N市内の居酒屋『流浪人』での、音声付き防犯カメラの映像。
それを入手し、文字お越ししたもの。
こちらは個人的な趣味で、収集したものであり、インターネットなどにアップするするつもりはなく、あくまで個人が楽しむための記録である。
だが、万が一これを文字お越しすることによって何らかの怪奇現象が発生した場合は例外とする。
もし自分以外の人間などに被害が及んだ場合は、自らの保身としての証拠隠滅のため、この記録は消去するものとする。
※ 記録内では、記述内容に映像だけでは文字お越しできないところまで、大幅な補填がくわえられている。これは、独自の取材によるもので、より正確な記録を目指したものである。
■
N市内の居酒屋『流浪人』。万人がイメージするであろう、何ら変わり映えのしない、ありきたりな内装の居酒屋である。
壁に貼られたメニュー表、角ばったテーブルとイス、店のすみに積まれたビールコンテナ、のんびりとほどよく泡立ったビールジョッキを運ぶバイトの店員。
客は、ふたりのみだった。成人は過ぎているてあろう、若い男性ふたり組。店員が運ぶビールが、ふたりの前に置かれた。ふたりは自然とジョッキをあわせる。ガタイのいいほうが「乾杯」というと、メガネをかけたほうが「乾杯」と返した。
ふたりは大学時代の話をしばらく懐かしんだあと、お互いの現在のことを報告しあった。
「本当に、久しぶりだな。瑞城。お前から連絡をくれるなんて珍しいじゃないか。どうだ、日本は。これまで、どこの国で生活していたのかは知らんが、やはり自分が生まれた国の食べ物というのは、格別だろう」
「ああ、とてもうまいよ。特に、コンビニのチキンが最高だな」
「あいかわらずのコンビニ飯か。ちゃんと野菜も食えよ」
「そうか、雨宮。お前は、おれがどこの国に行っていたのか知らなかったか」
瑞城と呼ばれたメガネの男性は、長く海外で生活をしていたようだった。昨日、帰国したらしく、大学時代の友人であった雨宮と、近場の居酒屋で会おうということになったようだ。
頼んだメニューが、次々とやってくる。串のセットと枝豆、だし巻き卵。揚げ出し豆腐に、ポテトサラダ。すべて雨宮が頼んだものだ。雨宮は、瑞城にもお品書きを渡そうとした。しかし、瑞城はかたくなにそれを受け取らなかった。
「すききらいはないから、お前がすきに頼むといい」
瑞城はそういった。雨宮は笑った。
「海外生活で、ずいぶんとおとなになったんだなあ」
瑞城は何もいわず、ただ、くちびるをゆるやかにカーブさせていた。しかし瑞城は、運ばれてきたつまみも、乾杯したビールにも、いまだに手をつけてはいない。ふいに、色を失った目で、久しぶりに会う友人をじっとりと見つめていた。
「おい、瑞城。お前、飲んでるのか」
「急かすな。久しぶりのうまいビールなんだぞ。のんびり飲ませろよ」
「はは。それもそうだな。ところで、海外ではどんなことをしていたんだ。いや、そもそも、どこの国にいたんだっけか」
「おお、鳥串が来たぜ。ああ、うまそうだ。やはり、こうでなくてはな。おれのいた国は、飯がまずくてな。まいったよ。やはり、生まれた国の味付けがいちばんだ。安心するよ。飛行機のなかでも、あまり食事はとらなかったんだ。帰ったら、居酒屋に行って、飯を食うと決めていたからな。すこぶる腹が減っているんだ、今のおれは」
「そうか、そうか。なら、ガンガン食え。この店の串カツは、そうとううまいぞ」
雨宮は、近くにいた店員に、追加で冷ややっこと、からあげを頼んだ。それに、瑞城が声をあげてよろこんだ。
「おお、からあげかあ。懐かしいなあ」
「お前のいた国では、からあげもなかったようだな」
「うれしいよ。腹が減っているからな。とても、とても」
