「この國は、『地下ノ國』と称されている」
まだ人通りがほとんどない通りを歩きながら、龍海は話す。
「この國に棲む者は、そのほとんどが人間界に適応できなくなったあやかしだ。それでも何とかあやかしが生きながらえる為、地下の奥底にこの國を築いたと伝えられている」
「そうなのですね。私、知りませんでした」
「このことを知っている人間はそういない」
そのため國の街並みは人間界の文明の変化に乗ることなく、在りし日のままの姿を保っているのだという。
改めて見回すと目にとまる、木の目が見える瓦屋根の建物たち。今歩く石畳通りのすぐ横には、用水路を思わせる細い川が流れる。
自動車が走らないからだろう。道幅は人間界と比べやや細く、建物同士の距離も近い。
しかしそれを息苦しく思わないのは、やはり街全体に息づく穏やかな時の流れのためかもしれない。
「あれっ、龍海の兄ちゃん!」
建物の影から、一人の少年が駆けてきた。
着物姿で元気な癖っ毛が愛らしく、大きな金色の瞳をもっている。
にこにこ笑う表情が屈託なく、朱莉も自然と笑みを浮かべた。
「朝にも来てなかったっけ。今日は忙しいの?」
「ああ。今日は少し所用があってな」
「あれ? もしかして、兄ちゃんの後ろにいる女の人って……」
「ああ。昨日騒ぎになってただろ。空から真っ逆さまに落ちてきた張本人だ」
少年の瞳が、ぴかりと光る。
同時に、あちこち跳ねる癖っ毛の中からぴんと一本角が天を衝いた。
ここはあやかしが棲む國。もしかしたら鬼の少年なのかもしれない。
しかし、それ以外はほとんど人間と相違ない少年に対し、朱莉は笑顔で腰を落とした。
「こんにちは。そしてはじめまして。私、昨日空から落ちてきた張本人の──」
「──出て行け!」
「え」
「出て行けよっ! この國から、今すぐに!」
急に鋭くなった視線と剥きだしになった牙。
真正面からぶつけられた突然の敵意に息をのむ。
子どもの大声は辺りに響き、他の子どもや大人たちも姿を見せはじめる。
一際驚いた様子で駆け寄ってきた女性がいた。彼女の額にもまた二本の角が生えている。
「ちょっとタマキ! 急になんだい、往来で大きな声を出して!」
「だって母ちゃんこの女だぞ! 昨日空から降ってきた怪しい人間女! 父ちゃん母ちゃんだって言ってたじゃないか! あの人間女は、敵か味方か分からないって!」
「そ、それは……」
タマキと呼ばれた少年の主張に、母親らしき女性が苦々しげな顔をする。
今の話は恐らく事実なのだろう。朱莉の中で衝撃は特になかった。
「も、申し訳ございません龍海さまとお連れの方! 今朝お受けしたお狐様からのお達し、息子にもきちんと言い含めたはずだったのですが、なにぶん幼く頑固なもので……!」
「いいや。タマキの言うことも尤もだ。顔を上げてくれ」
冷静に言う龍海に、タマキの母親は申し訳なさそうに顔を上げる。
ちらりと視線が朱莉に向いた。困惑と戸惑いの目だった。
龍海はタマキの前まで歩み寄り、地面に片膝をつく。
「タマキ。俺はこの人間の監視役だ。万一何かあったとしても、俺が対応するから問題ない。タマキは何も心配はいらないさ」
「本当に?」
「本当だ。信じられないか?」
「龍海兄ちゃんのことは、信じてるけど」
「そうか。ありがとうな」
立ち上がった龍海は、タマキの頭をわしゃわしゃ撫でる。
満更でもなさそうにしているものの、タマキは朱莉を小さく睨んだままだった。
先ほどの龍海と母親の会話から察するに、龍海は早朝から周辺の家を回っていたらしい。
お達しの内容は恐らく、朱莉は人間だが過度な警戒は不要──といったものだろうか。つくづくお狐様にも龍海にも頭が上がらない。
それでも、住民が心まで納得がいくかは別の話だ。
現に今集まる周囲からの視線も、朱莉を歓迎するものはひとつもない。
「皆さま。此度私が起こした騒ぎ、心よりお詫び申し上げます」
考えるよりも早く、朱莉はその場に両膝をついていた。
両手を手前に添え、深々と額を地面につける。
