「美花、死んだんですよ」

 目の前に座る彼女は、一ヶ月前よりもげっそりしているように思えた。
 テーブルの上に置かれた便箋を見て、それが美花ちゃんからちひろちゃんに向けて書かれた、遺書だということがわかった。
 何かに怯えるようにして書かれたそれを見て、私は自分の罪を認めざるを得なかった。

「なんであんなしょーもない嘘ついたんですか、里実先生。地下に、ベッドなんてなかったんですよね?」
「……ごめんなさい」

 ちひろちゃんの顔が見れなくて、顔を伏せた。
 目に見えなくてもわかるほど、彼女からは怒りと嫌悪をひしひしと感じた。二つの感情は混ざり合い、軽蔑として私に向けられている。
 苛立ちのようなため息のあと、テーブルの上に、もう三枚の便箋が荒々しく置かれた。

「実際にベッドが置かれてあったのは、立ち入り禁止とされていた十階。そこで何が行われていたかは、ご存知でしたよね?」

 そっと、その便箋へと視線を向ける。

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 私、谷元美花は、高校に入学した二〇一七年の夏から、卒業の二〇二〇年の春までの間、商業科教員の月野庸介から、心身ともに苦痛を与えられていました。

 はじまりは、些細なことでした。ほんの出来心で、立ち入り禁止とされていた十階に足を踏み入れたことです。そこを月野先生に見つかってしまいました。

 彼は、十階で私に対して行っていた行為を「特別指導」と称していました。
 特別指導が行われていたのは、西階段を上ってすぐのところにある、旧マーケティング室。そこには、シングルベッドが二台繋ぎ合わせられており、個人用と思しきカメラが設置されていました。そのベッドの用途が、病院や保健室に置いてあるものとは異なっているのは一目瞭然で、明らかに教育現場として異様な雰囲気を放っていました。
 そして、くしゃくしゃのまま放置されたシーツを見て、被害者が私だけでないことに気がつきました。

 何度も、親や友達や学校にも相談しようとしました。彼の行為は卑劣で外道で、口外すればニュースになるほどの犯罪行為であることは間違いありません。
 しかし、私以外にも同じような被害を受けてるであろう人たちは、何も言っていない。あえて隠している。私が彼の行為を告発すれば、誰にも言わずに耐えている他の被害者を、かえって傷つけることになるのではないか。彼女たちの心情を考えると、なかなか声を上げる勇気が持てませんでした。

 そして何より、私は月野先生とのその関係が壊されるのが嫌でした。彼の支配下に置かれ、散々ひどい目に遭わされたというのに、おかしな話です。
 彼に抱きしめられると心がじんわりと熱くなり、求められれば求められるほど、私のことを必要としてくれている、と錯覚してしまう自分がいました。彼が私に向けた言葉や行動は、愛情ではなく、ただの支配と暴力であるということはわかっていたのに、それを否定できなかったのです。

 でも、それは間違っていました。
 染谷ありささん、加藤心優さん、倉田恵さん。この三人も私と同じように、彼から特別指導を受けていました。他にも、もっといたかもしれません。

 命を絶った三人は、私と同じように、月野先生の呪いにかかっていました。だから、彼女たちの訃報を聞いたときは、次は私がその呪いで殺される番かと思いました。
 そして、卒業してから五年が経ったいまも、私はその呪いから解かれていません。彼とは会ってもいないし、連絡すらとっていませんが、いまでもあのときの光景がフラッシュバックします。支配されていたことの恐怖と、それとは相反した、彼に会いたいという欲望がごちゃまぜになってるんです。

 だから、ちひろにはあの作品の投稿をやめてほしかった。
 私と彼との思い出が暴かれ、世に出て、彼に知られてしまったら――。私はその行く末を見るのが怖い。
 十階の旧マーケティング室での彼との時間は、私にとって地獄であり天国だった。
 その矛盾こそが、月野庸介の呪いだと、私は思う。

 それでも、やっぱりこのことは公にするべきだと考え直しました。私はその行く末を見届けることは出来ないけれど、どうか、私たちと同じような目に遭った人たちがこれ以上苦しむことがないように、真実を明らかにしてください。

 月野庸介を、絶対に許してはいけません。

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 全身から、力が抜けた。
 美花ちゃんの言葉が頭の中で再生されて、心臓がきゅっと締め付けられる。

「これを読んでも、まだ黙ってるつもりですか」

 目を背けてはいけない。
 ちひろちゃんの怒りに震えた声に、私はやっと顔を上げた。高校生の時、キラキラした瞳で「里実先生!」と駆け寄ってきた彼女は、もうそこにはいなかった。ただ、軽蔑の眼差しを私に向けているだけだった。私は彼女のことを裏切り、失望させ、深く傷つけてしまった。

「……私がその事態を把握したのは、恵ちゃんが亡くなったあとのこと」

 すべてを話すことで、許されるとは思わなかった。
 それでも、信頼してくれていた元教え子のために、五年経ったいまも苦しみ続けた美花ちゃんのために、そして被害を受けていた他の生徒たちのためにも――私は、彼女にすべてを打ち明けることにした。