かなしそうにいう、瑞城。そうとうに、海外での食生活がひどかったようだ。以前の瑞城は、食に興味なんかなかった。研究に没頭したら、寝食のことなど忘れ、限界までからだを働かせ、気づいたら倒れているような人間だったのだ。それが、ここまで食べ物のことを口にし、耳にしたメニューに喜ぶような人間になっているなど、夢にも思わなかった。
雨宮は久しぶりに会う瑞城の変わりように、胸が痛んだ。同時に、以前よりも人間らしくなったような気もして、苦笑してしまう。
雨宮は片付けたばかりのメニュー表を手に取り、あらためて、瑞城に差し出した。
「今日は、ぼくのおごりだ。どんどん食え。お前の帰国祝いだ」
「ああ、雨宮。お前は本当にいいやつだ。忘れないよ。お前のこと」
「大げさなやつだな。ほら、注文しろ。すきなものから」
見ると、瑞城は泣いているようだった。本当に、海外生活が苦しかったらしい。だんだん、哀れにも思えてきたが、どこか違和感がある。こんなにも、腹が減っているといっている瑞城の、目の前のつまみは、いまだいっこうに減っていない。
海外生活で、食事のマナーまで変わってしまったのか。雨宮が不審に思ったとき、冷ややっことからあげが届いた。
瑞城が笑うとぎらりとした犬歯が、居酒屋の薄暗い明かりに照らされる。ぼうっと白く浮かびあがる犬歯。人間の犬歯というのは、こんなにもぶきみなものだったろうか。こんなにも、嫌悪感を抱かせるものだったろうか。
海外生活とは、こんなにも人間を変えてしまうものなのだろうか。
「からあげのにおいはまた格別だなあ」
「……ははは。ここのからあげ、絶品なんだぞ。外はパリッと、なかはジューシーを体現したからあげだ――食べないのか」
「ああ、間違いなくうまいさ。この鼻がいうんだからな」
「はは、犬みたいなやつだ。いや、俺たちはイノシシ年だから、あながち間違いじゃないかもな」
だし巻き卵を食べながら、雨宮はビールをあおった。
友人というものは、いいものだ。未だに独身で、仕事に追われる日々を送っている自分に連絡をしてきてくれて、久しぶりの再会をよろこぶ。酒のちからを借りて、ふだんいえないようなことを笑いながら、ときに泣きながら吐き出す。
今日は、そんな日になる予定だった。なるものだと思っていたが。
それにしても瑞城は、海外に行ってだいぶ変わってしまったようだ。爪を伸ばすようになったらしい。
昨今、色んな価値観が広がってきている。それは、雨宮も否定するつもりはなく、むしろ受け入れる態勢でいる。身近な友人の変化だからといって、対応は変わらない。
だが、あまりにも長すぎやしないか、と思う。たまにSNSで見かける、女性がつけている魔女のような爪だ。これも、偏見になってしまうのだろうか。だが、瑞城の雰囲気や、着ている服装をかんがみても、長すぎる爪はとても不自然だった。何か理由があるのだろうか。考えてみても、思い当たらない。
「なあ、瑞城。その爪……とても長いな。どうしたんだ」
「ああ、伸ばしてるんだ」
「必要だから伸ばしているということか」
「わかってるじゃないか。そういうことだ」
海外に行って、彼は生まれ変わっただけなのか。自分は、態度を変える必要はないということだろう。
昔の友人とただ、土産話に花を咲かせるだけ。
「瑞城。そろそろ、お前が海外でなにをやっていたのか教えてくれないか」
「そうか。そうだな。おれはな、調査をしていたんだ。できうるかぎりのことをつくした。おれは《小さいころに、知ってしまった》から、おれは知る必要がある人間なんだと思った。おれの使命だと思い、すべてのことを解き明かさねばならないと思った。だから、研究に研究を重ね、いよいよ《この町の真実》を知ることができると思った――だがな、見事なまでに、やられてしまった。《あれを聞いたせい》だ。研究チームのほとんどが、やられてしまった。おれのせいだ。おれが、不甲斐なかったからだ」
「あれって……? や、やられた……というのは、どういうことだ」
「死んだということだ」
雨宮の、食べ物に向かう箸が、止まった。
