昔から、自分の顔にコンプレックスがある。
 彼氏も友達も、いないわけじゃなかった。自身の容姿を卑下するあたしに、女友達は決まって「全然ブスじゃないよ」と慰めてくれたけれど「可愛いよ」と言ってくれたことはなかった。自分より、顔も体型も勝っている女の子が現れれば、友達も彼氏もみんなそっちに流れていった。そういう人生を歩み続けている。
 だから、心優(みゆ)が死んだと聞いたとき、とてつもない優越感があたしを包んだ。あぁ――これで邪魔者が消えた、って。
 心優はあたしよりも目が大きくて、鼻が高くて、髪が綺麗だった。高校生活、誰よりもエンジョイするぞ、と気負っていたのに、教室の中で一番可愛いのは心優で、人が一番寄ってくるのも心優だった。そして、自分も無意識のうちに、心優に群がる側の人間になっていた。そのことに気づいたときは劣等感に苛まれたけど、その頃にはあたしは別のことに夢中になっていた。

「ヨースケ!」
「おいっ。俺、一応教師なんだけど」
「一応、でしょ?」

 彼は、一個上の代のクラスで担任を務めている、商業科の先生だった。生活指導部の教員でもあったけど、他の先生たちに比べて軽薄さを感じられたし、何より年齢も一回りほどしか変わらなかったため、近づきやすい雰囲気を持っていた。個人的には、夏場に開いたシャツの襟から覗く、日焼けした肌が好きだった。同級生や、先輩からも感じられない、大人の男性の余裕と色気が、ヨースケにはあった。
 あれは、高校生になって初めての定期考査前のことだったと思う。

「で、要件は何?」

 怒っているわけではない。忙しいだけだ。
 そうわかってはいても、パソコンに視線を向けながら話されると、胸がちくりと痛んだ。

「ほら、テスト近いじゃん? 簿記だけ、どーしてもわからなくて。だから、個別授業をお願いしたいなぁって思って」

 そう言うと、ヨースケの手はぴたりと止まり、パソコンからこちらへと視線を移した。目ががっつりと合い、照れ臭さから目を逸らそうとした瞬間――。

「……たしかに。苦手そうな顔してる」

 ヨースケが、けろりと笑った。

「ちょっと失礼じゃない?」と、思わずむくれるように返す。「で、どうですか? かなりピンチなんですけどぉ」

 うーん、とヨースケは唸った。

「悪い。先約が入ってんだよね」
「えっ?」

 まさかすんなりと断られるとは思ってもなく、動揺して一瞬言葉を失った。

「……先約って、誰ですか?」

 思わず聞き返していた。

「心優だよ」

 あっさりと返ってきた名前に、頭を殴られたような感覚に陥った。
 ――なんで。なんで、なんで、なんで。

「心優のやつ、体調不良で何日も休んでたろ? 完全に遅れを取ってるから、特別に放課後授業することになったんだよ。小沢(おざわ)も一緒に教えてやりたいけど、それじゃあフェアじゃないからなぁ。あっ、他の商業科の先生に頼んどこうか?」

 心優のやつ。特別に。――なんで?
 心優は名前呼びなのに、あたしが苗字呼びなのも気に入らなかった。心優が所属する軽音学部の顧問だから、ということも関係してるかもしれなかったけど、そんなことあたしにはどうでもよかった。どろりとした感情に、一瞬にして支配された。
 あの子は、十分みんなから特別扱いされてるじゃん。あの子がいる場所に、あたしだっていたかったのに、それが出来ないから現実逃避して、教師という立場の彼に縋りついた。彼なら、生徒全員を平等に見てくれていると思っていた。
 ――なにがフェアだ。全然フェアじゃないじゃん。

「……やっぱいーや」

 心の中で渦巻く怒りと嫉妬に、言葉で蓋をした。
 状況が飲み込めず、目を丸くしているヨースケを置いて、早足でその場を去った。
 そして、高校生になって初めての定期考査――簿記は満点を取った。個別授業なんかしなくても、なんならテスト勉強しなくても、あたしは満点を取れた。好きな人の授業だから、真面目に受けていた。当然の結果だった。
 対して、心優のテストの結果は最悪だったらしい。赤点回避ならず、夏休み中の補講が宣告されていた。心優のゲーッ、とした表情をいまでも覚えている。
 わざとらしい。うざっ。どうせ、ヨースケと二人きりになれるって、ウキウキしてるんでしょ。あー。うざいうざいうざい。あいつ、消えてくれないかなぁ。
 そしたら、本当に消えてくれちゃった。神様が、あたしの味方してくれたんだなぁって、その時は思っていた。

 それなのに――。

「……えっ、ごめんなさい。もう一回、最初から言ってもらってもいいですか?」

 ちひろ先輩からの突然の電話。
 電話越しに聞いた話に、あたしは思わず手からスマホを落としそうになった。

『――初衣(うい)はそーゆーこと、なかったかって聞いてるの』
「いや、そーゆーことって……どーゆーことですか」
『だからっ、――――』

 今度こそ、手からスマホがするりと落ちた。
 あまりの衝撃に、しばらくその場に立ち尽くしていた。
 第二ボタンまで開いたシャツ、そこから見えた肌、鎖骨、ほくろ――。
 あたしが、大好きだった彼。
 初めて、彼のすべてが気持ち悪いと思った。