その後、流れるようにして、槙永は青辻の車で帰路へとつかされた。帰り際、常盤には、『嫌なら断るように』と笑われて、言葉を失ったものである。

 到着した一軒家の正面に停車し、槙永が降りてから、青辻が車に鍵をかけた。

「念の為改めて聞くが、入っても良いか?」
「は、はい……」

 規則には、部外者の立ち入り禁止等は無い。鍵を開けた槙永は、家の中へと青辻を促した。

 二人で中に入ると、扉が閉まってすぐに、槙永は横から抱きしめられた。

「意味は、分かってるんだよな? もう逃さないからな」

 軽く手首を握られて、じっと覗き込まれ、槙永は目を見開いた。どんどん近づいてくる青辻の真面目な顔に緊張して、目を閉じる。すると柔らかな感触がして、唇を奪われた。

「その……シャワーを……」
「ダメだ。すぐにでもベッドに行きたい」
「でも」
「なぁ、槙永くん――……和泉」

 その時、掠れた声で、耳元で名前を囁かれ、槙永の理性が陥落した。自分の名前を知られていた事も、呼んでくれた事も、どちらも尋常ではなく嬉しい。

 青辻の事を欲しいのは、槙永も同じだった。

 ――寝台へと移動し、一糸まとわぬ姿になった槙永は、恐る恐る青辻を見上げていた。

 鞄からローションのボトルを取り出した青辻の姿に、慣れていると直感して、槙永は唇を震わせる。

「どうしてそんなの、持ってるんですか?」
「好きな相手を襲おうと思っていて、準備を怠ると思うのか?」
「っ、でも、こんな田舎じゃ売ってない」
「まぁ俺は常備しているが、それも嫉妬か?」
「……」
「安心しろ。一昨日ネットで買ったんだ。常備なんて嘘だよ」

 青辻がクスクスと笑った。
 槙永は他者と体を重ねるのは、久方ぶりだ。しかも、想い人と寝るのは、人生で初体験である。

 こんな幸せがあって良いのかと、理性は恐怖を訴える。裏切られる恐怖についても、囁いてくる。

 けれど本能は告げる。一度限りでも良いからと、いなくなってしまう遊びの相手とされているのだとしても、良いではないかと。それだけ、既に槙永は青辻に恋をしていた。

「……好きだ。青辻さんが好き……」
「和泉、大切にする」

 そうして情事が終わった。
 青辻がそう囁いたのを聞いた直後、槙永は意識を落とすように眠ってしまったのだった。

 ――次に目を覚ました時、槙永は青辻に抱き枕のようにされて眠っていた。
 ぼんやりとした思考を、瞬きをしながら清明にしようと心がける。

「おはよう、和泉」

 少し掠れた声で青辻に名前を呼ばれ、槙永は一気に覚醒した。そして裸体の己を自覚し、ギュッと目を閉じ赤面した。

 SEXしてしまった。期待していなかったわけではないが、少し前までは、二度とこんな状況に、他者となる事を思い描いていなかった。しかもその相手は、想い人だ。それが何よりも嬉しい。

 思わず青辻の腕から逃れ、壁際を向いて、両手で顔を覆う。無性に気恥ずかしい。

「そんなに可愛い顔をしないでくれ。もう一回欲しくなる」
「……」
「和泉。おいで」

 横たわったままで後ろから抱き寄せられて、槙永は何も言えなくなった。そのうなじを、青辻が舐める。首に触れた吐息にゾクリとした直後、槙永の背筋は再び熱を帯びた。

 二度目も散々交わった後、お互いにシャワーを浴びた。後に入った槙永が外へと出ると、リビングにいた青辻が、本棚をじっと見ていた。

「本当に、俺の写真を好きでいてくれたんだな」
「あ……」

 並んでいる写真集の存在に気が付き、槙永の頬が熱くなる。

「和泉。写真を撮らせてもらえないか?」
「社宅の風景ですか?」
「違う。和泉の写真が欲しい。俺はそれをもって、次の仕事に行くよ」

 そう述べて微笑した青辻の手には、カメラがあった。硬直し、唾液を嚥下してから、おずおずと槙永が頷く。するとより一層青辻の表情が明るくなった。そしてすぐにカメラを構え、何度か写真を撮った。

 目を丸くして立っていた槙永は、俯きたくなるのを必死で堪え、レンズをじっと眺める。槙永の瞳は真剣で、ファインダー越しに見つめられているような感覚だった。煩いほど鼓動が早くなってしまう。

