「今回の旅は、少々僕にはスリリングだったな」

 数日後、激しい運動はまだ難しいと医官は話していたが、立ち上がり歩行が可能になったクラウドは、王宮の正門前に停まる馬車の扉に触れていた。苦笑しているクラウドを見て、マリアローズは心配ではあったが、頑張って笑顔を浮かべた。

「もう帰ってしまうのが、寂しいけれど、旅のご無事を祈っております」
「ありがとうございます、マリアローズ皇太后陛下。ソニャンド帝国皇太子として、貴女の介抱と優しさに感謝致します。色々あったけどな……僕は楽しかった。また、マリアローズ皇太后陛下と桔梗の花を見たいと感じております」
「……え?」

 マリアローズの笑みが引きつった。

「こ、皇太子……?」
「皇帝になる前に、もう一度くらい遊びに来たいものだよ」

 クスクスと笑っているクラウドの姿に、マリアローズは気が遠くなりそうになった。皇太子だなんて聞いていなかったからだ。

「次は、外遊も兼ねて来てくれ」
「そう言うなよ、ハロルド陛下」
「冗談だ。いつでも歓迎します、クラウド殿下」

 そう言うと口角を持ち上げて、ハロルド陛下が笑う。

「それと、窮鳥懐に入れば猟師も殺さずとはよく言うな」
「ああ、そうだな。僕は親友のハロルド陛下の頼みは無下にはしないさ」

 クラウドは微笑し、空を見上げた。マリアローズもつられて見上げれば、白い鳥が飛んでいた。

「必ずその者の妹には、適切な治療を約束する。ハロルド陛下が優しい猟師だったと、僕は記憶しておくぞ。では、また」

 クラウドは最後に喉で笑うと馬車に乗り込んだ。なんの話だろうかと、マリアローズは首を傾げる。走り出した馬車の車窓から、クラウドが手を振ったので、マリアローズは振りかえした。それからハロルド陛下を思わず睨む。

「聞いていなかったのですけれど?」
「何を?」
「とぼけないでください!! どうして次期皇帝陛下だと教えてくれなかったのですか!」
「お忍びだからな」
「そういう問題ではございません!」
「さて、仕事に戻るぞ。マリアローズ様は随分と歓談に忙しかったご様子で、大量の書類が山を築いているようだからな」
「……う」

 こうして二人は、門から王宮の中へと入った。並んで歩きながら、執務室へと向かう。日常が戻ってきた事に、マリアローズは安堵しつつ、チラリとハロルド陛下を見た。

 あの時――真っ先に守ってくれたハロルド陛下を思い出すと、胸がドキリとした。
 これまではずっとどこかで、幼少時の出会いの印象が強く、まだまだ子供だと思っていたのだが、どうやら違ったらしいと考える。格好良く育ったのは間違いない。そこには顔だけではない一面もあったようだ。そう考えたら笑みがこみ上げてきたので、マリアローズは明るい気分で執務室に入った。

 そして膨大な書類を見て、目が虚ろになった。

 泣きながら書類をこなし、この日もハロルド陛下と嫌味の応酬をする。騒がしい執務室には万年筆の音が響く。ただ久しぶりだからなのか、辛いだけでもなく、少しだけ、本当に少しだけ、楽しくもあった。