――マリアローズは、どうなったのか。
真っ暗な空間に一人立っているハロルドは、大きく深呼吸をしてから、右手を持ち上げて握ってみた。そして、ここが夢の中だと正確に理解していた。
青林檎香は、昏睡状態にさせ、悪夢を視せるという魔法毒だ。
解毒方法は分かっていない。
最終的には悪夢に飲み込まれ、衰弱死すると言われている。その危険性から、パラセレネ王国では第一級危険指定魔法毒に指定されている。生還した例は三件のみだ。共通点は特になかった。誰かの妻、誰かの夫、誰かの恋人の若い女性。おぼろげにハロルドはそう想起したが、正直あまり興味は無かった。マリアローズが無事か否か。それだけが気にかかる。
「っ」
そう考えていた時、不意に光に飲まれた。すると正面に、母の姿があった。
手を見れば、己の手は、今よりもずっと小さくなっていた。
「ハロルド。貴方は、マリアローズのことが好きなのね?」
優しい母の声。記憶の通りの光景。
「うん、そうです」
当時と同じように、ハロルドは答えていた。体の内側では、これが夢だと理解しているのに、現実の追体験はあまりにもリアリティがあって、嫌な汗が浮かんでくる。
それからすぐ、母の葬儀の場面に切り替わった。
ああ、確かにこれは悪夢だなと、ハロルドは瞬きをしながら柩を見る。中で眠るように目を伏せている母は、遺体とは思えないほどに美しかった。
次は、父の隣に、マリアローズが立っている光景。嫉妬で気が狂いそうになった記憶。
ああ、ああ。悪夢の繰り返しだ。
次に場面が変わると、目の前に魔狼がいた。怯えたように仔猫を抱いているマリアローズ。ハロルドは咄嗟に手を伸ばす。だが、魔狼は、マリアローズを噛み殺した。
――違う。こんな現実は存在しない。
だというのに魔狼は、マリアローズの地に伏した体にのしかかろうとしていた。
紅が、岩肌を濡らして垂れていく。
衝撃で凍り付いたハロルドは、一瞬これが夢だと忘れた。
思い出したのは、叡神都市フロノスの道を、マリアローズと二人で歩いている光景が映し出された時だった。己が買った首飾りを大切そうに身につけているマリアローズが愛おしくてたまらなかったあの日の風景。これは、現実にあった出来事だ。悪夢などでは無い――そう思った時、魔狼が出現した。そして、己の剣は間に合わず、マリアローズは、噛み殺された。そんな事はあり得ない。なにせ、その後、自分はマリアローズに確かに気持ちを告げたのだから。マリアローズが日に日に真っ赤になりながら、自分を見るようになっていった幸せな日々は、夢では無い。
マリアローズの存在だけが、ハロルドにこれが夢だと教えてくれた。
マリアローズへの、愛だけが。