はじめまして、私は黒月滞です。
今この文章を読んでくださっているあなたはご存知かもしれませんが、作者名は白星ナガレとなっています。
私は白星ナガレでもあります。
けれど今は、少なくともこの文中では黒月滞と名乗らせてください。
理由は、怖いからです。
私は私じゃなくなりたいんです。
そもそも名前なんて、いくつもある方がいいですから。
白星ナガレというのだって、もちろん本名ではありません。
今時、名前なんていくつもあるのが当たり前ですよね。
皆さんもそうだと思います。
ユーザーネーム、きっといくつもありますよね。
話がそれてすみません。
とにかく、私は黒月滞です。
白星ナガレの反対で、黒月滞です。
ところで、表紙の文章は読んでいただけましたか。
『#name2#が救いとなります』
#name2#の部分を、あなたの名前に替えて読めばいいだけです。
声に出さなくてもいいんです。
わかりますから。
簡単なことですよね。
とはいっても、ご存知かもしれませんがこの文章群(作品と呼べるようなものではないので、この呼称を使います)は、ノベマ!という小説投稿サイトで、モキュメンタリーホラーコンテストにエントリーしています。
それなのに、いきなり特定の文字列を読んでほしいなんて頼まれてもできませんよね。
その気持ちは私もとてもよくわかります。
怖がりなので。
モキュメンタリーホラーを謳う作品って、私も有名なものをいくつか読みましたが、最後になって実は読者が呪われますとか、そんな展開がありますから。
でも、安心してください。
私は、わざわざこれを読んでくださっているあなたに不利益になるようなことはしたくありません。
本当はあなたに名前を入力してもらって自動変換できるといいのですが(一部のサイトではそんな機能がありますが)、残念ながらノベマ!にそのような機能はないのです。
それと、謝らないといけないことがあるのですが、実はこちらの文章群はモキュメンタリーには当てはまりません。
モキュメンタリーというのは、偽物を意味するモックと実録を意味するドキュメンタリーを合成した言葉です。
偽物の実録作品、つまりモキュメンタリーとは本当のような嘘の話というわけですが、私の書いているこの文章群はすべて真実なのです。
それを何故小説投稿サイトのコンテストにエントリーさせているかというと、表紙にも書きましたが、たくさんの人に見てもらえて、かつ、あの文字列を読んでもらえると思ったからです。
コンテストの審査員の皆様はもちろん、エントリーしている作家様だって読んでくれるかもしれませんし、ホラー好きな読者様の誰かがきっとたどり着いてくれますから。
前置きが長くなってすみません。
私はただ、この文章を読んでくれたあなたに、救ってほしいのです。
しつこくて申し訳ありません。
『#name2#が救いとなります』
お願いします。
早くしないと、間に合わなくなるんです。
でも、不安な気持ちはわかります。
説明は必要ですよね。
だから、私が集めた資料をすべて載せます。
もし不安であればすべてに目を通していただいて、それからでかまいません。
私の知ることを簡潔にまとめられればそれが一番よいとは思うのですが、どうも自分を信じられないのです。
私は、おかしくなっていないでしょうか。
普通ですか。まともですか。正気ですか。
私は本当に私のままなのでしょうか。
自分で判断がつかないのです。
だから、私が答えを導くまでに必要としたものをすべてここに載せます。
私の答えは知らなくていいです。
あなたが思ったことがあなたのすべてになります。
でも、きっとあなたが救いとなってくれると私は信じています。
だっていいことしかありませんから。
『#name2#が救いとなります』
どうか、あなたが読んでください。
本当にお願いします。
私は黒月滞です。
奪われるくらいなら、消してしまいたいと思いますよね。
これは私が子どもの頃に地元で流行っていた遊びです。
【ばけおに】
①じゃんけんをして、一人の鬼を決めます。