「私の出現により、皆さまの平穏を乱すことになってしまいました。ですがご安心下さい。近日中に私はこの國から姿を消します。さすれば皆さまの不安もすぐに払拭できましょう」
顔を伏せた状態でも、詫びの言葉は相手に明瞭に届いているはず。
十五年間で身につけてしまった詫びの作法。まさか役立つ日が来るとは思わなかった。
「情けないことに、今の私はなにぶん着の身着のままで現れた身。今はお狐様の深いご厚意に甘えるしかございません。あと数日、どうかご猶予下さいますようお願い申し上げます」
地面にひれ伏したまま、朱莉は黙って陳情への反応を待つ。
返ってくるのは溢れる罵声か、石のつぶてか、四方からの足蹴か。
いずれにせよ無様に姿勢を崩さないで済むように、朱莉は一人身を固くした。
「おい。もう止せ」
「え?」
ぐい、と強い力で腕を掴まれる。
急に視界に広がった日の光に一瞬目が眩んだが、すぐに龍海が引き上げたのだと分かった。
しかしまだ、自分は顔を上げる許しを得ていない。
思いも寄らないことに困惑していると、誰かがこちらに近づく気配に気づいた。
「あ、あのよ」
「タマキくん?」
「俺はその、そこまでしてほしかったわけじゃ」
こちらに寄ってきた少年は、何故かしょんぼりと項垂れていた。
心なしか角の鋭さも薄れ、大きさが縮んだように見える。
今にもこぼれ落ちそうな涙に気づき、朱莉はぎくりと胸が騒いだ。
「ど、どうしたの。私がそんなに恐ろしいの? それなら龍海さん、やっぱり今日の外出は取りやめに……!」
「そうじゃない。いいからあんたはこいつの話を聞け」
来た道を引き返そうとする朱莉の肩を、龍海の手が難なく捕らえる。
再び見合うこととなった金色の瞳が、真っ直ぐ朱莉を映し出した。
「オレ、あんたはもっと酷いやつだと思ってた。この國を目茶苦茶にしようとやってきた、悪いやつだって」
「そ、そうなんだね?」
「でも。そんなことを企んでるやつが、こんなふうに土下座してまで謝るわけないよな」
タマキは覚悟を決めたようにぐっと口元を締めた。
「ごめんなさい! オレ、あんたに酷いことを言っちまった!」
「……!」
勢いよく下げられた少年の頭に、しばらく呆然とする。
謝られている──何故。私が?
何事か理解できず戸惑っていると、後ろから「おい」と肩を叩かれるのがわかった。龍海だ。
「子どもがこうして謝ってるわけだが。あんたから何か言うことは?」
「あ、わ、私は……」
こういうとき、どうすることが正解なのだろう。
來島家に引き取られて以降、朱莉が謝ることは数え切れないほどあった。
けれど、相手から謝られたことはない。ただの一度も。
困惑の中、必死に返す言葉を探していた、その矢先のことだった。
建物が並ぶ通りの向こう側から、突如として大きな破裂音が響いた。
「きゃああっ」「何だ!?」「地震か!?」
「全員身体を伏せろ!」
龍海の素早い指示に倣い、辺りのあやかし達は一斉に身体を伏せた。
「馬鹿、あんたもだ!」
「あ……!」
呆けていた朱莉の身体を、龍海の腕が庇う。
続けざまに街に響く轟音に、地面がビリビリと揺れる。街中の家屋からは悲鳴と戸惑いの声が上がっていた。
しばらくすると轟音は止み、辺りに静けさが戻ってくる。
ドクドクと逸る心音を聞きながら、朱莉はゆっくりとまぶたを開いた。
砂埃で曇った視界に、水色の文様が入った着物がはっきりと見える。
「無事か。怪我は」
「っ、だ、大丈夫です。何ともございません」
「そうか」
すぐ頭上から問われた言葉に、心臓が大きく音を立てた。
突然の衝撃から庇われた身体は、龍海の腕の中に難なく閉じ込められていた。
抱きしめる腕の力は強く、改めて相手が殿方なのだと思い知る。
着物越しにうっすらと感じる体温と胸の鼓動に、朱莉の顔は否応なく熱くなった。
そんな朱莉の様子などつゆ知らず、龍海は周囲に素早く視線を馳せる。
「収まったらしい。周囲の様子を見てくる。その場を動くな」
「は、はい」
素直に頷くと、龍海は砂埃の中に消えてしまった。