まさか、瑞城からそんな話を聞くとは、夢にも思わなかったのだ。
「いや、そうだったのか……。それは辛かったな。なんと申しあげてよいものか」
「気にするな。死んだものは、無駄にしないさ」
「そう、か……」
「それにしても、どうして……研究チームの仲間たちは、その……亡くなられてしまったんだ? 原因は何だったんだ」
瑞城が、肉を見つめている。目の前のからあげ、いや、違う。どこを見ているんだ。
それは、深い深い闇の底のような、黒い瞳だった。学生時代の瑞城の目の輝きはもうそこにはなかった。
――ガタッ
瑞城が、イスから立ちあがった。その目はどこも見ていない。直立不動で、瑞城は虚空を見つめている。
「黄色い、黄色い、かぐわしいにおい。まさに、それは人智を超えた、芳醇でいて蠱惑的な未知のかおりだ。黄色くて、黄色くて、きいろおい、あああっ」
瑞城が突然、頭を抱え、床に転がりこんだ。ごろごろと床を転げまわり、イスやテーブルにぶつかりながら、暴れまわる。
「おいっ。何やってるんだ、瑞城!」
「ああああああっ、黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色! 黄色のあれが、あれのせいで、あれがあるからっ!」
「瑞城! やめろ、暴れるな!」
雨宮は叫び、喚き散らす瑞城をようやく起こすが、今度は腕を振り回し、ガタン、ガタン、と店中のものをなぎ倒していく。
しかし、さっきまであった店員たちの気配がない。バイトの若者のすがたも見当たらない。雨宮が声をあげ、店の奥に声をかけようとしたときだった。
奥から、店長らしき年齢の男性が出てきた。
「お客さん。どうされました」
「す、すみません。おれにもわからなくて。突然、暴れ出しちゃって」
「そうですかあ」
恐縮しながら頭を下げる雨宮。店員のネームプレートには、やはり『店長』と書かれていた。これから、警察を呼ばれるだろう。うまく対処しなければならない。友人とはいえ、これ以上巻きまれるのはごめんだった。
自分は、瑞城とは無関係なのだ、とできるかぎり説明しようと、雨宮は考えていた。
しかし、店長のようすがおかしい。瑞城をジッと見つめている。ジロジロと観察している。警察を呼ぶ気配がない。あるいは、もうすでに呼んでいるのか。
「あの……?」
「あれを聞いたのかあ」
「え?」
「そりゃあ、こんなんにもなっちまうわなあ」
「……あの?」
「お前さん、ここの町の生まれじゃないのか」
「……はい?」
「どこの生まれ?」
「……K市です」
「そりゃあ、恵まれてるなあ」
「……彼は、いったいどうしたんですか。店長さん、知ってるんですか」
「彼はなあ、逃げたんだろうなあ。だから、こんなんなっちまった。見てごらん。爪が長いだろ。こんなことまで信じて、みっともねえ。これで逃げられるといわれていたのは、昭和のはじめまでだってのに、ははっ」
瑞城を見下ろす店主の目は、自らの店の客を見るものではなかった。まるで、道端に座る家のない者たちを見るような慈悲のないものだった。
「……いや、えっと」
「今日も、屋台はすっかり並んじまってんのよ。もう出店の旗もずらりとはためいてるよ。お前さん、ここで生まれてはねえけど、住んでんだろ」
「まあ」
「くふ……そんじゃあ、知ってらあなあ。ふは、ははあ。ははは……ははははは」
店主は、ふきだすように笑い出した。
N市の屋台は有名だ。たしかに、N市は特殊な町だ。
それでも雨宮は、店長が何をいっているのか、瑞城がなんでこんなことになってしまったのか。少しもわからなかった。
瑞城は、店長が引き取ることになり、雨宮はそのまま家に帰ることとなった。
――防犯カメラの映像は、ここで途切れている。
『流浪人』はこの数日後に、店を畳んだ。現在、瑞城と、『流浪人』の店長は行方不明となっている。
雨宮の住所は特定できているが、まだ連絡はとってはいない。
それを入手し、文字お越ししたもの。
