神子の祭りについてわかったことを以下に記しておく。
 彼との会話など、記憶を頼りに。



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 二〇二四年九月一日。神子の祭りへ向かうために橋を渡り、彼と二人川沿いに道を歩いて行きました。▲▲村へと足を踏み入れたのは十年以上ぶりになるのに、かつての景色とそう変わりはなく、相変わらず古い家屋が立ち並んでいました。今どき珍しい瓦屋根の家ばかりで、どこか空気も淀み古臭い匂いがする気がしました。たまに見えるトタン屋根の家が近代的にすら見えてしまうから不思議でした。変わったのは橋だけのように思いました。昔はどこからでも川へ立ち入ることができたのに、いまはもう周りはガードレールで完全に囲われており、かつて土手だったコンクリートのそこへは降りることも禁じられているようでした。

 幾度となく繰り返された市町村合併によって村にお金が入ったのか、川付近の整備は進んでいるようです。だが、相変わらず電灯の数は少ないように思えるし細い道も多い。昔ながらの部分が色濃く残っています。

 佐藤凛が発見されたという陥没箇所ももう修復されているようで、どの辺りだったのかわかりません。もう三年も前のことなのに、いまだに未解決事件として扱われています。

 橋の工事のことは、以前より知っていました。だけど、この目で実際に見るのは初めてのことでした。知ってはいましたが、かつてぼーぼーと草が生えていた土手がすべてコンクリートで覆われているのを目の当たりにすると、ここでの思い出も一緒に塗りつぶされてしまったように思えました。綺麗な思い出のことは汚されたと思うのに、そうではない思い出のことは、どうして跡形もなく消してはくれないのだろう。現実ではすべてが埋め立てられても、記憶上に残るこの場所、きっと私の心の中までは、永遠に工事などできないのでしょう。

 変わったのは橋だけではなく、私自身もそうなのかもしれません。

 歩いていくとぽつんと小さな祠があるのが遠目で見えてきました。それは彼の目に留まったようで、私が言うより先にそこへと彼は速足で近づいていきました。

「こんなところに祠があるって珍しくない?」

 彼はそれを指さしながら嬉々として私に言いました。「そうだね」とその時の私は考えなしに受け答えしましたが、その祠はどこか見覚えがありました。ああ、あの土手の草に埋もれていたお地蔵さんだと、私は気が付きました。ふと昔のことを思い出して、また私は考えなしに、かつて佐藤凛とそうしたようにそのお地蔵さんの前で目を閉じ手を合わせました。

「そんたらもんに手なんか合わせちゃならねえ」

 その時、突然そう声をかけられました。驚いてしゃがれた声が聞こえてきた方を見てみると、八十歳くらいの腰の曲がったおばあさんが眉間にしわを寄せて立っている。目は開いているのかいないのかわからないほど瞼が垂れており、だけどこちらを見るその雰囲気から歓迎されていないことだけはわかりました。そんたらもん、とはこちらの方言のようなもので「そんなもの」の意です。その言葉を一人怪訝に思っていると、彼が言いました。

「この辺りに昔から住んでいる方ですか? 実は風土や歴史に興味があって、今日ここで≪神子の祭り≫があると聞いて来てみたんですよ」

 彼は社交的な性格で、初対面の人に物怖じすることはありません。大学での卒業研究も風土史を調べており、いろんなところへ行き、いろんな人に話を聞いたと言っていたので、このような現地調査も慣れているのでしょう。私たちが外から来たということはこちらが説明する前に、そのおばあさんはきっと気付いていたと思います。

外れ(・・)のもんか」

 しわがれた声でぼそっと呟いたおばあさんの言葉に、彼は一瞬眉根を寄せました。私は知っている。外れ(・・)という言葉の意味を。だけど私は、何も知らないふりをしました。その方がいいと思ったからです。

 そのうち遠くから「いちもん、いちもーん」という大人や子供のまじった声がざわざわと聞こえてきました。声がした方を彼と一緒に目で辿ると、大人を先頭に後ろを数人の子供がついて歩き、一軒一軒近所の家を訪ね歩いているようでした。

「あれは、いったい何をしているんですか?」

 彼は気を取り直すようにもう一度、今度は質問を変えておばあさんへと声をかけました。おばあさんの表情から感情は読み取れない。だけど、仕方なさそうに説明だけはしてくれました。

一文(いちもん)一文言うて、あれはそこらを練り歩いて人からお金をもらっているんだ。大した額じゃあないね。一軒で一人の子がもらうのはせいぜい十円だね。多いとこは百円ずつ配る家もあるけどもさ。見えるかね。子供は皆お面を持ってる。狐面だったりひょっとこだったり、木でできたいいやつだね。この村にずっと受け継がれてる古いもんだ。神子の祭りに来たと言ったね。ここらでは九月の初めの日曜日に祭りがあって、子供らは一文一文でもらった銭を使って出店で買い物をするんだ。公認の小遣い稼ぎみてえなもんだな」

