昔から被害妄想が激しく、感情的になりやすい女だった。
でもまさか、恋人の家に乗り込んで来るとは思わなかった。
「斗真の知り合いだって人が来てるんだけど……」
日曜日。飲食店で働く恋人が珍しく休日だったため、彼女の家でゲームをしていた。少し疲れたから出前でも取ってのんびりしようと決めたのが、およそ三十分前のこと。インターホンが鳴った時は、配達員が来たと思っていた。しかし、彼女が強張った表情で戻ってきた時は、背筋が凍った。
ドアホンのモニターでその人物を確認する。間違いなく、一ヶ月前に顔を合わせた元カノだ。
「ねぇ、誰なの?」
不審そうに問いかけてくる彼女に、大丈夫だから待ってて、と声を掛けると、俺は玄関へと向かった。
玄関ドアを開けると、そこには以前より頬のこけたちひろが立っていた。
「どうしたんだよ。こんな所まで来て」
自分の家ならまだしも、恋人の家の住所がなぜわかったのか、そして俺がいまここにいることをなぜ知っていたのか。聞きたいことは山ほどあったが、それを口にするよりも先に、ちひろが口を開いた。
「何で、隠してたの……?」
はっ、何がだよ。とにかく迷惑だから、帰ってくれ。
そんなことを言って、追い返すことも出来たんだろうけど、俺にはそれが出来なかった。ちひろの言葉に、思い当たる節があったからだ。
家の中から、ゲームを始める音が聞こえてくる。ピコンッ、という音ともに、コントローラーのボタンを押す音が混じった。彼女が気を遣ってくれているのがわかった。少々話が長引いても、叱られることはなさそうだ。
「――斗真くん」
その声で、視線が引き戻される。
ちひろは、眼球が乾ききってしまいそうなほど目を見開いており、様子が変だった。格好も、よく見てみれば数分前に家を飛び出してきましたと言わんばかりにラフで、本格的な寒さになったいまの季節とは不釣り合いだ。
「この前話してくれた、染谷ありさ先輩のこと。なんで、全部話してくれなかったの?」
「……全部、聞いたのか?」
俺の問いに、ちひろの視線が揺らいだ。そのわずかな間が、全てを物語っていた。
肩に入っていた力が、ふわっと抜ける。ちひろがあのことを知ってしまったのであれば、もう嘘をつく必要も、隠す必要もない。
「全部知ってるなら、わかるだろ? 内容が内容だ。染谷からも、墓場まで持ってってくれって言われてたんだよ」
「……その後、二人も死んだことに何も思わなかったの?」
ちひろの言葉に、胸が締め付けられる。彼女の言う通り、どこかで真実を公にしていたのであれば、結末はもっと違ったのかもしれない。
「俺だって、卒業した後に聞いて後悔したよ。でももう、五年以上も前の話だろ? いまさらどうにかするとか、そんなの無理だろ」
「出来るよ」
「……えっ?」
ちひろは、薄いアウターのポケットから、何度か折り畳まれた便箋のようなものを俺に見せてきた。
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ちひろへ
もうこのことは調べないで。
美花はもう呪われてる。逃げられない。
今でもあのときのこと思いだす。こわい。たすけて。
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どんな意図があって書かれたものなのか、まったく理解が出来ない俺に、ちひろは淡々とこう言った。
「これを書いた美花は、三日前に死んだ。ありさ先輩と同じような目に遭ってたらしいよ」
「えっ……?」
戸惑う俺に、ちひろは何故か微笑んでいた。
「ねぇ、これって私のせいかな? 私が変なコンテストに、実話を応募しようとしたから? 違うよね。あいつのせいだよね。ぜんぶぜんぶさ、あいつが悪いよね? ねぇ、斗真くんもそう思うよね?」
早口で捲し立てるように話したちひろは、気がつけば俺の手を強く握っていた。ぷるぷると震えるその手からは、尋常じゃない焦りや恐怖心、怒りが感じ取れた。
「ちひろ……っ、」
おかしい。明らかにおかしい。
普通じゃないと、思った。
あの日、ちひろのことをフッた時も、このように激昂していた気がする。あの時は、かなり怒らせてしまった、としか思わなかったが、いまになって思う。
この子は、普通じゃない。
「斗真ぁ、大丈夫〜?」
不意にリビングから、恋人が姿を現した。ちひろに、訝しげな眼差しを向ける。
すると、ちひろは慌ててその場を離れ、足早に去って行ってしまった。俺が引き止める言葉も微動だにせず、彼女の背中はどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。
「何、あの子」
「えっと……、」
元カノ、なんて言えるはずもなかった。
「高校の知り合いが亡くなったみたいで、それを伝えにきたらしい」
嘘ではなかった。
しかし、恋人は疑念の入り混じった表情で俺を見つめたまま「ふうん」と短く息を吐くと「で、なんで私の家知ってるわけ?」 と、続けて聞いてきた。
何も答えられるはずもなく、魚のように口をパクパクさせていると、「まぁいっか、来月にはどうせ引っ越すもんね」とこともなげに言われた。
来月、俺たちは同棲を始める。いま繋がっている女たちとは、それを機に縁を切るつもりだった。
しかし、林田ちひろだけは、どうにも放っておけない。
彼女だけ、高校生の頃のまま、時間が止まっているような気がして――。