医療塔は、王宮の敷地のはずれにある。地下には危険な毒物なども保管されているため、離れた場所にあるらしい。意識不明のハロルドは、その塔の特別室へと運び込まれた。ここは床に魔法陣が刻まれていて、排泄処理や栄養補給は、自動的に成される。だから、死ぬことはない。

 そう説明を受けたマリアローズは、己の両手でギュッとハロルドの右手を握っていた。

『ただし、意識が戻った例は、三例しかございません。皆、悪夢を見ていたと証言しておりますが……』

 医官の悲痛さが滲む声が、ずっとマリアローズの脳裏を埋め尽くしている。

『青林檎毒への対処法は、見つかっていないのです』

 苦しそうな医官を、責めることは出来ない。責められるべきは自分自身だと考えて、鳩尾の辺りが重くなったマリアローズは、俯いた。

「神様……どの神様でもいいから……ハロルドを助けて……」

 小声でマリアローズが述べる。
 すると扉が開いた。入ってきたのは宰相閣下だった。

「マリアローズ様」
「……なにかごよう?」
「ハロルド陛下が意識不明の今、王族は貴女のみです。ハロルド陛下に代わり、どうぞご政務を」
「……」

 本当は、ハロルドのそばにずっとついていたい。
 けれどハロルドが目を覚ました時、書類の山を見たら、どんな反応をするだろうかと無理矢理考えて、マリアローズは笑ってみせた。だがポロポロと涙が零れ落ちてくる。もう不機嫌そうな呆れたような、そんな顔すらハロルドはしない。笑うこともないのだろう。

「宰相閣下……今、参ります」
「……お待ち致しております」

 一拍間を置いてからそう告げ、宰相閣下は出て行った。
 涙を拭い、マリアローズは立ち上がる。そしてハロルドの執務室へと向かい、ハロルドのサインが必要な書類に、代理としてサインをしていった。淡々と無心に作業をするのは、意外と気持ちを楽にしてくれる。

 だが仕事が終わって、医療塔に行くともうダメだった。胸が苦しくて、呼吸が苦しくなる。己が手紙に従ったばっかりに、ハロルドは意識を喪失した。永遠に目覚めないかもしれない。その確率の方が高い。

「私……まだ、好きだって伝えてなかったのに……」

 意識の無いハロルドの隣で、すすり泣くようにしながら、マリアローズはそう呟いた。しかし目を伏せているハロルドに伝わるわけがない。それをマリアローズは、よく理解していた。

「好きです、ハロルド。大好きです。だから、お願いだから、目を覚まして」

 囁くような声音で、何度も何度もマリアローズは、そう口にした。
 けれどハロルドの瞼は、ぴくりとも動かない。長い睫毛が揺れることすらない。

 ――このまま、ハロルドが死んでしまったら。
 不安に駆られる日々に、押しつぶされそうになる。

「お願い、ハロルド。お願いだから……大好きなの。私は貴方を愛してる」

 こんなにも愛していたのだと、喪おうとしてはじめてマリアローズは気がついた。何故自分は、ハロルドに愛の言葉を返さなかったのだろうか。溢れかえるような激情が内側にあった事を自覚した今、後悔してもしきれない。マリアローズは、己の気持ちを確信した。させられた。

「……お願い。私の気持ちを、受け取って……もう一度、貴方と話がしたいの。貴方がいないとダメなの。ハロルド……お願い」

 ギュッと目を閉じ、ボロボロと泣く。既に目元の赤さは取れなくなってしまった。