⬛︎ 2024年12月7日(土)午後二時〜
千葉県浦安市内にある絹谷宅
……私がその事態を把握したのは、花恵ちゃんが亡くなったあとのこと。
交換日記に書かれているように、彼女は月野先生にひどく怯えていて、彼女が校舎の十階から飛び降りたのは、その一ヶ月後だった。
そのあとは、譛磯㍽先生が何か知ってるんじゃないかって思って、居ても立っても居られなくなって、問いただしたの。花恵ちゃんが亡くなってから、二週間くらい経った頃だったと思う。私は、彼が花恵ちゃんのことに一切関与していないことを望んでた。だから「まさか違いますよね?」って、強くは出ずに聞いた。たとえ、関与があったとしても、違う、と否定してほしかった。
でも、彼は誇らしげに言ったの――「あれが俺の指導方法だ。実に効果的だろう?」って。
その言葉を聞いた瞬間、全身が凍りついた。ものすごく怖くもなったし、まずは歳の近い先生たちに相談してみようって思って……だから、譛磯㍽先生と一番仲が良かった佐野先生にも相談してみた。そしたら佐野先生、事情知ってたみたいで……。
笑ってた。
「譛磯㍽先生、さすがにやりすぎちゃったよねぇ」って、笑って言ってた。人が一人――いや、それどころじゃない。花恵ちゃん含め、三人の生徒が自ら命を絶ったと言うのに、彼は笑ってた。
さらに怖くなって、どの先生に聞いても佐野先生のような返答しかなかったら、って考えたら、もう誰にも言えなくなっちゃって――。冷静になって考えれば、警察を頼ればよかったんだけど。
今思えば、佐野先生も譛磯㍽先生に呪われてたのかもしれない。ほら、彼は誰をも魅了する、特別なオーラみたいなのがあったでしょう? 私が警察に話せなかったのも、彼の呪いにかかっていたからだと思う。
完全に萎縮して、私も彼に怯えるような毎日を過ごすことになった。そんな時に、彼は言った。「俺の指導方法を、絹谷先生にも見て欲しい」って。
私は譛磯㍽先生に十階に誘われて、莉奈ちゃんがその便箋に書いていたようなことを目の当たりにした。私が知っているだけで、両手の指があっても足りないくらいの人数だった。それだけじゃなくて、その行為を撮るようにとカメラを持たされることもあった。そしていつしか、私自身も彼から特別指導を受ける対象へと変わっていった。私は、彼の罪に加担してしまったの。
怖くなって、教師を辞めることを決意した。いつどこから、あの悍ましい出来事が漏洩するのかわからず、そんな中で教鞭を執るなんて無理だった。もう私は、教師として働く資格はないって思ってた。
でも、知り合いの先生に声を掛けてもらえて、私立の高校で働くようになってからは、少しだけ日常を取り戻せた気がした。新しい環境で生徒たちと接することで、過去の記憶は押し込めた。ものすごく自分勝手で、生徒たちのことは見て見ぬふりした私が、何を言ってるんだって思うかもしれないけど……でもね、私だって本当に怖かったの。
ちひろちゃんが初めてここを訪ねてきた時、地下にありもしない大量のベッドの話をしたのも、どうにかして十階の怪異から意識を外してもらうためだった。……嘘をついてしまって、ごめんなさい。
今でもものすごく後悔してる。あの時に戻れたら、あの時に戻れたらって――。でも、もう遅いね。
あのあと、何を思ったのか、譛磯㍽先生も学校から逃げるように教職を退いた。地元の北海道に帰ったみたい。今は何をしてるかさっぱり……佐野先生も、彼とはもう連絡とってないみたいで。
ある意味、あの高校は本当に呪われてたのかもしれない。
譛磯㍽蠎ク莉という、一人の男に。
……えっ。
売るって……本気で言ってるの?
いや、そういうことじゃなくて……私のことなんかはもう、どうでもいいの。でも、ご遺族の方とかは混乱しない?
……そう。
うん……そっか。わかった。
私も、出来る限り協力するから。