②鬼は目を瞑り、他のみんなが隠れるのを待ちます。
③十秒ごとに鬼は「もういいかい」と尋ねます。
④まだ隠れていない人は「とらないで」と言います。
⑤「もういいかい」の後に「とらないで」と言う人がいなくなったら、鬼はみんなを探します。
⑥鬼は誰かを見つけたら、その人の真似をしながら次の人を探します。
⑦鬼が隠れたみんなを見つけたら、終わりです。
某地方新聞のある記事の内容です。
掲載時期についておおよそはわかりますが、切り取られたものなので詳細不明です。
※地名の情報は載せられません。入力しようとすると、文字が打てなくなります。
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【集団失踪か】
〔「水が怖い…」 ■■小学校4年2組の生徒に何が〕
昨日19日から行方がわからなくなっていた■■小学校4年2組の生徒37名は、全員の無事が確認された。外傷や変化のみられる生徒はいないという。
ただ、37名全員が「水が怖いから沼に入れなかった」という旨を家族に話していることが分かった。
失踪をした理由や行き先についても未だに不明な点は多い。原因の解明が急がれる。
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これは私の曾祖母が保管していた記事です。
曾祖母は、当時行方不明になった生徒の中に仲のよい友人がいたそうです。
その友人は未だに若々しくてうらやましいので、自分もあの時一緒に行けばよかったと話していました。
校長先生:当時、校長を務めていた方の娘さんだったそうですよ。鈴堂瞳さんといったかな。
私(黒月):ご自身の子ども、ですか?
校長先生:ええ。なんでも、ある日突然行方不明になってしまったんだとか。
私:そんな事情があったのですね。
校長先生:その時はさぞ悲しんだでしょうね。瞳さんは品行方正で、誰からも愛されるような子だったと聞いたことがありますよ。
私:そんな子がどうして……。
校長先生:とはいえ、つくられた後になってから、けろっと帰ってきたらしいんですがね。
私:え? 無事だったんですか?
校長先生:ええ。卒業後も時折小学校に足を運んだり、寄付なんかもしてくださって、ちょっとした有名人だったみたいですね。
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上記は、『ひとみの像』について、■■小学校の現校長である高橋先生にお話を聞いた時の音声データを文字起こししたものです。
『ひとみの像』は、私が通っていた小学校にある石像です。校庭の隅の遊具の裏にひっそりと立っています。
四角い台座は大抵の小学生の身長より高く、その台座の上にいる、やっぱり現実の子どもより少し大きい石でできた女の子が『ひとみ』です。
『ひとみ』は通学帽を被りランドセルを背負った姿です。
大人になった今になって見るとかわいらしい少女の石像なのですが、小学生の頃はどこか不気味に思っていました。
当時、それは子どもたちの間で共通の感覚だったと思います。ひとみの像にまつわる怪談が、いくつもありました。
夜になると動くとか、校庭に一人でいると追いかけてくるとか。
中でも怖かったのは、お風呂に入らないとひとみが家に来て「代わってよ」と声をかけられるというものです。
怖い話にお風呂が出てくると嫌なんですよね。お風呂って入るときは無防備だし、大抵の場合は一人だし。
それがなくても私はお風呂が怖いんですけど。
小学生の頃、私はひとみの像がつくられた理由が気になっていました。
『ひとみ』なんて偉人は知らないし、そもそもどうしてただの小学生の女の子の石像なんかがあるのだろうと疑問だったのです。
大人になった今になって私は、話を聞いてみることにしました。
とはいえ、幼い頃の疑問の解消のためではありません。
つい先日、『ひとみ』を見たからです。
■■小学校の校長先生は私の在校時とは替わっていましたが、卒業生だと告げると快くお話してくれました。
