――さて。
非常に多忙な日々が再開した。年始の期間が過ぎてから、公務……結婚式の準備で、大忙しなのである。マリアローズは、毎日ひたすら招待状を書いている。最早誰が誰だか分からない状態だ。頭の中がぐるぐるしている。腱鞘炎になった右手を冷やしながら、涙を浮かべ、痛みをこらえ、マリアローズは激務に耐えている。
こんなに大変ならば、結婚なんてしなければよかった――とは、残念ながら思わない。早く公的にハロルドが自分のものだと証明したくてたまらない一心で、ひたすらマリアローズは招待状を書いている.。時に険しい顔をし、美しい顔の眉間に皺を寄せ、万年筆で達筆な文字を綴っていく。
「マリアローズ、今日は披露宴の料理の試食会だ」
そこへハロルドが声をかけた。
「待って。もう少しで書き終わるの!」
「遅刻する!」
「待って!」
「早くしろ!!」
怒鳴り合いながらの執務室の風景は、日常と化した。
それから慌ててドレスを着替えて、マリアローズは正門へと向かう。すると先に来ていたハロルドが呆れたように大きく息を吐いてから、マリアローズに手を差し出した。その上に指をのせ、二人は馬車に乗り込む。
到着したのは、王都でも格式が高く味に定評がある料理店だった。
当初は王宮のシェフに頼もうかと考えていたのだが、ハロルドの判断として王室御用達の箔付けの方が重要だと決まり、この店に依頼する事になった。
二人の姿に礼服姿の支配人が顔を出し、恭しく腰を折る。
するとハロルドがよそ行きの、上辺の笑みを浮かべた。その豹変ぶりに、今度はマリアローズの方が呆れそうになったが、深く息を吸って吐いてから、こちらも微笑してみせる。
個室に案内されたマリアローズ達は、コースで運ばれてくる一皿一皿の味と見た目、香りや色彩の確認をした。
帰り際、出てきた支配人に、ハロルドが満面の笑みを浮かべる。上辺だけだが。そうしていると白雪王の名に相応しいなとマリアローズは考える。だけど――自分だけが知る、意地悪だけど優しくて、冷酷だけどどこか脆い、そんなハロルドの方が好きだとマリアローズは思っている。
「とても美味でした。当日も宜しくお願い致します」
ハロルドの声に、再び深く支配人が腰を折った。実際美味しかったとマリアローズも思ったので微笑して頷いておいた。
こうして二人は、帰りの馬車の中へと乗り込んだ。
舌鼓を打った一時は、準備の一環ではあったがとても満たされた気がする。とはいえ、馬車の中で二人きりになった瞬間、気が抜けてマリアローズは、深々と息を吐いた。
「はぁ、今日の仕事はこれで終わりですね」
「ああ、そうだな」
隣に座っているハロルドは、窓の外にちらほらと舞い始めた雪を一瞥し、こちらも深く吐息している。マリアローズがそちらを見ると、ハロルドもまた彼女を見て、それから微苦笑した。
「仕事と考えるのも、少し悲しいな。なにせ一生に一度のことだ。俺の場合は」
「そ、そうね。でも、私だって、試食なんてしたのは初めてのことよ?」
「だろうな。マリアローズは後宮からほぼ出たことが無かったのだから」
そう言うと、ハロルドがマリアローズの肩をそっと抱き寄せた。素直にそうされて、マリアローズは頭をハロルドの肩に預ける。
そのまま暫しの間無言でいたが、そこに気まずさは決してない。
そんな風にして二人は帰還した。