無事にプレゼントを買えたので、明るい気分でマリアローズは王宮に戻ろうとしていた。
その時の事である。
「ごきげんよう、マリアローズ皇太后陛下」
不意に声をかけられたマリアローズは、顔を上げて、そこにサテリッテがいたものだから驚いた。もしかしたら、ハロルドを窮地に陥れた犯人なのかもしれないという思いもあって、思わず一歩後ずさる。
「ご、ごきげんよう」
けれど表情には、淑女らしい笑みを取り繕った。サテリッテが、一歩前へと出る。再びマリアローズは、一歩後ろにさがる。するとサテリッテはまた近づいてくる。チラリと後ろを振り返れば、そこには煉瓦の壁がある。後退したのでは、逃げ場が無い。そこでマリアローズは、それとなく左斜め後方に移動した。暫く行けば、壁と壁の合間に、路地があるのが分かっていたからだ。
「どうして逃げるのです?」
「え? い、いえ、そんなつもりは……」
悲しそうな声で問われ、焦ってマリアローズは首を振る。まだ彼女が犯人だと確定したわけではない。だが、嫌な予感がし、それは的中した。サテリッテが左手を外套のポケットへと入れ、長いナイフを取り出した時だ。銀の刃が光って見える。
「初めからこうしていればよかったのですわね」
「っ……サテリッテ……!!」
サテリッテがさらに詰め寄ってくる。マリアローズは、青褪めた。
「どうして!? どうしてこんな事を!?」
「――マリアローズ皇太后陛下には、お分かりにならないでしょうね。ああ、お美しいこと。なんでも持っていらっしゃる、全貴族女性の憧れのお方。麗しいお顔立ち、ぱっちりとした綺麗なエメラルドの瞳に、繊細な織物よりも艶やかな美しい髪」
つらつらと語るサテリッテの表情は、どこか恍惚としたものだった。
「分かりますわ。勿論理解出来ます。ハロルド陛下が、マリアローズ皇太后陛下をお選びになるのは当然の帰結だわ。だってマリアローズ皇太后陛下ほど完全美を持つ女性は、この王都、いいえこの国にはおりませんわ。外見も、内面も」
一歩、二歩、三歩と、ナイフを握りしめながら、サテリッテが近づいてくる。マリアローズは何度かチラリと背後を確認しつつも、ナイフを警戒して正面から視線を離す事はほとんどしない。
「あの日、私はあの日のことを永劫忘れませんわ。エグネス侯爵家のあの夜の事を。貴女が青いドレスを……ハロルド陛下の瞳と同じ色のドレスを纏っていたあの日……私は嫉妬でおかしくなりそうでした」
その悲鳴のような声を聞きながら、マリアローズは彼女がハロルドを好きだといつか述べていた事を思い出していた。
――後ろから腕を回され抱き寄せられたのはその時の事だった。
ビクリとしてすくみ上がったマリアローズは、すぐにその腕がハロルドのものだと気づき、泣きそうなほどホッとした。
「俺は今、殺意が沸いておかしくなりそうだ。サテリッテ・ナザリア、現行犯だ。極刑を覚悟してもらう」
低い声音を放ったハロルドを見て、思わずマリアローズはその腕を引く。あまりにもハロルドの瞳が冷酷で、視線だけでサテリッテを射殺してしまうのでは無いかと言うほど強い眼光を放っている。
「ま、待って! ハロルド」
「なんだ?」
すると舌打ちを堪えた様子で、ハロルドがマリアローズを一瞥した。
「あ、あの……っ、サテリッテは、貴方の事が好、好きなの。そ、それで……私が憎かったみたいなの。だ、だから……あの……恋は、ほ、ほら、辛い事もあるでしょう? 想いを堪えられない事もあって……」
必死でマリアローズは己の考えを伝えようとする。ハロルドの腕の中で、彼をしっかりと見上げながら。それでも彼の気迫に、気圧されないのは何人たりとも不可能であるから、マリアローズも僅かに震えていた。それでも頑張った。
「命だけは、許してあげて……」
それを聞くと、腕に力を込めて、ハロルドが強くマリアローズを抱き寄せた。
マリアローズは、額をハロルドの胸板に押しつける形になる。
「俺はお前の優しさと――……その弱さが好きだ」
ハロルドはそう囁くようにいつも、周囲を取り囲んでいた騎士団に所属する者達に命じた。
「投獄しろ」
すぐに、サテリッテは拘束された。本人も抵抗らしい抵抗はしなかった。端から諦めていたのかもしれない。
サテリッテが連行されたのを見届けてから、ぼそりとハロルドが言う。
「ところでマリアローズ」
「な、なにかしら?」
焦ったようにマリアローズが顔を上げる。
「毒林檎香の事件があった直後、お前を狙った敵が存在したすぐ後に、単独で外出するというのは、どういう了見だ?」
淡々としているが、冷ややかすぎる声には呆れが宿っていた。萎縮しつつも、無理に笑ったマリアローズは首を振る。
「秘密! 秘密よ!」
「は?」
「秘密なの!」
プレゼントの事は同日まで内緒にしておきたい。そう考えて、秘密だと繰り返し、マリアローズはその場を乗りきった。
このようにして、一つの事件が解決したのだった――……