 おばあさんの言葉に目を凝らして人の列を見ると、確かに子供は皆何かを手に持っている。子供の手には大きく見えるそれは、おばあさんの言ったようにお面なのだろう。

「なるほど。地域の行事みたいなものなんですね。一文と言うと、昔のお金の単位でしょうか? それが現代まで引き継がれて、今のような形になったんですかね?」

 彼はひどく興味深げにおばあさんへと再度質問をしたが、「知らん」と一蹴されてしまった。そんなことにも慣れているのでしょう。彼はめげる様子もなく、ぐいぐいとおばあさんを質問攻めにしていました。最終的におばあさんは私たちのことが面倒になったのか、私たちの目的地である神社の方を指さしました。

「ほら、あすこ(・・・)見えるだろ? あすこで神子の祭りをやるんだ。なんもないども見てったらいい」

 おばあさんはそれだけ言うと、立ち去ろうとこちらに背を向けました。

「あの! 最後にいいですか?」

 私は声をあげました。いつもなら、こんなふうに見知らぬ人に声をかけることなどしないだろう。だけど私は、最初に言われたあのひとことだけがずっとどこか引っ掛かっていました。どうしても聞きたかった。私の声に足を止めてくれたおばあさんに、尋ねました。

「先ほど私が手を合わせていたら、おっしゃいましたよね? そんたらもんに、って。実は私、あれを昔から知っているんです。あのお地蔵さんはどういったものなんですか? 私、てっきりこの土地の守り神のようなものかと思って、今まで手を合わせていました」

 私の声は少し震えていたと思います。だって、そのおばあさんの口ぶりから、あれはよくないものだと感じ取っていたから。おばあさんはふいと目を私から逸らしました。

ソレ(・・)は、神様でもなんでもねえ。だから、もう手なんか合わせるな」

 そう言って、今度こそおばあさんは立ち去ってしまいました。黙り込んだ私を見て落ち込んでいると思ったのか、彼は私を励ますように言いました。

「まあ、こういうとこにある地蔵って身代わり地蔵とか、亡くなった人の霊を供養するためのものって言ったりもするよね。だからあのおばあさん、手は合わせるなって言ったんじゃない? 手を合わせる人って、慈悲深いって感じするじゃん。同情っていうかさあ。そういう人につけ込んで、ついてきそうな気がしない? 霊が。……まあ、あんまり気にするな。ただの迷信だから」

 私は返事をすることも、頷くこともできませんでした。おばあさんの言葉と彼の言葉が意味深に結びついて、固い結び目を作っているような気がしてしまったから。



「なんか、思ったより規模が小さいお祭りなんだね」

 神社の鳥居をくぐると、参道には無地の提灯がいくつかつるされているのが見えました。そこはかとなく祭りという雰囲気ではありました。なんとも言えない気持ちのまま彼に着いて行く形で神子の祭りへとやってきましたが、大したものはやっぱりありませんでした。想像していたような焼きそばやたこ焼きといった露店などは一切なく、水神橋付近の神社の境内にいくつかの長机が出されているだけの簡易的な模擬店が催されているようです。やはり「余所者」が来るようなところではなく、地域のための催しなのでしょう。素性の知れない私たちに気付いた大人たちのこちらを見る目の厳しかったこと。彼の説明でことなきを得ましたが、居づらい空気感でした。

 近隣住民が店番を担当しているようで、机の上には付近で買い集めたのであろう駄菓子やスーパーボール、ヨーヨーなどが所狭しと並べられていました。昔の駄菓子屋を連想させるようなラインナップで、それらはすべて一つ十円、二十円、高い物でも五十円といった小学生のお小遣いでも買えるような破格の値段で売られています。調べてみると一文とは、今で言うと十円ほどのお金のことです。「一文、一文」でもらったお金で買える品物が並べられているのだなと思いました。

 行ってみれば≪神子の祭り(・・・・・)≫とは名ばかりで、地域で行う小さなお祭りといったようなものでした。それがわかった彼は、心底がっかりしているように見えました。

 こういう祭りなら、私の住んでいた地域でももちろんありました。神子の祭り、なんて仰々しい名前ではもちろんありません。春には春祭り、夏にはサマーフェスティバル、秋には秋祭り、冬はどんど焼きといったふうに名前を変えて、地域の子供から大人まで住民全員が参加できるイベントでした。特に夏のサマーフェスティバルはお盆期間の八月十四日に行われるのが通年で、朝から大人たちは準備をして、地域の子供たちはその日は無礼講で夜遅くまで遊んだものでした。

 神子の祭りは長居できる空気ではもちろんなく、彼も話を聞けるような状況ではないと判断したのか「帰ろうか」と珍しく彼の方から私に言いました。私も彼に同意でした。早くこの場所から出たい、そう思っていたからです。

 帰る時ももちろん参道を通り鳥居をくぐります。だけどその時、彼が「あれ」と声をあげました。

「ねえ、ここ見て。この提灯だけなんか書いてある」

 彼が指さすのは、一つの提灯。入る時には気付きませんでしたが、その裏に文字が書かれているのを彼は目ざとく発見したようです。私も彼の指先を辿り、そこを同じように見ました。そこにはこう書いてありました。






 水子祀(・・・)






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