そのような日々に耐え、結婚式当日が訪れたのは、春本番の頃の事だった。
 冬の雪が嘘のように消えているその日、快晴の空の下、マリアローズは婚礼衣装を身に纏った。侍女に手伝ってもらいながらドレスを着て、今は控え室にいる。ハロルドは先に準備を終えていたから、余裕そうに招待客のリストを眺めている。

 マリアローズは緊張を取ろうと、ミルクティーが揺れるカップを傾けている。
 ノックの音が響いたのはその時の事だった。

 二人が揃って顔を上げると、ゆっくりと扉が開き、ヨシュア師が顔を出した。二人は前正妃様にゆかりがあるこの聖ヴェリタ大聖堂で結婚式をする。ヨシュア師は、永遠の愛の誓いの証人になってくれる聖職者でもある。

 ヨシュア師は、マリアローズとハロルドをそれぞれ見てから、しわしわの顔をよりしわしわにして涙ぐむような笑顔を浮かべた。それから真っ直ぐにマリアローズの前に向かうと、一通の古びた手紙を差し出した。

「これは?」

 マリアローズが首を傾げながら受け取る。宛名は自分だ。
 どこか見覚えのある字だと感じていると、ヨシュア師が述べた。

「これは前皇太后陛下が、ハロルド陛下が婚姻を結ぶ時、その相手がマリアローズ様であればお渡しするようにと預かっていた手紙なのです」

 その言葉に、マリアローズは驚愕した。そうだ、この文字は、懐かしい前皇太后陛下の筆跡だ――と、すぐに想起してから、開封する。取り出した紙は、日焼けした封筒とは違い、真っ白で、百合と月の紋章の透かしが入っていた。本物の、正妃だけが使うことを許される便せんだ。

 マリアローズは視線を這わせ、その文字を追いかけた。



 マリアローズへ。

 貴女がこの手紙を読んでくれると、私は信じております。
 マリアローズが私の本当の娘になる姿を、とても見たかったわ。
 けれどもうすぐ、私の命の灯火はつきます。
 それは仕方がない事なの。死は等しく皆に訪れるのだから。
 もし私のために涙を零すような事があれば、私はそれが辛い。
 だからどうぞ、笑っていて下さい。いつものように眩しい太陽のような笑みでいて下さい。そしてこれからはずっと、ハロルドの隣にいてあげて。

 ハロルドは、もう長いこと貴女に片想いをしていたのだけれど、素直に言葉にすることが、どんどん出来なくなっていくようね。けれど今、この手紙を貴女が読んでいるのならば、ハロルドは少しは素直になったのかしら? 不器用なところがある子だけれど、本当は優しいと、貴女なら分かってくれると、私は信じております。

 一つだけお願いがあるの。
 マリアローズ、どうかハロルドを大切にしてあげて。
 それだけが私の願いです。




 長くもなく、短くもない、そんな手紙だった。それを読んでいたら、気づくとマリアローズの瞳は潤んでいた、涙がいつの間にか、筋を作って零れ始めた。

「マリアローズ?」

 驚いたように立ち上がったハロルドが、マリアローズの前に立つ。

「見せてくれ」
「――ダメよ。これは私あてなんだから」

 マリアローズはそう言うと、泣きながらではあったが、笑顔を浮かべる努力をした。それが、義母の願いなのだから。

「ハロルド」
「なんだ?」
「私、たくさん貴方を大切にするわ」
「――? もう十分されていると思うが?」
「もっとよ。もっと。もういらないと言っても、私はずっと大切にするんだからね」

 そう言って泣きながら笑うマリアローズを、優しくハロルドが抱きしめる。繊細な壊れ物を扱うように、丁寧に。