悪鬼には知恵あるものとそうでないものがいる。
 本日は帝都の郊外の野原にて化け兎退治であった。知恵ある化け兎と子分の知恵無き兎の大群相手に悪鬼討滅部第一実働隊は出動していた。

「せいっ」

 陽射の役割は子分の兎を只管(ひたすら)に燃やすことである。
 前衛の三人の軍刀には、陽射の炎の加護を与えていた。力で負けることはないが如何せん数が多い。

「隊長! この兎食しても許されるでありますか!」

「やめとけ、腹ぁ壊すぞ」

なんとものどかな会話である。知恵ある化け兎の親玉まで、子分の兎があまりにも多過ぎて近寄れなかった。
 兎のつみれ汁にしたら美味しいのではないか、等と考えていると前衛から助けを求める声がする。

「お嬢、どかんと燃やせませんか!?」

 隊員に問われ親玉がいそうな方向に当たりを付けた。
 前衛を務める剣冴に向かって声を掛ける。

「巳の方角、一気に燃やします!」

「頼む!」

 総員待避したことを目視で確認し、火炎で地を一閃した。
 子分の兎は逃げ惑い、兎の親玉までの道が出来る。

「総員、突撃ぃー!」

 前衛三人の後を後衛の陽射ともう一人の後衛で着いて行った。
 真っ先に到達した剣冴が大上段から斬り掛かる。一閃。
 ぎゅぎゅぎゅぅううううぅ! と叫び声を上げ兎の親玉は消えた。
 無力化された子分だった兎たちは三々五々散って行く。

「状況終了。帰投する」

 剣冴の声に全員が武器を仕舞い、陽射を揉みくちゃにしてきた。

「お嬢、今日も格好良かったです!」

「やっぱり強いですね、お嬢は」

「お嬢が後衛に入ってくれて本当に楽になりました」

「隊長なんかには勿体無いです、お嬢」

 年若く、突然任官された陽射を隊員たちは可愛がってくれる。

「おーまーえーらー! 俺の婚約者だって何回言えば解るんだよ」

 剣冴が間に入ってきて陽射を抱き寄せる。

「うう、美女と野獣だぁ」

「政略結婚なんてお労しい」

 此処では何故か剣冴は(けだもの)のような扱いをされていた。
 巨躯で、とても強く、がさつな男が、小柄で可憐に見える女性を婚約者兼部下として連れてきたことが良くなかったらしい。
 何回か現場に出て陽射がただ可憐なだけの女性ではないと解っているはずなのだが、どうにも出しにして剣冴をおちょくっているらしかった。
 おちょくる出しにしているだけならいいだろう。爵位や鬼族であることが手伝って何の訓練もしていない、軍学校も出ていないのに、いきなり少尉を拝命した小娘を侮っている訳ではないので。
 だが剣冴は全てを引っくるめて気に入らないらしい。部下に愛されている証拠だと思うのだが。

「今日はお前らが報告書書きやがれ」

「公私混同ですよ」

 報告書の作成は書面作成の訓練のため陽射が行う予定だ。一言い添えると、剣冴は物言いたそうにして黙った。
 わちゃわちゃしながら馬を置いたところまで戻ってくる。そこには後方支援の隊員が全員の馬の面倒を見て待っていた。

「お帰りなさい、凄い火柱でしたね」

「あれくらいしか能がないのですよ」

 始祖深田家に嫁いだ鬼の姫は爪の一振りで何でもかんでも切断する鬼だったと言う。その境地には至れていないと思っているからの発言だったのだが、周囲が引いたのが判った。
 丸焼き……炭……灰では……灰も残らん……、というひそひそしていないひそひそ話が聞こえる。

「うふふ、実演出来ますよ」

 沈黙。
 仕切り直すように剣冴が咳払いした。

「帰るぞ。総員騎乗」

 陽射は馬に跨がる。幼い内から乗馬を習っていて良かったと、軍に入って心底思った。詰め所は皇居の近くにあり、此処からだと大凡半刻程で帰投出来る距離である。
 馬に乗れるものの長距離の行軍に不慣れな陽射に合わせて比較的ゆっくり走ってくれた。何回かやってきて大分慣れてきたところである。
 詰め所に戻ると馬を預け、終礼を行い一旦解散となった。陽射は報告書作成のため剣冴と居残りだ。

「陽射は字が綺麗だから報告書も読みやすいんだよな」

「ありがとうございます」

 さらさらと書き付けながら雑談を振る。

「料理番に頼めば兎のつみれ汁とか出てこないでしょうか」

「出て来ると思うが、食べたいのか?」

「絶対美味しいと思います」

 今日の夕食は何だろう、と考えながら報告書を書き上げる。慣れとは素晴らしい。

「上出来だ。次から輸番に戻そう」

 くしゃくしゃと頭を撫でられる。こう言う動作は篠ノ雨伯爵としている時はしない。言葉遣いも丁寧になる。部下扱いも婚約者扱いも捨てがたかった。
 項で纏めていた髪が乱れたのを剣冴が直してくれた。真っ直ぐな黒髪は纏まりよく手櫛でも何とかなるのがいいところだ。

「ほれ、帰ろう。親が首長くして待ってる」

 陽射は篠ノ雨伯爵邸に居候していた。ひとつ、花嫁修業。ふたつ、詰め所まで近い。そう言った理由だ。
 週に五日働き、二日休む。休みの間隔は不定期。緊急時はいつでも出動。今は訓練期間として日勤のみだが、慣れてきたら夜勤にも入る。悪鬼は夜により活発に動くからだ。
 正直なところ、華族はこんな働き方は普通しない。もっと優雅に暮らしているものたが、篠ノ雨伯爵は軍門であった。先々代の頃に悪鬼という概念が出来てからと言うもの、先の時代には武家であった篠ノ雨家は当主が先陣を切り戦ってきた。そして鬼の力が欲しいと思ったのだそうだ。
 迎えの馬車に乗り伯爵邸に向かう。
 この馬車が区切りなのか、剣冴は“陽射”から“陽射さん”と改める。陽射も倣って“篠ノ雨隊長”から“旦那様”としていた。
 辺りは薄暗くなっていたが、陽射は夜目が利くので手鏡でさっと見目を確認する。帰宅するということは剣冴の両親と会うということだった。
 距離が短いのでそんなことをしているとあっと言う間に邸に着く。洋風の邸だ。
 馬車から降り、剣冴に続いて邸の中に入る。すると洋装の美女がすっ飛んできて陽射に抱き付き頬擦りした。

「ひぃざぁしぃちゃーん!! お帰りなさい!! 今日もお勤めご苦労様でした」

「只今戻りました、藤お義母様」

 最初は、軍服は汚れているので抱き付いてはいけません、と上申していたのだが今はもう為すがまま為されるがまま。
 「こんな可愛い女の子が娘に欲しかった!」とか「強い女は篠ノ雨で最強なのよ!」とか、最初から剣冴の母藤は好感度が振り切っていて陽射はたじたじだった。剣冴には独り立ちした弟がいるが、幼い頃は美少女のようだったのにむさ苦しい男に育ち、兄弟揃って、更に父剣路を加えて“漢”といった出で立ちである。藤は娘が欲しかったそうだ。
 剣冴の見た目は巨躯ではあるが、男らしい凛々しい顔立ちでむさ苦しいとは少し違うと思っている。だが、まあ、母親から見ればむさ苦しいのだろう。
 そんなことをしていると剣冴が玄関から居なくなっている。剣路のところに行ったのだろう。藤から解放された陽射は彼の後を追った。