着物の裾で口元を覆いながら、朱莉も上体を起こし辺りを窺う。
茶色い靄のようなものが、いつの間にか街全体を呑み込んでいる。先ほどの轟音もただ事ではないだろう。他の人たちは無事だろうか。
「あの、皆さんご無事で……」
「やっぱりその女だ!」
土臭い空気に幾度かむせていると、剣呑な声が飛んだ。大人の男の声だった。
「嫌な予感はしていたんだ! 人間の女がこの國に現れるなんざ! やはり災いの前触れだったに違いねえ!」
「父ちゃん! でもさっき、この人は俺たちにちゃんと謝ってくれたじゃないか!」
後の声はタマキだった。
砂埃で視界がはっきりしないが、父親を説得しているらしい。
「離れてろタマキ! 人間ってのはなあ、時には平気で嘘も吐くし土下座で演じることもするんだよ!」
「そんなっ」
「いいから! 危ねえから、お前は母ちゃんと一緒にいろ!」
視界が晴れていく。
気づけば朱莉は、あやかし達によって取り囲まれるように見下ろされていた。
眼前に立つのは、一際上背のある大柄な鬼だ。
着物をまとってはいるが、裾から見える肌は赤らんでいる。額には大きな角が一本、まるで威嚇するように立っていた。
「お狐様の御慈悲に付け込みおって……許さんぞ、人間」
「そうだそうだ!」「弱々しい女のなりで乗り込めば油断すると思ったか!」「二度も騙されると思ったら大間違いだ、馬鹿な女め!」
大鬼に呼応するように、四方から援護の罵り言葉が飛ぶ。
先ほどは隠されていた疑心が、今ははっきりと鋭い視線にこめられていた。
どうやら今起こった轟音も街を包む砂塵も全て、朱莉が原因だと思われているようだ。
状況を理解した朱莉の口からは、弁明の言葉は出てこない。代わりに浮かぶのは、申し訳なさと諦めの感情だった。
やっぱり私の居場所は、地下ノ國にだってありはしないのだ。
「下がれ、クロキチ」
まだ人通りがほとんどない通りを歩きながら、龍海は話す。
「この國に棲む者は、そのほとんどが人間界に適応できなくなったあやかしだ。それでも何とかあやかしが生きながらえる為、地下の奥底にこの國を築いたと伝えられている」
「そうなのですね。私、知りませんでした」
「このことを知っている人間はそういない」
そのため國の街並みは人間界の文明の変化に乗ることなく、在りし日のままの姿を保っているのだという。
改めて見回すと目にとまる、木の目が見える瓦屋根の建物たち。今歩く石畳通りのすぐ横には、用水路を思わせる細い川が流れる。
自動車が走らないからだろう。道幅は人間界と比べやや細く、建物同士の距離も近い。
しかしそれを息苦しく思わないのは、やはり街全体に息づく穏やかな時の流れのためかもしれない。
「あれっ、龍海の兄ちゃん!」
建物の影から、一人の少年が駆けてきた。
着物姿で元気な癖っ毛が愛らしく、大きな金色の瞳をもっている。
にこにこ笑う表情が屈託なく、朱莉も自然と笑みを浮かべた。
「朝にも来てなかったっけ。今日は忙しいの?」
「ああ。今日は少し所用があってな」
「あれ? もしかして、兄ちゃんの後ろにいる女の人って……」
「ああ。昨日騒ぎになってただろ。空から真っ逆さまに落ちてきた張本人だ」
少年の瞳が、ぴかりと光る。
同時に、あちこち跳ねる癖っ毛の中からぴんと一本角が天を衝いた。
ここはあやかしが棲む國。もしかしたら鬼の少年なのかもしれない。
しかし、それ以外はほとんど人間と相違ない少年に対し、朱莉は笑顔で腰を落とした。
「こんにちは。そしてはじめまして。私、昨日空から落ちてきた張本人の──」
「──出て行け!」
「え」
「出て行けよっ! この國から、今すぐに!」
急に鋭くなった視線と剥きだしになった牙。
真正面からぶつけられた突然の敵意に息をのむ。
子どもの大声は辺りに響き、他の子どもや大人たちも姿を見せはじめる。
一際驚いた様子で駆け寄ってきた女性がいた。彼女の額にもまた二本の角が生えている。
「ちょっとタマキ! 急になんだい、往来で大きな声を出して!」
