保育所の砂場にて。
歪な和風のお城を、遠目に見ながら再現しようと試みていたら。
「なんだそのヤドカリみたいなの!」
揶揄するように声をかけてきたガキ大将。
ムッとした僕は、思わず相手を睨みつけたのだったか。
「これは、れっきとしたお城だ!」
「変なのー! お前才能ゼロ!」
いじめっ子でもあるそいつは、大きく足を持ち上げて、僕が精一杯努力して築こうとしていた砂の城に向かい靴を向けた。あっ、と。僕は目を丸くし、固まった。このままでは、お城が壊れてしまう。瞬時にそうは思ったのだけれど、咄嗟の事に体が動かなかった。
「っ!」
しかし、砂のお城は壊れなかった。直前で、いじめっ子のガキ大将を、黒髪の男の子が突き飛ばしたからだ。尻もちをついたガキ大将は、大粒の涙を浮かべ、号泣した。それを幼いながらに怜悧な眼差しで見下ろし、蔑むように吐息した少年は、いじめっ子を無視して、硬直していた僕を一瞥した。
「俺には城に見える。ただもう少し、シャチホコの大きさは調整してもいいと思う」
それだけ言うと、その子は去った。
これが、僕が初めて月芝十朱を認識した瞬間である。
格好良い……僕にとって、この時の十朱は、まさしくヒーローだった。
――あれから二十年。
二十四歳になった現在、僕は十朱と偶然にも昨年再会を果たした。
大学で経済・経営学部を卒業した後、僕はUターンする事に決めて、この宮生町へと戻ってきた。宮生町は、隣の市のお城が遠目に見える、そこそこの観光地である。地元民もそこそこいるので、市町村合併などをする事も無く、今に至っている。
そんな土地の駅ロータリーのそばに、現在僕が働く平楽屋の新店舗がオープンしたのが、丁度昨年だ。
チェーンの蕎麦店である。
コスパ重視の平楽屋宮生駅前店は、安い・早い・そこそこの味を保証しながら、特に昼食時に、地元で暮らす大衆に根強い人気がある。
まぁね、僕は思うんだ。美味しいは正義かもしれないけれど、貴重な休み時間に腹を満たす事だけを重視する人間は、実は少なくない。
それと、二十四時間営業である点も有難がれている。田舎には、コンビニくらいしか、夜中も開いているお店は無いからだ。
さてそんな僕は、現在一応は雇われ店長であり、主にホールとレジを担当している。しかし夕暮れになると学生のバイトが代わってくれるので、僕自身の定時は余程の何かがない限り、午後五時だ。
と、言うわけで本日も、僕は制服から着替えて、平楽屋の外へと出た。最近は、陽が落ちるのが遅くなってきた。もうすぐ夏だ。そんな事を考えていたら、丁度路地を一本はさんだ隣の店の扉が横に開く音が聞こえてきた。ガラガラという古風な音に視線を向ければ、そこには暖簾をしまう為に、高級老舗蕎麦店月芝亭から出てきた所の、十朱の姿があった。
高い・遅い・でも最高に美味しい――それが、古くから続くこの土地で一番の味と言われる十割蕎麦専門の月芝亭に対する僕の評価だ。中学卒業後、栄養関連の高専へ進学し、大学編入をして、その月芝亭を十朱が継いだのが、くしくも僕のUターンと重なった結果、僕達は再会したのである。
「なんだ、操か」
苗字の三茶ではなく、下の名前の操と呼んでもらえる事が、実はひっそりと嬉しい僕でもある。三茶操という名に生を受けてから、僕はどちらかと言えば『三茶さん』と呼ばれて生きてきたからだ。
しかし僕の名を呼ぶ十朱の表情は、非常に忌々しそうである。
別段仕事疲れではないだろう。平楽屋とは異なり家族経営でバイト人員などはいない様子であるが、午前十一時に開店して、こうして午後の五時には大晦日以外暖簾を下ろす十朱は、その上繁盛するのも年末や、観光客が来る時期のみなので、正直暇そうである。
地元民でも一目置く月芝亭は、新そばの季節にどうしても食したいといった通の客や、それこそ年越し蕎麦や引越し蕎麦の依頼、宮生町で催し物がある際でもなければ、混む事は無いし、言っては悪いが敷居が高いとされている。その点、僕の平楽屋は気軽だと評判だ。味は劣るが、そこは勝負していないので、僕的には気にならない。
――勝負。
同じ蕎麦屋同士である上、位置的にも隣り合っている為、現在の僕と十朱は、ある種の敵対関係にある。だが、僕にとっては、代わらず十朱はヒーロー……なのだろうか。最近ちょっとよく分からない。
昔はそれこそ、格好良いと思っていたし、それは僕に限った評価ではなく、小・中時代になれば、十朱は非常にモテ始めた。特に二次性徴を迎えてからは、女子の多くが十朱に恋焦がれたほどだ。
まず端正な容姿、艶やかな黒髪、若干細身ではあるが均整が取れた体つき……中身も、男前だ。それは砂場での一件の頃から変わらない。だが女子を弄ぶような事もせず、告白に対しては誠実に断っている姿を、俺は同じ小・中だったので幾度か見かけた。浮いた噂が全然無かった十朱は、クールだとか大人だとか、そんな評判も得ていた。実際、今もそういう部分はあると思う。
一方の僕は、自画自賛するが、自称・他称共に、『顔だけは良い』と言われて育った。都会の大学に進学し、髪を染め、ユルくダラっと遊び惚けていた僕は、欲しいと思ったら、その相手の性別は男女を問わない。多分、バイなどと言うのだろうが、名前なんかどうでも良い。ただ、突っ込むのが専門なので、タチという点は明確だ。そんな僕から見ると、再会した十朱は――非常に艶っぽく見える。前は格好良いと思っていたが、最近美人だなぁと思ってしまう。
「操?」
思わず無言で、じーっと十朱を見ていたら、怪訝そうに名を呼ばれた。僕は慌ててヘラリと笑ってから、軽く首を振る。
「何でもないよ。今日は何人、お客様来たの?」
「……二人だ」
「うちとはゼロが二個は違うね。二人かぁ。暇そうで良いね」
「いちいち嫌味な奴だな」
ムッとしたような顔に変わった十朱を眺め、思わず僕はにやけてしまいそうになった。
――男前、クール。
それが、僕の前では崩れる十朱を見ているのが、とにかく楽しい。
月芝亭の制服は和装だから、チラリと見える鎖骨なんかが色っぽくて、もうかぶりつきたいほどである。
「だってランチタイムだけでも二百人は固いもん、僕のお店。忙しくていやになるよ。そろそろバイトをもうちょっと増やさないとなぁ」
正直、十朱に構ってほしくて、僕はこういう事を言ってしまうのだと思う。これでは砂場でお城を踏みつぶそうとしたガキ大将と僕は変わらない幼稚さだろうが、まぁ良い。なんだっけな、あのいじめっ子。確か名前は、登藤だったっけ? 年長だったから僕らの一つ年上だったとは思う。あんまり覚えていないが。
「その点、そっちは良いよね。おばさんも接客が楽だろうし。そういえば、そっちのおじさんとおばさんは元気?」
何気なく僕が聞くと、目を据わらせてこちらを見ていた十朱が、不意に顔を背けた。
「明日の仕込みがあるから、もう戻る」
「明日はお客さん、来ると良いね!」
「煩い」
不貞腐れたように吐き捨てて、暖簾をしまい、十朱が月芝亭の中へと消えた。
その姿を見送ってから、僕は微苦笑しつつ帰路についた。