朝練が始まっているので、朝、柚月さんを待ち伏せする事もできない。試合の後の柚月さんの事、気になってはいるけれど、何をどう聞けばいいのか分からず、その後連絡もしていなかった。
 部活の休憩の時、諸住先輩が俺のところにやってきて隣に座った。
「琉久、お前柚月の事が好きなんじゃなかったのかよ。」
「え?何ですか、突然。」
「お前日比野さんと付き合ってるんだろ?ああいう子が好みだったわけ?」
「あ、はい、まあ。」
「ふーん。それはいいんだけどさ。最近柚月、元気がないんだよね。」
「え?」
「お前のせいじゃないのか?」
「そんなわけないですよ。だって俺、柚月さんから彼女作れって言われて、迷惑なのかなって思って。」
「それで適当な女子見つけて、彼女にしたと。」
すごく棘のある言い方だけれど、あながち違うとも言えない感じ。俺は押し黙った。なんか、純玲さんにすごく失礼な事してるんだな俺、と思わせる発言。痛いところを突かれた感。
「まあいいけどね。柚月の本心は分からないけど、言葉通りに受け取っていい時と、そうでない時と、あるんじゃないのか?」
「え?」
諸住先輩は俺の肩にポンと手を置き、立ち上がって去って行った。女子マネージャーに囲まれている悠理ちゃんの元へ。
 言葉通りではないとしたら?彼女作れって言った事、お前の言ってる好きじゃないって事、どれもその通りじゃなければいい事ばかり。でも、自分の都合のいいように解釈して突っ走って、迷惑かけてはいけないし。難しい。柚月さん、本心を俺に言ってよ。あ、もしかしたら言ってるのかも?はあ。

 次の週末、公式戦。今日の相手は強敵だ。俺が入部してからは当たった事のない高校だった。
「今日のチームはスパイクが強いぞ。ブロックしっかりやれ!」
橋田先生からそう言われてコートに出た。
 試合が始まった。スパイクを打ってくる相手は3人いて、どれもみなツワモノだった。真ん中の奴はクイックを打ってくるのでブロックではなく、前衛がレシーブをしなければならない。両サイドの奴らは斜めに打ってくるのかストレートに打ってくるのか分からない。しかも、こいつらもタイミングを外しに来る。俺と諸住先輩がブロックしようとジャンプして、着地する頃に打ってくる。一体どうやってタイミングを計ってやがるんだ。
 よし、こうなったらずらしのずらしだ。ジャンプすると見せかけて一瞬遅らせてジャンプしてみようじゃないか。諸住先輩とはタイミングがずれるけれど、1枚でもないよりはましだろう。
 そこで、俺はジャンプをずらした。少し成功したようだ。だが、一番高いところでのブロックではなく、落ちかけたところでのブロックになった。相手は斜めに打ってきた。俺の右手の親指をかすめてコートの左隅に決まった。ブロックは失敗。けれど、それよりも俺の親指がすごく痛い。見ると、なんと変な方向に曲がっていた。うおー、痛い、痛すぎる。
 相手からのサーブが入る。レシーブ態勢に入ろうとするが、どうしても指が痛い。
「琉久、どうした?見せて見ろ。」
橋田先生が近づいてきて声をかけてきた。俺が親指を見せると、控えの選手を呼び、審判に交代を告げた。俺はコートを出た。橋田先生がベンチにいる悠理ちゃんの所に俺を連れて行き、
「これは病院だ。手配してくれ。」
と悠理ちゃんに言った。
「はい。琉久、控室に行くぞ。」
俺は右手首を左手で強く掴み、顔をしかめながら悠理ちゃんの後について体育館を出た。観客席から「ルーク!大丈夫?」という声がいくつか聞こえた。
 控室に入り、悠理ちゃんがスマホで近くの病院を探し、電話をかけてくれていた。すると、そこへ柚月さんが現れた。
「琉久!大丈夫か?どうしたんだよ。」
「柚月さん、指が。」
俺が指を見せると、ハッとした顔をした柚月さん。救急箱を探し、中からガーゼとテープを出した。
「何か硬いものはないかな。指の長さくらいのもの。」
「鞄に筆箱が入ってる。そこに定規があるよ。」
俺が顔をしかめながら自分の鞄を左手で示すと、柚月さんは中から定規を取り出し、俺の右の親指に当て、ガーゼを挟み、テープで軽く固定した。
「これは脱臼だな、多分。俺も前にやったことがある。」
柚月さんがそう言った。そう言えば、中学の時に柚月さんが親指を脱臼した事があった。俺はそのまま試合会場にいたので、その後どうしたのか知らなかった。
 真希が現れた。氷嚢に氷を入れて持ってきた。
「琉久!大丈夫?これで冷やして!」
「あ、だめだよ。脱臼の時は冷やしてはだめなんだ。」
柚月さんがそう言って、さっと氷嚢を取り上げた。
「そうなんですか?知らなかった。」
真希は青ざめた顔をしていた。柚月さんは、真希の肩をポンポンと叩いた。ほんと、柚月さんは優しいなあ。だが痛い。柚月さん、俺にも優しくしてくれ。
「診てくれる病院が見つかった。〇〇病院だ。ここから歩いて10分程度だ。」