話を聞いた私は、鈴堂瞳さんのことをもっと知りたいと思いました。
けれど年齢を考えると、直接の知り合いもご本人も、とっくに亡くなっていることでしょう。
それならあれは、私の見間違いだったのでしょうか。
けれど私は確かに、木の上に立って笑う少女を見たのです。
それが余りにも記憶の中の『ひとみ』にそっくりだったのです。
私が見たひとみは、木の上に立って、■■沼を見下ろして笑っていました。
それから私は鈴堂瞳さんのことを校長先生に聞いて、その後でまたひとみを見かけた木まで行ってみました。
見上げた木の上にひとみはいませんでした。
なんの変哲もない木を見上げる私が不可解だったのでしょう。通りかかった高齢の男性に声をかけられました。私が正直に「木の上に女の子がいたんです」と言うと、男性は、「ああ」と言いました。
それから少し考えた様子で、男性は再び口を開きます。
「俺も見たよ」
やっぱり見間違いではなかったと、その時は思いました。
男性は言葉を続けます。
「いやぁ、たまげたよ。学校にあったひとみの像ってのにそっくりでな」
やはりあれはひとみだったと、思ったのですが。
「それにしても、今時の子も木登りなんかするんだ。俺が見たのは大昔だけどよ」
私が見たのはひとみだったのでしょうか。鈴堂瞳さんだったのでしょうか。男性が見たのは誰だったのでしょうか。そちらもひとみだったのでしょうか。ひとみは鈴堂瞳さんなのでしょうか。
きっとそうだと思います。
元凶なんて言い方をするのは心苦しいのですが、そもそもの始まりは友人のせいだったのです。
恨んではいますが、一応は友人と呼べる関係性だったので、本名を出すのは控えます。
その友人を仮にAとしますが、Aと私は幼稚園から中学までずっと同じクラスで、親友といっても過言ではない間柄でした。
しかし高校で進路を違えてからは次第に連絡も取らなくなっていき、私にいたっては連絡先の整理の際に消去するか悩むくらいにAの存在は薄くなっていました。
そんなAから連絡があったのは、11月4日のことです。
その日は月曜ですが祝日で、私は陶器販売のイベントに足を運んでいました。ふいに鳴ったスマホを手にとるとディスプレイにAの名前が表示されていたので私は驚いて、思わず声をあげてしまいました。隣で皿を見ていた知人が私の声に驚いて手を滑らせかけたのをよく覚えています。
Aが送ってきたメッセージは、久しぶりの連絡にしては唐突な内容でした。
久しぶり、とか、元気か、とか、そんな挨拶もなく、突然にURLが送られてきたのです。下記はその後に送られたメッセージです。
『夢小説って覚えてる?』
趣味が合う私とAは中学生の頃に、とある少年漫画に夢中になっていた時期がありました。その頃に流行っていたのが夢小説です。
夢小説はいわゆる二次創作にあたります。普通の小説と違うのは、作者が指定した登場キャラクターの名前を読者が自由に変えられるという点です。主人公にあたるキャラクターを読者が自分の名前に変えて、自分自身がその作品の世界へ入ったような気持ちになって楽しむものが大半だったと思います。
私とAも夢小説はよく読んでいました。二人で好きな作品を紹介し合うのもよくあることでした。
Aからのメッセージの文面から、URLは当時二人でよく見ていたホームページのものではないかと私は推測しました。
『▼▼あなたの名前を入力してください▼▼』
URLをタップして表示されたページには、そんな文言と入力フォームがありました。入力フォームの初期設定では作者が指定した仮の名前が入っていることが多いのですが、そのページでは#name1#と記載されていました。
夢小説を書く際には、変換したい部分にタグというものを使う場合があります。そのサイトの作者はおそらく仮の名前を設定せずに、#name1#というタグをそのまま入力フォームの初期設定としたのでしょう。
私はフォームから#name1#を削除すると、自分の名前を平仮名で入力しました。平仮名であるのに特に意味はありません。変換が面倒な時に、私はよくそうするのです。