「だって母ちゃんこの女だぞ! 昨日空から降ってきた怪しい人間女! 父ちゃん母ちゃんだって言ってたじゃないか! あの人間女は、敵か味方か分からないって!」
「そ、それは……」
タマキと呼ばれた少年の主張に、母親らしき女性が苦々しげな顔をする。
今の話は恐らく事実なのだろう。朱莉の中で衝撃は特になかった。
「も、申し訳ございません龍海さまとお連れの方! 今朝お受けしたお狐様からのお達し、息子にもきちんと言い含めたはずだったのですが、なにぶん幼く頑固なもので……!」
「いいや。タマキの言うことも尤もだ。顔を上げてくれ」
冷静に言う龍海に、タマキの母親は申し訳なさそうに顔を上げる。
ちらりと視線が朱莉に向いた。困惑と戸惑いの目だった。
龍海はタマキの前まで歩み寄り、地面に片膝をつく。
「タマキ。俺はこの人間の監視役だ。万一何かあったとしても、俺が対応するから問題ない。タマキは何も心配はいらないさ」
「本当に?」
「本当だ。信じられないか?」
「龍海兄ちゃんのことは、信じてるけど」
「そうか。ありがとうな」
立ち上がった龍海は、タマキの頭をわしゃわしゃ撫でる。
満更でもなさそうにしているものの、タマキは朱莉を小さく睨んだままだった。
先ほどの龍海と母親の会話から察するに、龍海は早朝から周辺の家を回っていたらしい。
お達しの内容は恐らく、朱莉は人間だが過度な警戒は不要──といったものだろうか。つくづくお狐様にも龍海にも頭が上がらない。
それでも、住民が心まで納得がいくかは別の話だ。
現に今集まる周囲からの視線も、朱莉を歓迎するものはひとつもない。
「皆さま。此度私が起こした騒ぎ、心よりお詫び申し上げます」
考えるよりも早く、朱莉はその場に両膝をついていた。
両手を手前に添え、深々と額を地面につける。
「私の出現により、皆さまの平穏を乱すことになってしまいました。ですがご安心下さい。近日中に私はこの國から姿を消します。さすれば皆さまの不安もすぐに払拭できましょう」
顔を伏せた状態でも、詫びの言葉は相手に明瞭に届いているはず。
十五年間で身につけてしまった詫びの作法。まさか役立つ日が来るとは思わなかった。
「情けないことに、今の私はなにぶん着の身着のままで現れた身。今はお狐様の深いご厚意に甘えるしかございません。あと数日、どうかご猶予下さいますようお願い申し上げます」
地面にひれ伏したまま、朱莉は黙って陳情への反応を待つ。
返ってくるのは溢れる罵声か、石のつぶてか、四方からの足蹴か。
いずれにせよ無様に姿勢を崩さないで済むように、朱莉は一人身を固くした。
「おい。もう止せ」
「え?」
ぐい、と強い力で腕を掴まれる。
急に視界に広がった日の光に一瞬目が眩んだが、すぐに龍海が引き上げたのだと分かった。
しかしまだ、自分は顔を上げる許しを得ていない。
思いも寄らないことに困惑していると、誰かがこちらに近づく気配に気づいた。
「あ、あのよ」
「タマキくん?」
「俺はその、そこまでしてほしかったわけじゃ」
こちらに寄ってきた少年は、何故かしょんぼりと項垂れていた。
心なしか角の鋭さも薄れ、大きさが縮んだように見える。
今にもこぼれ落ちそうな涙に気づき、朱莉はぎくりと胸が騒いだ。
「ど、どうしたの。私がそんなに恐ろしいの? それなら龍海さん、やっぱり今日の外出は取りやめに……!」
「そうじゃない。いいからあんたはこいつの話を聞け」
来た道を引き返そうとする朱莉の肩を、龍海の手が難なく捕らえる。
再び見合うこととなった金色の瞳が、真っ直ぐ朱莉を映し出した。
「オレ、あんたはもっと酷いやつだと思ってた。この國を目茶苦茶にしようとやってきた、悪いやつだって」
「そ、そうなんだね?」
「でも。そんなことを企んでるやつが、こんなふうに土下座してまで謝るわけないよな」
タマキは覚悟を決めたようにぐっと口元を締めた。
「ごめんなさい! オレ、あんたに酷いことを言っちまった!」
「……!」
勢いよく下げられた少年の頭に、しばらく呆然とする。
謝られている──何故。私が?
