こうして新年が訪れた。
王宮は新年から多忙を極める。というのは、新年最初の日から三日間、貴族達が国王に挨拶をするという決まりがあるからだ。
玉座に座ったハロルドの隣に設けられた、今はまだ皇太后としての椅子に、マリアローズは腰を下ろし、扇を手にしている。本日のドレスは紫色だ。髪は結い上げている。
「おはようございます、陛下。マリアローズ様」
最初に訪れたのは宰相閣下だった。挨拶を受けるハロルドの隣に控えているのも、宰相の大切な仕事であるので、誰よりも早く王宮へと訪れた次第だ。
三人で新年の挨拶を交わしてから、宰相閣下は、ハロルドの隣に立つ。マリアローズがいるのとは逆側だ。それから一時間ほどして、一人、また一人と貴族達が訪れ始め、玉座へと続く絨毯の前には列が出来た。これが三日間続く。
ハロルドは一人一人に微笑し、実に優しそうな声をかけている。
人格者にしか見えない。
ここのところは甘い言葉を囁かれてばかりのマリアローズではあるが、やはり現在のハロルドの姿は上辺のものにしか見えない。卓越した作り笑いだ。
マリアローズも声をかけられる度に、挨拶客と歓談した。
退座できたのは、午後二時頃で、軽食を急いで口に運んでからすぐに戻った。夜には、新年を祝う夜会が控えている。こちらには、挨拶に来た貴族の夫人も参加する。
時間が迫った頃、マリアローズは着替えるために、先に退出した。
今宵も、ハロルドと同伴することになっている。
侍女に手伝って貰って着付けを終えてから私室で待っていると、ノックの音がして、ハロルドが訪れた。
「行くぞ」
「ええ!」
大きく頷き、マリアローズは扉から外へと出た。腕を組んで二人で歩き、会場へと向かう。開け放されていた扉から中へと入ると、既に宮廷音楽家達が、流麗な調べを奏でていた。立食式で、天井のシャンデリアの光を受け、各地にあるシャンパンタワーが煌めいて見える。果物が飾られたテーブルの前を通り過ぎ、ハロルドとマリアローズは、王族が立つと決まっている位置へと進んだ。ここでも挨拶を受けるので、二人のがわは位置をあまり変えないようにし、参加者達も二人を長時間拘束することはしないというしきたりがある。
これも決まりであるが、最初に訪れたのは宰相閣下とその夫人だった。
仲睦まじそうに腕を組んでいる。
普段の仕事の鬼である厳しい姿からは想像もつかないのだが、宰相閣下は愛妻家だと評判だ。そして宰相夫人は、マリアローズに次いで、貴族社会の女性を束ねる地位にあるので、マリアローズは何かと顔を合わせる機会がある。ただ分担しており、マリアローズは歳が若いので、少し上の世代の女性達を、主に宰相夫人はまとめてくれる事が多い。マリアローズは、いつも感謝している。
宰相夫人のエレネーゼは、金色の髪を結い上げ、少しつり目の凛とした青い目を、マリアローズとハロルドに向けてから、柔らかく唇の両端を持ち上げた。
ハロルドと宰相閣下の挨拶が一区切りしたところで、改めてマリアローズは声をかける。
「ようこそおいで下さいました、エレネーゼ様」
「こちらこそお招き有難うございます、マリアローズ陛下」
どちらかといえばエレネーゼはきつい印象を与える顔立ちなのだが、心根が優しいことを、マリアローズはよく知っていた。たとえば以前、マリアローズが主催した茶会の席に、親猫とはぐれてしまった様子の仔猫が入り込んできたことがある。痩せ細っていたその仔猫を、エレネーゼは連れ帰り、今も育てていると聞いている。王宮の庭園には、ちょくちょく猫が訪れるので、こういう事もあった。考えてみると、猫には様々な思い出があるなと、マリアローズは考えた。
宰相夫妻と挨拶を済ませると、次の招待客の番になった。
こうして夜会が終わるまでの間、マリアローズはハロルドの隣で、挨拶に勤しんだ。
それらが終わったのは、日付をまわってからのことだった。明日と明後日も同様の日程なので、マリアローズは早めに休むことにした。
そのように、なんとか年始めの三日間を乗り切り、やっとひと息つける時間が訪れたのは、新年の四日目のことである。本日から、王宮で働く者は、順次休みを取り始める。逆に宰相閣下をはじめ、主に文官や騎士などは、仕事を本格的に始める。
「怒濤だったわね」
ベッドに寝転がり、マリアローズは虚ろな目で天井を見上げた。
すると横に寝そべって書類を見ていたハロルドが、喉で笑った。
「そうだな。年明けが一番忙しないかもしれないな」
「そうね」
素直に頷いたマリアローズの横で、ベッドサイドのテーブルに、ハロルドが書類を置く。そしてマリアローズの方を見て寝転んだ。マリアローズもハロルドの方を見ているため、正面から目が合う。
「お前が隣に居てくれると心強い」
「それは私も同じ気持ち。来年からも、二人なら、やれそうね」
「ああ、乗り切ろう」
こういう部分では、恋仲というより戦友という表現もしっくりとくる二人だった。
この日は、ゆっくりと眠り、二人は英気を養った。