまにマリアローズの顔は嫌そうなものになったが、隣にサテリッテがいるのだと思い出し、慌てて引き締めた。結果、無表情になった。ハロルド陛下は、眉根を下げて、低姿勢にお願いしているような顔をしている。勿論国王陛下の来訪を断ったりは出来ない。

「よろしくてよ。どうぞお座りになって」

 声が震えそうになったし、顔に無理に笑顔を浮かべたせいで頬が引きつりそうになったが、マリアローズはなんとか堪えた。するとマリアローズの横を通り過ぎる一瞬だけ、フッと意地の悪い顔でハロルド陛下が笑った。マリアローズは舌打ちしそうになったが、必死で我慢する。

 それからサテリッテに気づかれていたらどうしようかと思い、彼女へと視線を向けた。そして目を瞠った。サテリッテは、ハロルド陛下を見ていた。それは予想通りだった。茶会の席の貴婦人もご令嬢も全員ハロルド陛下の顔に釘付けであり、みんな見惚れている。しかし、サテリッテは違った。スッと目を窄めてハロルド陛下の横顔を見ている。あまりにもその眼差しは冷ややかだった。マリアローズは思わず瞬きをした。すると次の瞬間には、サテリッテはいつもと同じ可憐な微笑に戻っていて、華奢な手を右頬に添えて、マリアローズへと顔を向けていた。そして柔和な声を小さく放つ。

「私……あ、あの恐れ多いのですが……ハロルド陛下をお慕いしておりまして……」
「あら、そ、そうなのね」

 先程の表情は見間違えだったのかと、動悸がしていた胸を撫で下ろす。マリアローズはそれから、少し納得した。ハロルド陛下に近づきたいのであれば、継母といえる己に取り入るのは近道だ。ハロルド陛下の正妃探しは急務であるし、サテリッテがそれを望んでいるのならば、悪い話ではない。他国の王族や皇族、国内の有力貴族やさらに位が高い貴族にも候補はいるが、サテリッテとて伯爵令嬢だ。少し検討してみようと、内心でマリアローズは考えた。

 その後始まったお茶会において、マリアローズはサテリッテの様子を見ていた。すると他の者達と同じように、ずっとハロルド陛下へと視線を向けていた。

 なにか話をするきっかけ作りをしてあげようかと考えて、マリアローズはハロルド陛下に声をかける事にした。

「ハロルド陛下、こちらの林檎ジャムをご覧になって?」
「林檎ジャムですか。中々、この王宮では見ない品ですね」
「ええ、そうなの。以前もご馳走になったのだけれど、とても美味なのよ。この林檎ジャムはナザリア伯爵領地の特産品の一つと聞いているわ。そこにいるサテリッテのお父様の領地ですの」

 マリアローズの声に、顔を上げたサテリッテは、両頬を持ち上げた。その髪と同じ黒檀のような瞳には輝きが増し、独特の雰囲気を醸し出している。守ってあげなければならないような雰囲気だ。

「ええ。マリアローズ皇太后陛下のお気に召して、私は幸せです。ハロルド陛下も宜しければ……その……お口に合うとよいのですが……」

 たおやかな仕草で、サテリッテが頬に手を添える。

「ありがとうございます。後ほど、執務の合間に頂くことにします。ところでマリアローズ皇太后陛下」

 折角話を振ったのに、ハロルド陛下が自分を見たものだから、マリアローズは残念な気持ちになった。

「髪の毛に蝶がとまっておられますよ」
「!?」

 マリアローズはびっくりして髪に触れた。

「冗談です」
「はぁ!?」

 思わずマリアローズは、普段の調子で声を出してしまった。周囲の空気が奇っ怪なものに変わってしまう。皆、マリアローズを見て、引きつった顔をしている。焦ってマリアローズは無かったことにしようと、咳払いをした。すると皆、空気を読んでくれたようで、普通に会話が再開した。

 以後は、何事もなくお茶会の時が過ぎていく。
 やっと終わった時、最後まで残っていたサテリッテが、何度も振り返って歩く彼女の背が見えなくなってから、脱力したマリアローズは椅子に座り込んだ。

「つ、疲れた……」
「だからこんなくだらない場は止めてしまえ言っているんだ」

 するとハロルド陛下が歩みよってきて、仏頂面で、マリアローズにしか聞こえない声で言った。呆れたようなその声に、マリアローズは睨んで返す。

「さっきの蝶々! 驚いたではありませんか!」
「マリアローズ様こそ俺にナザリア伯爵令嬢を紹介しようとしたな? 余計なお世話だ。その仕返しだ」
「ひ、人が折角……」

 マリアローズがムッとして唇を尖らせると、不愉快そうな顔をしてから、ハロルド陛下が庭園のアーチを見る。白い薔薇が咲いている。

「帰る」
「ええ、どうぞ。お帰りになって。私はみんなに来てくれたお礼状を書かなければなりませんから。というより、どうしてここに? 私の仕事を増やしにいらしたの?」
「一度見てみたかったんだ。皇太后陛下の仕事とやらを。では、な」

 そう言ってハロルド陛下が歩きはじめたので、目を据わらせて暫しの間、マリアローズは彼の背見ていたのだった。