そうして自分の名前を設定し終えると、次のページへ飛びました。思えば、何故内容もわからないのに自分の名前なんかを設定してしまったのでしょう。
そのページには、写真がありました。
お年寄りの顔でした。白黒の写真には肩から上が映っていて、その表情は優しそうに微笑んでいます。知りもしない人に対して失礼かもしれませんが、私は遺影を連想しました。
その写真の下に、その文字列はありました。
『#name1#が救いとなります』
(※本来、#name1#には私の名前が入ります)
ここまで書いて思ったのですが、Aが元凶なんて、そんなことはなかったのかもしれません。
きっとそうです。Aは何も悪くありません。
むしろ私は感謝すべきなのです。
私は私であって私ではなくて、だからもう、抑えるのも大変で、正しいのがどちらかもわからないのです。
それなのにAのおかげで、私は呼ぶことができたのですから。
とはいえそのサイトを見た時はまだAに対して不審な気持ちを抱いていたので、メッセージでどういうことか訊ねたのです。しかし、返信はありませんでした。私が友人に送ったメッセージは、今もずっと未読のままです。
しかし私は、Aに会いました。
つい先日、私はやるべきことのために実家に帰ったのですが、近所のAの家の前を通りかかった時、偶然出くわしたのです。
数年ぶりに会ったAはあまり変わっていなくて、ただ、よくわからないことを言っていました。
「タエさん、救われたって。タエさんは遠い親戚なんだけどね、色々よくしてくれたの。私が救うのはちょっとね、嫌だったから。助かったよ。誰のおかげかわからないけど」
それから私が色々と訊ねても、Aは同じような内容を話すだけでした。私は適当な相づちを打って、その日はAと別れました。
けれどAのことがどうしても気がかりで、実家に泊まった翌日にまたAの家に行ってみたのです。
インターホンを押してもAは出ませんでした。私の実家があるのは移動手段といえば自家用車といった感じの街です。Aの家の敷地には車が停まっていなかったので出かけているのかと思いました。けれど思い返してみれば、前日にAと会った時も車はなかったような気がしました。
だからもう一度インターホンを押してみたのですが、やはりAは出てくれません。私が諦めようかと思ったとき、近くを初老の女性が通りかかりました。
その女性が、おかしなことを言うのです。
「そこはしばらく前から空き家ですよ」
Aとは未だに連絡が取れません。
かつて集団失踪をした内の一人であるBさんは、私の曾祖母と仲がよい友人でした。私の悩みを曾祖母に打ち明けた時、Bさんも同じ悩みを抱えていると教えてくれました。それから、Bさんを紹介してくれました。
Bさんは、娘さんご夫婦と一緒に昔ながらの平屋に住んでいました。Bさんは曾祖母の言う通り若々しかったのですが、想像以上だったので驚きました。
「年を取るのが下手になっちゃったのよ」
Bさんは面白いことを言う方で、年代は違うといえど出身校や地元は同じなので会話も弾みました。しかし、Bさんはふと、不思議なことを口にしたのです。
「木に登って見下ろすと、月の上に田んぼが並ぶのが綺麗でね。たまにかえりたくなるの」
隣で聞いていたBさんの娘さんは、「ごめんなさいね、少し呆けてしまっているの」と謝っていましたが、私はBさんは呆けてなどいないと思います。Bさんが話した場所を、私は知っていました。
そこはあまり人気のない山の近くなのですが、棚田があるのです。傾斜地に連なる田んぼに水を張っている時期は水面の反射が美しく、棚田を見下ろせる高台の木に登ると、天気のいい日の夜は下に月が見えるのです。
傾斜地にある棚田の一番下には、■■沼があります。
Bさんは、■■沼にかえりたくなるのでしょう。
その気持ちは私もよくわかります。
しかしその願いはきっと叶いません。
Bさんも私も、水が怖いのです。
後日、Bさんが亡くなったことを知りました。
Bさんは黒い死体となりました。
きっと救われたのでしょうね。