いつもの休憩所でタバコを吹かそうと思い足を運ぶと、一瞬、生温い風が吹き抜けた。いつもの滑り台の上に、不思議な少年が立っている。その少年は少年と感じさせるのだが、容貌からはとても年齢を判断出来なかった。
 髪の毛は無造作に乱れて、瞳は猛禽瑠のように鋭い。身丈は中学生ぐらいだろうか。私よりも小柄で、背中に瓢箪のようなものを背負っている。
 私は薄気味悪さを覚えて、滑り台には近寄らずに、仕方なくブランコでタバコを吹かすことにした。
 夕暮れ時から、闇が空を包み込む時間帯で、よくいる子供連れの主婦たちは一組もいない。学校帰りに遭遇すると、いつも軽蔑の眼差しで見てくる。まあ、それも当然のことか。真っ昼間から、女子高校生が堂々と公園で、タバコを吸っているんだから。そんな視線も今では全くと言っていいほど気にならない。どこかに心を置いてきたせいだろうか。
 ブランコを軽く揺らして、タバコの火を点けようとすると、いつの間にか隣のブランコに、あの少年が座っていた。
 思わず「なに!」と声を上げて、すぐにその少年を睨みつけた。さっきまで滑り台の上にいたのに、気付けば隣にいる。気配なんて、全然感じなかった。
 あまりの気味悪さに、ブランコを離れようと思い立ち上がったとき。
「オマエは、罪ビトだ」とその少年は声をかけてきた。抑揚のない、ねっとりとした話し方で。胸の底まで響き渡るような低い声で。
 私は怪訝に思い無視をした。
  その少年はもう一度、
「オマエは、罪ビトだ」と繰り返した。
「あんた、何なの?」と私は怯えながら言った。
 ふと、周りを見渡すと、霧のような靄が辺りに立ち込めている。この公園だけを包んでいる。夜とも言えない、薄暗さだ。いつの間にか、閉じ込められたみたいだ。手を汗が湿らせて、鼓動が速くなっていくのが、手に取るように分かる。少しでも速く、その場から逃げ出したかったけど、体が思うように動かない。
 こんなに心が乱されたことは、今までに経験がない。頭では現実ではないと思っているが、本能が現実を告げている。
「オレはキリオ。オマエの罪を狩りニキタ」
「罪って何なの? 私は罪なんて犯してないわ」
 必死の形相で答える。
「オマエは、罪もナイ人を憎しんだ。そして、その人のモノをホシイと思った」
「それのどこが罪なのよ?誰だって心の中では、そう考えてるでしょ?」
「オマエは、ジブンのカッテで憎しんだ。フタリのオモイも知らずに」
「なんで、あんたに二人の気持ちが分かるのよ」と突き放すように言う。
「オレにはワカル。いつもトオクからミテルから」
「あの二人は、私のことなんてどうでもいいのよ。自分達さえよければ」
 心の中の言葉が溢れ出てくる。
「私はあの二人みたいにはなれない。性格も良くないし、偽ってばかり。あの二人が眩しくてしょうがないの。勉強も出来ないし、スポーツだって下手くそ。いつも憧れてた。隆みたいに異性からラブレターもらったり、智子みたいに友達とはしゃぎたかった」
 本心は波のように押し寄せて出てきた。
「あのフタリはいつもオマエのことを話していた。オマエがいないトコロで。オマエは気付いていないだけ」
「そんなこと分かってるわ。だから許せないの。何でも分かってるような顔して」と私は涙を浮かべて言った。
「オマエはジブンを受け入れたらいい。オレはオマエの罪を狩るだけ」
「こんなのが罪だって言うなら、世の中は罪だらけね」
 私は頬を拭って答えた。
「罪にオオキイチイサイはない。ただニンゲンはワルクない。罪がワルイ」
 少年はそう言うと、一歩ずつ近づいてくる。時間がゆっくりと感じる。少年の一歩一歩が、何分にも何十分にも、何時間にも感じる。事故の瞬間の時間が、ゆっくり感じるのと同じなんだろうか。時間の感覚が狂っているんだ。
 動かない体に、思い切り力を込めてみる。やはり、体は動かない。動くのは口だけだ。思い切り歯を食いしばって、この現実とも言えない現実に抗う。
 腕を伸ばすと、お互いがお互いに触れられるほどの距離にまで、少年は近づいていた。
 少年の顔は、どこか異形の者を思わせる。
 さらに半歩近づいて、その少年は目を見開いた。そして、大きく深呼吸をしてありったけの息を私に吹きかける。その瞬間、鈍い色をした細かい粒子が四方八方に飛び散った。少年は瓢箪のような、表面が艶やかな瓶を取り出して吸い込んでいく。瞬く間に粒子は瓶の中に吸い込まれていく。飛び散っていた時は、鈍色をしていたのに、瓶の中に収まると、プリズムのような輝きを放ち始めた。
 私は思わず、その輝きに見入ってしまった。とても、この世のモノが放つ輝きとは思えない。想像すらしたことない、まるで異世界の輝きのようだ。
 徐々に体が動くようになってきたと思った時には、辺り一面、元通りの世界になっていた。一体なんだったんだろう。
我に返ると、少年を見つめた。不気味さを漂わせながら、どこか郷愁を感じる。「この少年はどこから来たのだろう」とふと思ったここの少年も何か罪を背負っているのだろうかとも思う。
 周りを見渡すと、月が顔を出していた。今日の夜風は、どこかひんやりしていて気持ちがいい。
 少年は尖った眼に月明かりを灯して、笑っているようだ。私は重い荷物を下ろしたような気分になっていた。急に、智子と隆のことが頭に浮かんだ。すぐにでも、二人に会いたい気分になった。今なら、智子と隆のことを認めて、自分自身も好きになれるような気がする。
 地上に視線を戻すと、少年の姿はなかった。
 私は目を細めて、もう一度、夜空を見上げた。
 ポケットからタバコのボックスを取り出した。
 ふと、夜風が吹きつけて、髪の毛が夜風に舞う。髪の毛をかき分けた。
 タバコのボックスをポケットに戻した。
 私は、家に向かって歩き始めた。