誰かがこれを読む日がいつか来るのでしょうか。私には知る由もないけれど、いま知る限りのことをここに書き残しておこうと思います。
まずはじめに、私はA県在住の普通の会社員です。
趣味はネイルアート、愛猫のトマト(二歳メス)と暮らす、平凡な女です。
最近は料理に凝っていて、ビーフストロガノフとかローストビーフとか、ちょっと手の込んだ料理を休みの日に作るのにハマっています。というのも、近々結婚が決まって、彼においしい手料理を食べてほしいと日々勉強中の身なのです。
幸せな日々が続いていました。
だけど、ある一つのニュースをきっかけに私の平凡で幸せな日々は脅かされようとしています。
先のフォルダ①からまとめているものは、N県に由来する(と思われる)事件や事故を簡易的にまとめたものです。どうしてこれを文書として残しておこうと思ったのかは、いまは伏せておきます。今書いているこの記事も『フォルダ④』として残そうか悩みましたが、ひとまず(仮)ということで書き連ねていきます。
理由は後に述べるとして、きっかけだけはまずここに書き記しておこうと思います。
以下にあるニュースの記事は、私に大きな衝撃を与えるのに十分でした。
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○陥没か? 大穴に女性の遺体
二〇二一年五月某日、午後六時のニュースにて
本日夕方六時頃、近隣住民により消防へ通報がありました。水神橋が架かる斜面部分に、遠目でもわかるほどの大穴を見つけたとのことです。橋が崩れるのではないかとの通報で現地調査を行ったところ、その穴から女性の遺体が発見されました。女性の身元の確認を急いでいるとのことです。大穴については消防による調査が現在も続いています。
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こちらのニュースは、私が就職する以前に住んでいた地元であるN県内に流れたニュースでした。
当時私は既にA県へと移り住んでいたためそのニュースをリアルタイムで見ることはありませんでしたが、偶然が連なり、三年遅れてこちらのニュースを知ることになったのです。
続けて、以下のニュースも流れていたようです。
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○陥没と判明 一体その女性に何が起こった?
二〇二一年五月某日のニュース続報にて
続報です。水神橋付近の大穴から見つかった女性の身元が判明しました。N県在住の佐藤凛さん(二十七歳)とのことです。不審死と見られ、おそらく何らかの事件に巻き込まれたとみて調査を続けている模様です。また、近隣住民より通報のあった大穴については専門家によると陥没との見解でした。死亡事件と合わせて、こちらも引き続き調査が行われています。
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その過去のニュースを見て、全身の血がさーっと引いていくのがわかりました。だって、この亡くなった女性、私の知り合いだったんです。それも、幼い頃に親しくしていた友人のうちの一人です(中学校に上がる前に疎遠になりましたが)。
そもそもこのニュースを知ったきっかけは、二〇二四年六月某日、結婚挨拶のアポイントを取るため父にかけた電話でのことでした(めでたいことなのだから、別にこの時に言わなくてもよかったのにと今更ながらに思ってしまいます)。
彼からプロポーズされて、結婚の挨拶をするために父に電話をかけました。母は私が高校生の頃に亡くなっているので、私の家族は父だけです。「今付き合っている人にプロポーズしてもらって、結婚しようと思ってる。挨拶に行きたいと思うんだけど」と、このような内容で父に連絡をしたと思います。父は震える声でしたが喜んでくれて、挨拶のために彼と二人、N県◆◆◆市にある実家へと帰省しました。それが今月頭のことでした。
無事に報告も済み、盆休みを使ってO県にある彼の実家へ挨拶に行くことも父に伝えました。
終始和やかに過ごすことができましたが、その際にも父に言われたのです。
「おまえ、一度線香でもあげに行ったらどうだ」
めでたい席なのに、どうしてこうも父は私の心を曇らせるのか。そのときは内心苦虫を噛みつぶす思いでした。
その日は仕事を調整して地元に帰ってきていたし、とんぼ返りで明日にはもう仕事だったので、父のその提案にすぐ頷くことはできませんでした。そんな私の様子を見て、父も何か思うところがあったのでしょう。
「九月のはじめに▲▲村で神子の祭りがあるから、それに合わせてもう一度帰ってきたらどうだ」
そう言いました。▲▲村というのは昔の名残で、実家近辺に住む人たちは(五十代後半以降の人たちは特に)今はもう村という名を変えているその町を、いまだに▲▲村と呼びます(わかりやすいからだと思います)。◆◆◆市の私の家がある場所と▲▲村(わかりやすいように村と表記します)はほど近く、幅二メートル程の川を越えたすぐ向こう側同士にあります。川が、町とその村の境界線と言えばいいのでしょうか。実際その川と橋は▲▲村の所有なので、正式には橋に踏み入ったら▲▲村です。小さい頃はよくその川のほとりで遊んだものでした。今はもうかなり整備されていて立ち入ることはできませんが。
だから、すごく驚いたのです。