何事か理解できず戸惑っていると、後ろから「おい」と肩を叩かれるのがわかった。龍海だ。
「子どもがこうして謝ってるわけだが。あんたから何か言うことは?」
「あ、わ、私は……」
こういうとき、どうすることが正解なのだろう。
來島家に引き取られて以降、朱莉が謝ることは数え切れないほどあった。
けれど、相手から謝られたことはない。ただの一度も。
困惑の中、必死に返す言葉を探していた、その矢先のことだった。
建物が並ぶ通りの向こう側から、突如として大きな破裂音が響いた。
「きゃああっ」「何だ!?」「地震か!?」
「全員身体を伏せろ!」
龍海の素早い指示に倣い、辺りのあやかし達は一斉に身体を伏せた。
「馬鹿、あんたもだ!」
「あ……!」
呆けていた朱莉の身体を、龍海の腕が庇う。
続けざまに街に響く轟音に、地面がビリビリと揺れる。街中の家屋からは悲鳴と戸惑いの声が上がっていた。
しばらくすると轟音は止み、辺りに静けさが戻ってくる。
ドクドクと逸る心音を聞きながら、朱莉はゆっくりとまぶたを開いた。
砂埃で曇った視界に、水色の文様が入った着物がはっきりと見える。
「無事か。怪我は」
「っ、だ、大丈夫です。何ともございません」
「そうか」
すぐ頭上から問われた言葉に、心臓が大きく音を立てた。
突然の衝撃から庇われた身体は、龍海の腕の中に難なく閉じ込められていた。
抱きしめる腕の力は強く、改めて相手が殿方なのだと思い知る。
着物越しにうっすらと感じる体温と胸の鼓動に、朱莉の顔は否応なく熱くなった。
そんな朱莉の様子などつゆ知らず、龍海は周囲に素早く視線を馳せる。
「収まったらしい。周囲の様子を見てくる。その場を動くな」
「は、はい」
素直に頷くと、龍海は砂埃の中に消えてしまった。
着物の裾で口元を覆いながら、朱莉も上体を起こし辺りを窺う。
茶色い靄のようなものが、いつの間にか街全体を呑み込んでいる。先ほどの轟音もただ事ではないだろう。他の人たちは無事だろうか。
「あの、皆さんご無事で……」
「やっぱりその女だ!」
土臭い空気に幾度かむせていると、剣呑な声が飛んだ。大人の男の声だった。
「嫌な予感はしていたんだ! 人間の女がこの國に現れるなんざ! やはり災いの前触れだったに違いねえ!」
「父ちゃん! でもさっき、この人は俺たちにちゃんと謝ってくれたじゃないか!」
後の声はタマキだった。
砂埃で視界がはっきりしないが、父親を説得しているらしい。
「離れてろタマキ! 人間ってのはなあ、時には平気で嘘も吐くし土下座で演じることもするんだよ!」
「そんなっ」
「いいから! 危ねえから、お前は母ちゃんと一緒にいろ!」
視界が晴れていく。
気づけば朱莉は、あやかし達によって取り囲まれるように見下ろされていた。
眼前に立つのは、一際上背のある大柄な鬼だ。
着物をまとってはいるが、裾から見える肌は赤らんでいる。額には大きな角が一本、まるで威嚇するように立っていた。
「お狐様の御慈悲に付け込みおって……許さんぞ、人間」
「そうだそうだ!」「弱々しい女のなりで乗り込めば油断すると思ったか!」「二度も騙されると思ったら大間違いだ、馬鹿な女め!」
大鬼に呼応するように、四方から援護の罵り言葉が飛ぶ。
先ほどは隠されていた疑心が、今ははっきりと鋭い視線にこめられていた。
どうやら今起こった轟音も街を包む砂塵も全て、朱莉が原因だと思われているようだ。
状況を理解した朱莉の口からは、弁明の言葉は出てこない。代わりに浮かぶのは、申し訳なさと諦めの感情だった。
やっぱり私の居場所は、地下ノ國にだってありはしないのだ。
「下がれ、クロキチ」