こちらは個人的な趣味で、収集したものであり、インターネットなどにアップするするつもりはなく、あくまで個人が楽しむための記録である。
だが、万が一これを文字お越しすることによって何らかの怪奇現象が発生した場合は例外とする。
もし自分以外の人間などに被害が及んだ場合は、自らの保身としての証拠隠滅のため、この記録は消去するものとする。
※ 記録内では、記述内容に映像だけでは文字お越しできないところまで、大幅な補填がくわえられている。これは、独自の取材によるもので、より正確な記録を目指したものである。
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N市内の居酒屋『流浪人』。万人がイメージするであろう、何ら変わり映えのしない、ありきたりな内装の居酒屋である。
壁に貼られたメニュー表、角ばったテーブルとイス、店のすみに積まれたビールコンテナ、のんびりとほどよく泡立ったビールジョッキを運ぶバイトの店員。
客は、ふたりのみだった。成人は過ぎているてあろう、若い男性ふたり組。店員が運ぶビールが、ふたりの前に置かれた。ふたりは自然とジョッキをあわせる。ガタイのいいほうが「乾杯」というと、メガネをかけたほうが「乾杯」と返した。
ふたりは大学時代の話をしばらく懐かしんだあと、お互いの現在のことを報告しあった。
「本当に、久しぶりだな。瑞城。お前から連絡をくれるなんて珍しいじゃないか。どうだ、日本は。これまで、どこの国で生活していたのかは知らんが、やはり自分が生まれた国の食べ物というのは、格別だろう」
「ああ、とてもうまいよ。特に、コンビニのチキンが最高だな」
「あいかわらずのコンビニ飯か。ちゃんと野菜も食えよ」
「そうか、雨宮。お前は、おれがどこの国に行っていたのか知らなかったか」
瑞城と呼ばれたメガネの男性は、長く海外で生活をしていたようだった。昨日、帰国したらしく、大学時代の友人であった雨宮と、近場の居酒屋で会おうということになったようだ。
頼んだメニューが、次々とやってくる。串のセットと枝豆、だし巻き卵。揚げ出し豆腐に、ポテトサラダ。すべて雨宮が頼んだものだ。雨宮は、瑞城にもお品書きを渡そうとした。しかし、瑞城はかたくなにそれを受け取らなかった。
「すききらいはないから、お前がすきに頼むといい」
瑞城はそういった。雨宮は笑った。
「海外生活で、ずいぶんとおとなになったんだなあ」
瑞城は何もいわず、ただ、くちびるをゆるやかにカーブさせていた。しかし瑞城は、運ばれてきたつまみも、乾杯したビールにも、いまだに手をつけてはいない。ふいに、色を失った目で、久しぶりに会う友人をじっとりと見つめていた。
「おい、瑞城。お前、飲んでるのか」
「急かすな。久しぶりのうまいビールなんだぞ。のんびり飲ませろよ」
「はは。それもそうだな。ところで、海外ではどんなことをしていたんだ。いや、そもそも、どこの国にいたんだっけか」
「おお、鳥串が来たぜ。ああ、うまそうだ。やはり、こうでなくてはな。おれのいた国は、飯がまずくてな。まいったよ。やはり、生まれた国の味付けがいちばんだ。安心するよ。飛行機のなかでも、あまり食事はとらなかったんだ。帰ったら、居酒屋に行って、飯を食うと決めていたからな。すこぶる腹が減っているんだ、今のおれは」
「そうか、そうか。なら、ガンガン食え。この店の串カツは、そうとううまいぞ」
雨宮は、近くにいた店員に、追加で冷ややっこと、からあげを頼んだ。それに、瑞城が声をあげてよろこんだ。
「おお、からあげかあ。懐かしいなあ」
「お前のいた国では、からあげもなかったようだな」
「うれしいよ。腹が減っているからな。とても、とても」
