……――た、かと思いきや。

「あああああ、なんでこの書類は統計が間違っているの!!」

 今日もマリアローズの声が、ハロルドの執務室に響き渡っている。
 本日も、公務は待ってくれない。

 すると結婚式の後、少しの間滞在すると言って、王宮の客間にいるクラウドが吹き出すように笑った。執務机の前に座っているハロルドと、虚ろな瞳で仕事をしていたマリアローズは、恨めしそうにクラウドを見る。

「いやぁ、僕は気楽だ。皇務はまだ僕の仕事ではないからな」

 それを聞くと、ふと思い出したようにハロルドが言った。

「そういえば、あの後どうなったんだ?」
「ん? 継母である第二王妃殿下には、退場願った。人生という舞台から。異母弟が、今頃同じ旅路を歩んでいるだろう、冥府への」
「そうか」
「僕は猟師ではないからな。ハロルドもそうだろう?」
「――ああ。だが俺には、俺の猟師がいる」
「幸せそうでなによりだ。射止められてしまったらしいな、ハロルド殿下は」

 そう言うと、クラウドは立ち上がる。

「少し宰相閣下と、外交の話をしてくる。有益な会談になることを祈っていてくれ」

 クラウドが出て行き、扉が閉まる音を聞いた時、それまで集中していて何も聞いていなかったマリアローズがやっと顔を上げた。

「ハロルド! 大変だわ! 披露宴で、勝手に追加で飲み物を頼んだ招待客がいるのよ! それが非常に非常に、それはもう非常に高いのよ!!」
「なんだと!?」

 ハロルドが眉間に皺を刻む。マリアローズは目を眇め、書類を睨んでいる。

「すぐに本人に請求するように言え」
「誰だか分からないのよ!!」
「使えないな」
「はぁぁぁぁ!?」

 マリアローズは頬を引きつらせて、巻き舌で怒りの瞳をハロルドへと向ける。
 だが――そのあと、微苦笑して、頷いた。

「分かったわ。すぐに探すわ」
「なっ……素直だな、どうかしたのか?」
「私は貴方の妻ですもの。主人の言葉は尊重致します」

 それを耳にすると、瞬時にハロルドが赤面し、悔しそうな顔を背けた。

「べ、別にいい! 他の奴にまわす!」
「あら? どうされましたの?」
「べ、別に、だ、だから、別に」
「『別に』が多いのではなくて?」

 焦っている時や、ばつが悪い時などに、ハロルドが『別に』という事を、とっくにマリアローズは知っていた。

「煩い。黙って他の書類をかたづけろ!!」

 このようにして、二人は以前と同じように仕事をこなし、時には口喧嘩をする事もあるが――概ね良好な関係を構築している。特にマリアローズが上手くハロルドの手綱を握っているのは間違いないだろう。

 その日、新しい王宮の部屋に戻ったマリアローズは、後宮から運んできた《魔法の鏡》に問いかけた。

「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのは誰?」
『それは幸せなお二人です』