夏がやってくる。
暑くなるにはまだ早い、梅雨の最中。蒸し暑さが不快に肌に張り付き、窓を開けてもじめじめと沈み込む空気が部屋の中に残る。
俺はクーラーを付けようか迷い、襟元を仰いでとりあえず扇風機を付けた。まだ、梅雨だ。クーラーを付けたらなんとなく負けな気がした。扇風機の前にどっかりと胡座をかいて、汗が引くまでと風量を「強」に切り替えた。
背中に冷風を受けながら、俺はスマホに指を走らせる。最近はチェックしていなかった動画サイトを開くと、新着動画が次々と表示される中からお気に入りのホラーチャンネルを選んだ。
久しぶりに見るそのチャンネルは相変わらずのクオリティで、コメント欄は大賑わい。ホラーチャンネルにしては驚くほどの登録数で支持されている、人気チャンネルなのだ。そのコメント欄で、別のホラーチャンネルの名前が話題となっていた。
『牛の首チャンネル』
へぇ、と俺はすぐにチャンネルを検索した。暑さを紛らわせるにはちょうどいいかもしれない。
表示された動画は七つで、サムネイルには暗がりを背景にした黒マスクの男が一人立っていた。どれもこれもそんな感じで、なんとも飾り気のないサムネイルだ。話題になっていたわりに登録者数も多くない。まだ、新しいチャンネルなのだろうか。
不思議に思いながらも、俺は動画を再生させた。黒マスクの男が抑揚のない声で挨拶を始めた。
「どうもー。牛の首チャンネルのモーです。ご覧いただきありがとうございます。ということで早速、心霊スポットに突撃しまーす」
そう言うと、モーと名乗った男は懐中電灯一つで寂れたトンネルに足を踏み入れた。街灯は一つもなく真っ暗で、どうやら一人撮影らしく。見るからに山奥の、今は使われていなそうなトンネルに一人で突撃するなど、どんな心臓を持ち合わせているんだろう。俺は少し期待して、先を照らされるだけの映像を見続けた。
「これ、ホラーチャンネルなんすけどね。僕ってば霊感が一切ないんですよ」
足音が反響する中で、モーが突然口を開いたことに驚く。トンネルがどれほど長いのかわからないが、暗闇の先に薄明かりすらも見えない。モーは立ち止まると、映像に映らないカメラの後ろで荷物を漁り始めた。
「ホラーチャンネルで心スポ突入するのに霊感がないんじゃ、リスナーの皆さんは面白くないと思うんですよ。なんで、僕は考えたわけです」
カタタッと音を立てて、カメラが地面に置かれた。懐中電灯も同じく置かれ、照らされたモーがその場に座って手元で準備をしている。スタンドで自立する鏡を二枚向い合わせにし、その間に手のひらサイズの紙が二枚。さらに、犬のぬいぐるみも置かれた。モーはカッターを手に持つと、整ったとばかりに説明を始めた。
「ここで降霊術をします。今の時間は丑三つ時で、合わせ鏡で、心スポ。最強だと思いません? 上手くいくかわかんないすけど、見守ってください」
そしてモーは、手にしたカッターの刃を紙に当てた。カメラに初めてちゃんと映された紙は、人の形をしていた。
「体がひとつ、消えました」
覚えてきたセリフを棒読みで、カッターは紙の上をすべった。人型の紙は首と思しきところで真っ二つにされた。モーはもう一つの紙にまたカッターを当てる。
「体がふたつ、消えました」
同じようにして、紙は真っ二つに切られた。
モーは辺りを見回している。静けさの漂うトンネル内では、いつからか怪奇な音が鳴るようになっていた。パキッ、ジャリッ、と足音が近づいているような気がする。映像越しの俺でも感じる異様な空気感。だがモーは怯える様子もなく、首を傾げてまた儀式に戻った。
「残る体は、あとひとつ。体を手に入れますか? それとも、僕に殺されますか?」
モーは犬のぬいぐるみを手に取ってひっくり返すと、スイッチを入れた。そしてその首元にカッターを突き付けた。ジャリッジャリッ、と音が忙しなく動き回る。何が鳴っているのか、パキッと弾ける音はその存在を隠すことをしなくなった。沈黙を貫くモーはカッターの刃をさらにぬいぐるみに押し付ける。
すると、モーの手にある犬のぬいぐるみが突如として上下に揺れ始めた。
『体だああああ』
「うおっ」とモーが手を離すと犬のぬいぐるみは地面に転がり、キュルキュルと機械音を立てた。どうやら動いてしゃべるぬいぐるみだったらしい。
『俺の体だああああ』
機械を通して変声された、甲高い声がぬいぐるみから発せられる。驚きで硬直していたモーはようやく前のめりになると、ぬいぐるみを拾った。しゃべりと動きを止めたぬいぐるみを凝視して、モーは言った。
「す、すげぇ。本当に呼べた」
ぬいぐるみはまた上下に揺れて「す、すげぇ。本当に呼べた」と繰り返した。俺はゾッと鳥肌が立った。
モーは手早く荷物を漁ると、ぬいぐるみに首輪のようなものをかけた。それをカメラに突きつけて見せると、抑揚のない声に興奮を交えて自慢した。
「霊感のある相棒、ゲットしました」
動画はそこで終わった。
俺は現実世界に戻り、背中に受けていた扇風機の風から逃れた。鳥肌が止まらなかった。
ホラーチャンネルの怪奇現象はほとんどが曖昧な状態で終わることが多い。ヤラセにしてもやりすぎればバレてしまう。心霊とは、曖昧なことが当たり前なのだ。けれど、あの犬のぬいぐるみはなんだ。モーは説明していなかったが、最後のシーンを思い出す限り勝手にしゃべるぬいぐるみではなかった。話しかけた言葉をマネして返す、そんなおもちゃに見えた。
ヤラセか? カメラのアングルやトンネル内の反響音、映像を見るだけではモーは一人としか思えなかった。けれどそんなことは編集でどうにでもなる。サムネイルの素っ気なさは、もしかしたら裏をかいた演出かもしれない。
いや、いや。どんどん深読みしていく頭を振り、ヤラセならヤラセでいいじゃないかと自らに言い聞かせる。どうせ娯楽目的の動画なんだから、エンタメとして楽しめばいいんだ。
俺はスマホを置くと立ち上がり、グラスに麦茶を注いで一気飲みした。冷たい液体が喉を通り、すでに熱が冷めた体をさらにひんやりとさせた。
鳥肌が、いつまでも治らずにいた。