 槙永のスマートフォンが音を立てたのは、その撮影が一段落した時の事だった。
 慌てて槙永が手に取り、画面を見る。そこには、澤木の名前が表示されていた。
 カメラを下ろして、青辻が頷いたのを見て、槙永は電話に出る。

『槙永さん、大変です! フキが木に登って、落ちちゃったんです。骨が折れてるみたいで、血が出ていて……すぐに動物病院に連れて行った方が良いと思って。今からなら、まだ車なら間に合うので』

 それを聞いて、槙永は時刻を確認した。現在は夕方の四時過ぎで、一番最寄りの動物病院は、七時まで受付をしている。約一時間が移動にかかる先、隣町にある。

 槙永は車を所有していないので、動物病院には田辺が連れていく事が多いのだが、シフトを思い返せばまだ仕事中のはずだ。

『怯えちゃっていて、槙永さんが一緒に行ってくれたら、フキもちょっと安心するかなという話になって、お電話を!』
「そうか、分かった」

 槙永が深刻な顔で頷いた時、電話の声が聞こえていた様子で青辻がそっと手を伸ばし、槙永の肩に触れた。

「俺が車を出そうか?」
「良いんですか?」
「勿論だ」

 その言葉に大きく頷き、槙永は電話越しに澤木へとその旨を伝えた。

 丁度、駅側でも、田辺の妻か澤木の母に車の依頼をしようとしていたらしく、青辻の申し出は幸いだとの事だった。

 こうして急遽、槙永と青辻は車に乗り込み、駅へと向かう。そこにはケージの中で弱弱しく鳴きながら蹲っているフキがいた。

「宜しくお願いします!」
「青辻くんも本当に助かるよ」

 澤木と田辺の双方に声をかけられ、槙永と青辻はそれぞれ頷く。ケージを手に、槙永が助手席に乗り込み、青辻が運転席へと回る。

 こうして動物病院へと向かい、車が出発した。何度もケージの中をじっと見ながら、不安そうに槙永が瞳を揺らす。

「和泉、俺がついている。だから、少し落ち着け」
「俺は、動揺しているように見えますか?」
「泣きそうになっている。俺じゃなく誰が見ても分かる程度に」

 実際、槙永の胸は張り裂けそうだった。
 だが確かに、隣に青辻がいてくれる事は、心強い。

 その後山道を抜け、頂上のトンネルを通り、峠を下った。隣町の動物病院には、既に連絡をしてある。車線は一車線、対向車もほとんどいない。静かな車内では、時折小さくフキが鳴くばかりだ。

 そうして到着した動物病院で、すぐに検査が行われた。

 結果を待っている間、横長の椅子に青辻と並んで座した槙永は、俯いて両手を膝の間に置いていた。その不安そうな槙永の肩を、軽く二度、青辻が叩く。

「元気を出せというのも無理だろうが、俺がきちんとついてる」
「……有難うございます」

 そう答えるのが精一杯だった槙永は、何度も診察室の方を見てしまった。
 検査が終わったのは、それから二十分ほどしての事だった。

「幸い内臓に傷はついていませんが、骨折しています。すぐに手術をした方が良いですね」

 獣医の言葉に、顔面蒼白のまま槙永が頷く。

「麻酔の関係もありますし、今夜は入院した方が良いです。ただ、命に別状はありません」

 励ますように獣医が述べた。

「宜しくお願いします」

 槙永が頭を下げると、隣で青辻もまた頭を下げた。

 こうしてフキを預けて、二人は車に乗り込んだ。ケージは預けてきた為、来た時とは異なり、膝の上に重みはない。それが無性に寂しい。

「治りそうで安心した」

 エンジンをかけた青辻の言葉に、槙永は顔を上げる。

「はい。青辻さんがいてくれて良かったです」
「ただ、考えさせられたな。これは」
「駅舎はありますが、外飼いは何かと危険があって……」
「それもあるが、和泉が辛い時に、いつでも俺はそばにいてやりたくなったよ」

 仮に青辻がずっとそばにいてくれたならば、確かにそれは安心だろうと槙永は思った。しかし青辻には仕事があるし、それは無理な話だ。

 その後二人で深水町まで戻り、青辻に家まで送ってもらった。それから心配していた田辺と澤木にフキの事を連絡してから、翌日の勤務に備えてベッドに入った。