「最近の高校生って、マジで教師のことナメてるよなぁ」
歓迎会の席で、彼がぽつりと吐いたのをいまでも覚えている。
新卒で赴任した学校は商業高校で、ベテランの先生が多い中、若手組は私を含めて四人ほどだった。
歓迎会は、最初の方こそ年齢の垣根なく話していたけど、お酒が入るにつれ、親交が深い者同士で席が固まりつつあった。ガハガハとあちこちから笑い声が聞こえる中、私たち若手組は、一番端の掘りごたつでひっそりと話していた。
「なに言ってるんすか〜。月野先生、めちゃくちゃ生徒から人気じゃないですかっ」
社会科の佐藤先生がおどけた口調で言いながら、彼――月野先生の肩を肘で軽く突いた。佐藤先生は、若手組の中では月野先生に次ぐ年長者で、二人は生徒たちの間でも「ニコイチ」なんて言われるほどの仲良しだった。
「いや、舐められてるだけだよ」
「そんなことないですよ」
苦笑しながらも、どこか本気で怒っているようだった。月野先生と同じ、商業科の坂井先生がそれを宥めるも、中身が半分残ったジョッキを空けると、月野先生はぽつりぽつりと怒りを吐露し始めた。
「あいつら、俺のことヨースケヨースケって下の名前で馴れ馴れしく呼んでくるし、校則違反の化粧とかスカート折りとか、俺の前だったら何しても大丈夫だろうって思ってんだよ」
途中、通りすがりの店員に、ビールください、と声を掛けると月野先生はそのまま話を続けた。
「いやさぁ、何が一番嫌かって、他の先生たちに俺が注意受けることだよ」言いながら、隣の卓で盛り上がっている先生たちを見やる。「『月野先生がちゃんと注意しないから、教師をナメる生徒が増えるんですよ』ってさ。……いや、俺だって困ってるし」
早速運ばれてきたビールジョッキを手にする月野先生を、隣に座る佐藤先生が慰める。
「うんうん、俺らも一緒ですから! 俺なんかこの前、『サトセンの授業クソつまんない』って生徒に言われて、心底ショック受けたんですからぁ」
「私も大変ですよ。男の子たちはわりかし話聞いてくれますけど、女の子たちは全然話を聞いてくれないというか……まぁ、女にしかわからないイヤ〜な感じっていうんですかねぇ。ぷんぷん出されてます」と、坂井先生。
私は赴任して間もなかったため、そんな先生たちの話を静かに聞いていた。新任教師ということもあり、生徒たちは物珍しさのようなものを感じていたのだろう。里実先生、と懐いてくれる生徒も多く、私には他の先生たちのように不満はなかった。
少しばかり居心地の悪さを感じながら、酒の肴をつまんでいると、それに気づいた坂井先生が「ごめんね」と謝ってきた。
「ほら、月野先生っ。大貫先生困っちゃってますから、生徒の愚痴大会はそろそろ――」
「大貫先生も気をつけてね」
坂井先生の言葉を遮るように、月野先生が言う。
私を見る彼の目から、どこか恐ろしさを感じた。怒りとか、悲しみとか、容易く言葉に出来る感情のようなものではなく、もっと強い何か。その正体がわからず、私の背筋は知らぬ間に凍っていた。
「里実先生って呼ばれてるみたいだけど、それ、ナメられてるだけだから。若いからって甘く見られてるだけだからね」
月野先生の言葉が胸に突き刺さった。でも、本当に私を慕って懐いてくれている生徒がいるのも事実で、その子たちのことも一緒くたにされた気がして、複雑な感情が心に渦巻いた。
先輩風を吹かせたいだけだろう。あまり気に留めず、ここは笑顔を貼り付けて軽く流そう。
いつもならそう思っていたかもしれないけど、その日は歓迎会ということもあって、先生たちとの親交を深めるためにもアルコールを多く摂取していた。お酒を飲まないと、オープンに話せない性分だからだ。でも、そのせいか少々気も大きくなっていたのかもしれない。
「そんなことないです」
気づいたときには、そんな言葉が出ていた。言ってしまった、という後悔がやってくる前に、何にも包まないままの言葉が口を衝いて出る。
「たしかに、若いからってナメられることはあるかもしれません。でも、私には私なりの指導方法がありますし、生徒たちだってそれをちゃんと受け入れてくれてます。月野先生がナメられてるのは、生徒たちへの指導が行き届いてないからじゃないですかっ?」
言い切った後に、ようやく後悔が追いついた。
彼は、ひどく冷めた顔をしていた。佐藤先生と坂井先生も、驚いたように私を見つめていた。
穴があったら入りたい。
この状況をどう打開すればいいか、そのことだけに集中するも、アルコールのせいでもはや頭は回らなかった。
「……そうか」
月野先生は、低い声で言った。
怒られるだろうと思って、全身に力が入った。
しかし、次の瞬間、月野先生の強張っていた表情が緩んだ。
「なるほど。俺なりの指導方法を見つければいいんだな? 他の先生たちのやり方を真似するんじゃなくて、俺だけの」
すっきりとした表情を見せた月野先生に、佐藤先生と坂井先生も安心したようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。私も安堵し、力が抜けたところで、テーブルの上に置いていた手を月野先生に取られた。
「ありがとう、大貫先生。俺、やってみるわ」
「あ、いえ。……はいっ」
――まさか、あんなことになるとは思わなかった。
ただ、私の手を握る月野先生の握力が強かったこと、異様な目の輝きにゾッとしたことだけは覚えている。
あの時、私が余計なことを言わなければ、あの二人も、恵ちゃんも――死なずに済んだのに。