かなしそうにいう、瑞城。そうとうに、海外での食生活がひどかったようだ。以前の瑞城は、食に興味なんかなかった。研究に没頭したら、寝食のことなど忘れ、限界までからだを働かせ、気づいたら倒れているような人間だったのだ。それが、ここまで食べ物のことを口にし、耳にしたメニューに喜ぶような人間になっているなど、夢にも思わなかった。
雨宮は久しぶりに会う瑞城の変わりように、胸が痛んだ。同時に、以前よりも人間らしくなったような気もして、苦笑してしまう。
雨宮は片付けたばかりのメニュー表を手に取り、あらためて、瑞城に差し出した。
「今日は、ぼくのおごりだ。どんどん食え。お前の帰国祝いだ」
「ああ、雨宮。お前は本当にいいやつだ。忘れないよ。お前のこと」
「大げさなやつだな。ほら、注文しろ。すきなものから」
見ると、瑞城は泣いているようだった。本当に、海外生活が苦しかったらしい。だんだん、哀れにも思えてきたが、どこか違和感がある。こんなにも、腹が減っているといっている瑞城の、目の前のつまみは、いまだいっこうに減っていない。
海外生活で、食事のマナーまで変わってしまったのか。雨宮が不審に思ったとき、冷ややっことからあげが届いた。
瑞城が笑うとぎらりとした犬歯が、居酒屋の薄暗い明かりに照らされる。ぼうっと白く浮かびあがる犬歯。人間の犬歯というのは、こんなにもぶきみなものだったろうか。こんなにも、嫌悪感を抱かせるものだったろうか。
海外生活とは、こんなにも人間を変えてしまうものなのだろうか。
「からあげのにおいはまた格別だなあ」
「……ははは。ここのからあげ、絶品なんだぞ。外はパリッと、なかはジューシーを体現したからあげだ――食べないのか」
「ああ、間違いなくうまいさ。この鼻がいうんだからな」
「はは、犬みたいなやつだ。いや、俺たちはイノシシ年だから、あながち間違いじゃないかもな」
だし巻き卵を食べながら、雨宮はビールをあおった。
友人というものは、いいものだ。未だに独身で、仕事に追われる日々を送っている自分に連絡をしてきてくれて、久しぶりの再会をよろこぶ。酒のちからを借りて、ふだんいえないようなことを笑いながら、ときに泣きながら吐き出す。
今日は、そんな日になる予定だった。なるものだと思っていたが。
それにしても瑞城は、海外に行ってだいぶ変わってしまったようだ。爪を伸ばすようになったらしい。
昨今、色んな価値観が広がってきている。それは、雨宮も否定するつもりはなく、むしろ受け入れる態勢でいる。身近な友人の変化だからといって、対応は変わらない。
だが、あまりにも長すぎやしないか、と思う。たまにSNSで見かける、女性がつけている魔女のような爪だ。これも、偏見になってしまうのだろうか。だが、瑞城の雰囲気や、着ている服装をかんがみても、長すぎる爪はとても不自然だった。何か理由があるのだろうか。考えてみても、思い当たらない。
「なあ、瑞城。その爪……とても長いな。どうしたんだ」
「ああ、伸ばしてるんだ」
「必要だから伸ばしているということか」
「わかってるじゃないか。そういうことだ」
海外に行って、彼は生まれ変わっただけなのか。自分は、態度を変える必要はないということだろう。
昔の友人とただ、土産話に花を咲かせるだけ。
「瑞城。そろそろ、お前が海外でなにをやっていたのか教えてくれないか」
「そうか。そうだな。おれはな、調査をしていたんだ。できうるかぎりのことをつくした。おれは《小さいころに、知ってしまった》から、おれは知る必要がある人間なんだと思った。おれの使命だと思い、すべてのことを解き明かさねばならないと思った。だから、研究に研究を重ね、いよいよ《この町の真実》を知ることができると思った――だがな、見事なまでに、やられてしまった。《あれを聞いたせい》だ。研究チームのほとんどが、やられてしまった。おれのせいだ。おれが、不甲斐なかったからだ」
「あれって……? や、やられた……というのは、どういうことだ」
「死んだということだ」
雨宮の、食べ物に向かう箸が、止まった。
