農協主催の集まりがあったのは、次の金曜日の事だった。明日はまた眞郷に会えると思いながら、朝希は車で旅館へと向かった。そして宴会場に入ると、気づいた山岡に手招きをされた。
「よぉ、朝希。元気か?」
「まぁまぁだな。先輩は?」
「いやぁ、嫁さんに二人目がデキたんだ」
実に嬉しそうに山岡が語る。以前だったら少しは胸が痛んだかもしれないと、漠然と朝希は思った。だがそこで、ここ最近、一度も山岡の事を思い出さなかったと気が付いた。諦めたという思いすら忘れていた。
「おめでとうございます」
「ありがとうな。朝希は嫁さんはもらわねぇのか?」
「俺は……結婚はする予定がねぇな」
だが、恋人はいるのだと、内心で付け足した。自分から進んでゲイである事を公言しようとは思わないが、今では後ろめたさも薄れていた。
「そうか。しっかしそれより、お前が漸く規格外トマトの廃棄をやめて、供給する事に同意したって聞いた時には、俺は本当によかったと思ったよ。眞郷さんと話したんだろ? あの人の熱意、やっぱ凄いよな?」
「え、あ……ああ。そうだな」
「だろう、だろう! 俺が言った通りだろ? あの人は信頼できるし、やっぱ凄いだろ?」
「そうだな」
眞郷の事が褒められると、自分の事のように嬉しい。思わず朝希は僅かに両頬を持ち上げた。すると山岡が虚を突かれたような顔をした。そして吐息に笑みをのせる。
「なんか朝希、少し見ない間に変わったな」
「え?」
「柔らかくなったな。お前が笑ってるところなんて見たの、いつぶりだろうな。記憶にないぞ、俺は」
「そ、そうか?」
「ああ。高校時代から見ている俺が言うんだから間違いない。どんな心境の変化だ? やっぱり、新事業は期待出来るって気づいたからか?」
その言葉に、座って空のグラスを見ながら、朝希は言葉を探す。
「まぁ、そんなところだな」
実際、規格外野菜への期待が持てるようになったのは事実だ。可能性を見い出す事が出来て嬉しいというのも本音だ。だが一番は、山岡に伝えるつもりはないが、己自身にも希望が見えたからではないかと、朝希は考えた。
「前にも言ったが、柔軟な考えは大切だからな。俺も忘れないようにするわ。そういう意味でも、眞郷さんみたいな外部の人の話を聞くっていうのは、勉強になるよなぁ」
「そうかもな」
その内に宴会が始まった。今回も、フードロス関連の話題が主体となって、時間は流れていった。
そして宣言通り、翌日には眞郷が訪れた。
前回帰る前に眞郷には合鍵を渡していたため、仕事から帰宅した朝希は、家で合流した。そこで先に仕事の話として、朝希側で確認している規格外トマトの収穫量などを伝えた。居間でノートパソコンを起動して、頷きながら眞郷が聞く。仕事をしつつ二人は時折、互いの目を見た。見つめ合っていると、自然と言葉が止まるのだが、それぞれ我に返る度に、慌てて仕事の話を再開する。今はお互い仕事をする時間ではないのだが――始まったばかりのこのプランの進展が気になって仕方がないのは、二人とも同じだった。
それから夕食を二人でとる事にした。野菜のサラダを並べながら、眞郷が笑う。
「しかし見事にこの家の冷蔵庫には、規格外野菜ばかりが入っているな。本当は、規格外でも十分美味いって、朝希も気づいていたんだろ?」
「……俺が食べられる程度には、美味い」
「そうか。じゃ、そういう事にしておくか」
眞郷はそう言うと、隣に立っていた朝希の唇を掠めとるように奪った。咄嗟の事に真っ赤になって、朝希が片手で唇を覆う。するとクスクスと眞郷が笑った。
「真っ赤だぞ。トマトみたいだな」
「な」
「そういういちいち照れるところも、可愛くて俺は好きだ」
「い、言ってろ!」
こうしてトマトが実る季節に、朝希の恋もまた実り、熟しはじめた。食後、入浴するために脱衣所を兼ねた洗面所へと向かい、何気なく朝希は鏡を見た。そこに映る己の眉間には、今はもう皴が無い。確かに山岡に言われた通りで、表情も以前より柔和だと、自分でも思った。勿論、その変化をもたらしてくれたのが、眞郷だという事も、理解している。来週には、実際に朝希のビニールハウスから出荷された規格外トマトが、仙鳥市のレストランで提供される事になっている。それを教えてくれた眞郷と共に、食べに行く事も決まっている。それ以後も、今回の出張としての滞在が終わってからも、眞郷は会いに来てくれるという。恋人になったのだから、当然その権利があるはずだと言って笑っていた。それを思い出すと、自然と朝希にもまた、より深い笑みが込み上げてくる。
規格外野菜が結んでくれた、不思議な縁について、改めて考える。
(確かに――規格外でも有効活用できるけど、もう俺は自分を規格外だとは思わない)
朝希はそう考えた。それはある種おそろいのカタチといえる眞郷が、隣にいてくれるというのも理由の一つだ。だが、それだけではない。前に進む決断をする勇気を、朝希は眞郷から教えてもらったのだと考えている。それは眞郷の魅力の一つであり、今では頑固と言われた自分にも得る事が出来た、柔軟性という一つの個性だ。自分自身にも個性や魅力を見い出す事が出来たから、これからは、その個性を『新しい規格』と考えて、前に進んでいけそうだ。あるいはそれには、外殻のような枠組みは無いかもしれない。それもまた一つの魅力となるのだろうと、朝希は思う。
鏡に映る自分の表情は、やはり明るい。廃棄するはずだったトマト達に対する感情も、今では希望に満ち溢れている。トマトは、まるで自分を映す鏡のようだたなと感じながら、笑みを浮かべたままで、朝希は双眸を閉じた。眞郷が教えてくれた喜びで、胸が満ち溢れていた。今度は自室で、夜を共に過ごしてみようかと考える。
――その後、規格外トマトはレストランで提供された。ほかにも全国展開を開始していたジュースやレトルトソースの販売がさらに軌道に乗り大成功を収めた。メディアに着目される事も増え、各地でのモデルケースにもなる。それらのいつの時も、眞郷と朝希は共にいた。緋茅山に咲く藤の色を、何度も目にした眞郷は、いつしか四季折々の風景を覚えるようになっていく。逆に時折、眞郷に連れられて朝希が都心へと行く事もあった。そのようにして二人はいつまでも、幸せに過ごしたのだった。
―― 了 ――