あちこち電話をかけていた悠理ちゃんがそう言った。柚月さんが荷物を持ってくれて、控室を出た。階段を降り、建物を出ると純玲さんがおろおろして立っていた。
「あ、琉久!大丈夫!?痛い?」
「うん、すげー痛い。」
俺は気を使っている余裕がなく、顔をしかめたまま言った。門の所まで行って、悠理ちゃんが、
「柚月君、悪いけど琉久に付き添ってもらえるかな?本来は俺が行くべきなんだけど、またけが人が出たりしたら対処しなくちゃならないし。」
と言った。
「いいですよ、もちろん。ちゃんと連れて行きますから。」
柚月さんは即答した。そして、純玲さんの事を見て、
「日比野さんは遠慮して。琉久もかっこ悪いとこ見せたくないと思うから。」
と、はっきりと言った。真希も純玲さんの背中に手をやり、こっちに来いとばかりに校舎の方へ引き戻した。純玲さんは、もう試合を見に戻る必要もないのだろうが、真希に連れられて体育館の方へ歩いて行った。俺の方を何度か振り返りながら。
 柚月さんはスマホで病院の地図を出し、悠理ちゃんにも見てもらって確認し、俺の荷物をしょって、歩き出した。
「柚月さん、ごめん。」
「いいよ。」
「俺、もうバレーができる気がしない。ブロックするの、怖いよ。」
「今は考えるな。痛い時に考えたって怖いに決まってるだろ。」
「うん。」
 無事〇〇病院にたどり着き、受付で名前を言った。
「琉久、保険証あるか?」
「定期入れに入ってる。外ポケットのとこ。」
俺が顔をしかめながら答えると、柚月さんが探して出してくれた。待合室の椅子に座って診察を待つ。名前などを書くものを渡され、右手が使えない俺に代わって柚月さんが書いてくれた。
 レントゲン室に呼ばれて、固定していた定規などを外された。
「これは良い処置だね。」
と誉められた。誉められたのは柚月さんなんだけど、そこにはいなかった。冷やさないのも良かったそうだ。骨折や突き指は早く冷やした方が治りも速いが、脱臼の場合、はめる前に冷やしてしまうと、靭帯が伸びた状態で固まってしまい、元に戻らなくなるのだとか。危ないところだった。柚月さんがいなかったら冷やしていたと思う。俺も痛いところは冷やすものだと思っていたし。
 そしてだいぶ待たされた後、痛いよと言われながら、元の状態にはめてもらった。はまりづらい方向に外れていたそうで、ずいぶん時間がかかった。すげえ痛くて涙が出た。診察室を出て、柚月さんを見たらもっと泣けてきた。
「俺、もうバレー辞める。うぅ。」
待合室の椅子に座り、そう言って左手で目を押さえて泣いた。柚月さんは俺の背中をさすりながら、
「うん、いいよ。辞めてもいいよ。」
と言った。優しい声で。
 しばらくしたら、橋田先生と悠理ちゃんが来てくれた。痛み止めの薬が出され、手は新たに固定器具をはめて包帯が巻かれた。固定は3週間と言われた。
「まあ、しばらく休んで、しっかり治しなさい。治ったら、またビシバシしごくから。待ってるぞ。」
橋田先生がそう言ってくれた。
「頼りにしてるからな、琉久。次の春高バレーまでには治してくれよ。」
悠理ちゃんにもそう言ってもらった。なんだか、辞めたいと言った矢先にそんな風に言われて、心境複雑。でも、実際には辞められないし、多分辞めないだろうなと自分でも思った。さっきは弱気になって心にもない事を言っただけなのだろう。
 先生が診療費の支払いをしてくれて、帰る事になった。
「おうちの人には連絡しておいたから。柚月君、琉久を送って行ってもらえるかな?」
悠理ちゃんが言った。
「はい。」
柚月さんが頷いた。
「悠理さん、いろいろお世話になりました。」
俺は悠理ちゃんと、そして橋田先生にもお礼を言って、柚月さんと一緒に家に向かった。途中、母親から電話がかかってきた。
「もしもし。」
「琉久、大丈夫なの?!もう帰れるの?」
「うん。」
「今、お母さん外に出てるのよ。だから迎えに行けないんだけど。」
「ああ、柚月さんが一緒に帰ってくれる事になってるから、大丈夫。」
「あらそう!柚月くんが?それは良かったわ。じゃあ、うちで夕飯食べてもらいましょうよ。帰ったら、そのまま柚月くんに居てもらってね、いい?」
「うん。」
そして電話を切った。柚月さんには母親の声がバッチリ聞こえていて、電話を切ったらニッコリしながら指でOKしてくれた。
「琉久のお母さん、久しぶりだな。」
そう言って、柚月さんは微笑んでいた。
「柚月さん、来てくれてありがとう。俺の事、心配してくれて。」
「当たり前だろ。」
と、笑顔で言ってから、いろいろ思い出したのか、柚月さんの表情が徐々に曇って行った。
「ごめんな、日比野さんを追い返しちゃって。」
うつむきながら言う。
「柚月さん、さすが経験者だね。よく分かってるよ。俺が泣き言とか言ったり、泣いたりするって事、分かってたんだね。だから、彼女がいない方がいいって思ったんでしょ?」
俺が決まり悪いと言った感じで苦笑いして言うと、
「うん、まあ。表向きは。」
柚月さんは曖昧に答えた。