佐藤凛の訃報を知った時、その場所を知った時、私の背をぞわりと何かが這い上がっていきました。
彼女のニュースは調べればいくつも出てきます。
以下も、当時流れていたニュースです。
私は帰るまで少し時間があったので、スマホで当時のニュース記事をひたすら検索していました。
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○佐藤凛、他殺か? 近隣住民への聞き込み捜査の書き起こし
記者「佐藤凛さんはどんな方でしたか?」
住民「えー、あこん子(意:あそこの子供)は活発で器量のいい子でしたよ。まあ、失業したとかでこっちに戻ってきたばっかでね。小さい頃のあこん子は知ってるけど、最近のあこん子がどんなって聞かれても、答えられる人は少ないんじゃないかねえ。殺されるような人間ではないとは思うけれども。そこらへんで会うと小さい頃と変わらずに挨拶もしっかりするし、恨みを買うような人間には見えなかったねえ」
記者「変わったことなどはありませんでしたか?」
住民「いやあ……、どうだろうねえ。あすこに落ちてたって聞いたけどねえ。……うん。わたしにはわからないねえ」
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彼女の詳しい死因について語っているニュースは全然見つけることができませんでした。だけど探していくと、地域のローカル情報誌にそれは載っていました。小さな枠組みで囲われたそこには、彼女の死因がはっきりと書かれていたのです。
水神橋で見つかった佐藤凛の死亡原因は失血死だということ。
大きな外傷は見当たらず、首元に数ミリの傷があることから、そこから血を抜かれたのではないかということ。
何らかの事件に巻き込まれ死亡したのち、穴に投げ込まれたのではないかということ。
実家へ結婚の挨拶に来ただけなのに、なぜ私はこんなことしているのだろうと頭を抱えたくなりました。
だけど、どうしても調べずにはいられなかったのです。
……ひとまず、彼女のことについては一旦置いておきます。
私はこの結婚の挨拶を最後に、もうここへは戻って来ないつもりでした。
だから、父からされた提案にひどく狼狽えました。
別に、父のことは嫌いではありません。会えるなら会いたいと思うし、私をここまで育ててくれた恩もあります。
だけど、もう戻って来たくはないと思っていました。
佐藤凛に線香をあげるのも、嫌だったわけではありません。
でも、どうしてももう『あちら』には行きたくなかったのです。
でも、彼は言いました。
「神子の祭り? すごい仰々しい名前だね。行ってみたいかも」
彼は少し変わっていて(というのも失礼な表現かもしれませんが)風土とか歴史とかにすごく興味を持つ人で、父からその祭りの話を聞いたときにも身を乗り出すほどでした。
神子の祭りについてですが、名前だけは私も聞いたことがありました。だけど、それに参加したこともなければ、わざわざ参加しようと思ったことすらなかったです。開催場所が近いといえど、そもそも私が住んでいる地域とは違う地域のお祭りでしたし、そんなに有名でもない。小さな屋台がいくつか出店することは風の噂で知っていましたが、行きたいと思えるほどのものでもない。そのお祭りはその村の為だけの祭りでしょうから、こちらにまで詳しい話が来るわけもありません。だけど、神子の祭りという名前だけは、川付近の住民(たぶん限られた人だけ)は知っていました。
彼の興味深げな態度にすっかり気を許した父は「じゃあ、来月待ってるからな」とその話を終えてしまいました。
その日の帰り道、偶然にも最寄り駅で同じ大学に通っていた後輩のTちゃんに会いました。同じサークルに所属しており、妹のように可愛がっていた子です。私は一人っ子だったので、慕ってくれるTちゃんをとても可愛く思っていました。Tちゃんも私のことを覚えてくれていて、少しばかり話に花が咲きました。
ですが、新幹線は指定席券を買っていたのであまりその場では積もる話もできず、後で時間がある時に電話でもしようかと別れました。
積もる話のその先で、翌晩Tちゃんから聞いたのが先のフォルダ①の話でした。
仕事の癖が功を奏し(と言っていいのかわかりませんが)、彼女との会話の記録は始終録音されておりました。
私はTちゃんの話を聞いて、やっぱり私は絶対にもう◆◆◆市には帰りたくない。
▲▲村なんてもってのほかだと強く思うようになりました。
だけど、彼はこうと決めたら考えを変えない人です。特に自分の興味のある分野についてはなおのことです。
行くのをやめたいと言ったところで、きっと彼は聞かないでしょう。
それから私は、いろいろなことを調べ始めました。
やめておけばいいのに、そう思うのに、きっとこの衝動は自分では止められないのだと思います。
自分は大丈夫だ。自分には関係ない。
調べることで、安心したいのです。
でも、調べ進めていくうちに思うのです。
調べていった先に何があるのか。
私が向かっているのは安全とは逆の方向なのではないか。
私にも何か起こってしまうのではないか。
この幸せな日々が終わってしまうのではないか。
あの日の彼女のように。
毎日怯えながら暮らしています。
誰かがこれを読む日がいつか来るのでしょうか。
そのとき、私は無事でいられるのでしょうか。
願うならば、これがただの私の日記になりますように。
そう思いながらも、調べる手は止まらないのです。
(二〇二四年八月二十日)