まさか、瑞城からそんな話を聞くとは、夢にも思わなかったのだ。
「いや、そうだったのか……。それは辛かったな。なんと申しあげてよいものか」
「気にするな。死んだものは、無駄にしないさ」
「そう、か……」
「それにしても、どうして……研究チームの仲間たちは、その……亡くなられてしまったんだ? 原因は何だったんだ」
瑞城が、肉を見つめている。目の前のからあげ、いや、違う。どこを見ているんだ。
それは、深い深い闇の底のような、黒い瞳だった。学生時代の瑞城の目の輝きはもうそこにはなかった。
――ガタッ
瑞城が、イスから立ちあがった。その目はどこも見ていない。直立不動で、瑞城は虚空を見つめている。
「黄色い、黄色い、かぐわしいにおい。まさに、それは人智を超えた、芳醇でいて蠱惑的な未知のかおりだ。黄色くて、黄色くて、きいろおい、あああっ」
瑞城が突然、頭を抱え、床に転がりこんだ。ごろごろと床を転げまわり、イスやテーブルにぶつかりながら、暴れまわる。
「おいっ。何やってるんだ、瑞城!」
「ああああああっ、黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色! 黄色のあれが、あれのせいで、あれがあるからっ!」
「瑞城! やめろ、暴れるな!」
雨宮は叫び、喚き散らす瑞城をようやく起こすが、今度は腕を振り回し、ガタン、ガタン、と店中のものをなぎ倒していく。
しかし、さっきまであった店員たちの気配がない。バイトの若者のすがたも見当たらない。雨宮が声をあげ、店の奥に声をかけようとしたときだった。
奥から、店長らしき年齢の男性が出てきた。
「お客さん。どうされました」
「す、すみません。おれにもわからなくて。突然、暴れ出しちゃって」
「そうですかあ」
恐縮しながら頭を下げる雨宮。店員のネームプレートには、やはり『店長』と書かれていた。これから、警察を呼ばれるだろう。うまく対処しなければならない。友人とはいえ、これ以上巻きまれるのはごめんだった。
自分は、瑞城とは無関係なのだ、とできるかぎり説明しようと、雨宮は考えていた。
しかし、店長のようすがおかしい。瑞城をジッと見つめている。ジロジロと観察している。警察を呼ぶ気配がない。あるいは、もうすでに呼んでいるのか。
「あの……?」
「あれを聞いたのかあ」
「え?」
「そりゃあ、こんなんにもなっちまうわなあ」
「……あの?」
「お前さん、ここの町の生まれじゃないのか」
「……はい?」
「どこの生まれ?」
「……K市です」
「そりゃあ、恵まれてるなあ」
「……彼は、いったいどうしたんですか。店長さん、知ってるんですか」
「彼はなあ、逃げたんだろうなあ。だから、こんなんなっちまった。見てごらん。爪が長いだろ。こんなことまで信じて、みっともねえ。これで逃げられるといわれていたのは、昭和のはじめまでだってのに、ははっ」
瑞城を見下ろす店主の目は、自らの店の客を見るものではなかった。まるで、道端に座る家のない者たちを見るような慈悲のないものだった。
「……いや、えっと」
「今日も、屋台はすっかり並んじまってんのよ。もう出店の旗もずらりとはためいてるよ。お前さん、ここで生まれてはねえけど、住んでんだろ」
「まあ」
「くふ……そんじゃあ、知ってらあなあ。ふは、ははあ。ははは……ははははは」
店主は、ふきだすように笑い出した。
N市の屋台は有名だ。たしかに、N市は特殊な町だ。
それでも雨宮は、店長が何をいっているのか、瑞城がなんでこんなことになってしまったのか。少しもわからなかった。
瑞城は、店長が引き取ることになり、雨宮はそのまま家に帰ることとなった。
――防犯カメラの映像は、ここで途切れている。
『流浪人』はこの数日後に、店を畳んだ。現在、瑞城と、『流浪人』の店長は行方不明となっている。
雨宮の住所は特定できているが、まだ連絡はとってはいない。