「本気の恋っていったいなんだ」

 突如私に降ってきた果てしなく答えの見えそうにない疑問について、そいつは迷いもなくいとも簡単に笑い飛ばしやがった。

「本気ってそんなの、本気で好きなら本気の恋だろ、バカかよおまえ」

 自分が馬鹿だという自覚はあるつもりだ。かろうじて数学は人並みにとれても文系科目は死亡フラグ。特に国語はてんでダメ。特に小説に出てくる人物の心理状況を読み解くなんて私には100年早い話。
 そんなもんだから、目の前でケタケタと笑うハルタがめちゃくちゃに憎たらしくてとにかくウザい。バカかよって、自分でわかってるっつうの。ていうか唐突に思ったことをポロリと口に出してしまった自分を今すぐに殴りたい。殴らないけど。

「じゃあ本気で好きってなんだよ。ハルタにわかんの」
「そりゃあ、おれがミカちゃんに抱く気持ちのことに決まってんだろ? アイラブミカちゃん、フォーリンラブだから、おれ」
「とりま帰って?」

 ミカちゃんっていうのは、ハルタ一押しのアイドルタレント。目がクリっとして可愛らしい顔と言動が人気なんだって。知らないけど。フォーリンラブの意味は多分理解してないんだろうな。ハルタ馬鹿だし。でもおもしろいから教えてはやらない。

「つうか、ヒナコがそんなこと言うなんてめっずらしいじゃん? なんかあったわけ」
「うるせえ帰れ」
「おまえは口を直せ」
「ていうかマジで帰ってよ。邪魔でしかない」
「おまえなー、たまには俺のこと頼ってもよくない?」
「私だって頼れる男がそばにいてほしかったよ」
「ほんとクソヤロウだなおまえ」

 夕暮れの教室、ハルタとふたりっきりになってしまったのには訳がある。
 遡れば数時間前、誰もが嫌がる掃除の時間。ハルタがいつも通り私にちょっかいをかけてきて、私はまんまとそれに乗ってゾウキン片手にハルタを追いかけていたんだけれど、たまたま通りかかった学年主任にそれを見られてしまったのだ。
 しかも学年主任は私が掃除をサボって一人で走り回っていたと思ったらしく(ゾウキン片手にひとりで走り回るほど私はキチガイじゃないと思うんだけど)こっぴどく叱られて反省文を書かされているってわけだ。

「もーいーよ、ほんと帰って」
「ていうか、反省文書くのおまえだけとか普通におかしいし、いるくらいいいだろ」

 ハルタは、そういうところだけやけに律儀だ。確かにちょっかいをかけてきたのはハルタだけれど、それに乗ったのは私だし、見つかったのは私の足が遅かったからだし、別にハルタが気にすることなんてないのに、ハルタってホントバカ。

「いても意味なし、気が散るだけ。さっさと帰りな。てゆーか部活サボんな」
「今日は休みだっつうの。俺はバスケを愛してるから部活があったら迷わず部活優先しますー」
「なんで今日休みなんだよコンチクショウ」
「ほんとかわいくねえなブス」
「おまえいつかコロス」

 進まない反省文に無意味にシャーペンを滑らせて、ハルタはブツブツ何か言いながらそれを見る。バーカ。さっさと帰れよ。ていうかほんとは今日部活あったの知ってるっつうの。バーカ、ハルタ、バーカ。

「……ヒナコ」
「なに」
「おまえほんと、なんかあったんじゃねえの」
「はあ?」

 珍しく真面目な声を出したハルタが、私が握りしめるシャーペンを奪い取る。やめろよ。ただでさえ国語がニガテで文章書けないんだから邪魔するなっつうの。

「だっておまえからコイなんて単語が出てくること、一万年に一度あるかないかだろ」
「そんなことないっつうの。私だって女子トーク鉄板恋のお話略して恋バナしたりするからね? 舐めんな?」
「嘘つけ。おれがわかんねえわけないだろ、吐きやがれ」
「うるせえ童貞は消えろ」
「おまえよりは経験あるわ」

 バカヤロウ、ハルタはほんとうにバカヤロウだ。でもたぶん、きっと私はそれ以上にバカヤロウかもしれない。

「……ふうん」
「いやおまえ、そこは反撃してこいっつうの、恥ずかしいだろ、俺が」
「知るか、しね」
「いやなんでだよ」

 本気の恋ってなんだって私が言ったら、本気で好きなら本気の恋だろってハルタが言った。本気で好きってなんだよ。本気とかなんだよ。全然わかんないし、わかる方法も知らないし、きっとこれからもわからないよ。

「……ハルタってさあ」
「ん?」
「ホント、バカだよね」
「はあ?」

 奪い取った私のシャーペンを片手でくるくるとまわしながら、ハルタが心底意味わかんねえみたいな顔をして私を見る。私も意味わかんねえっつうの。ていうかたぶん私がいちばん意味わかんねえっつうの。

「ねえ、わたし本気の恋とか本気で好きとかわかんないけどさ」
「おまえにわかるわけねえだろアホか」
「うるせえ話は最後まで聞け」
「ハイハイ、で、何」
「好きなんだけど」
「ハイハイ、おまえはほんと……は?」

 ハルタの手からシャーペンがコロンと落ちる。真っ白な原稿用紙、反省文なんて思いつくわけないじゃん。だってハルタがいると心臓がうるさくて思考がうまくまわらないんだもん。それは、国語がニガテな私の言い訳じゃなくて現実問題。
 元々丸くてきれいな形をしたハルタの目がさらに大きく開かれて、わたしは心臓がうるさくて目をそらした。
 だいたいハルタはずるいんだっつうの。いつも私にちょっかい出してきて、バカだのブスだの言うくせにたまに優しくしてくるのなんでなんだよ。今日だって、私のことなんか気にせず大好きなバスケしに行けばよかったのに。ハルタってバカだよ。ほんとうにバカだ。でもたぶん、オトコみたいな私をたまに、ほんとうにたまにオンナノコ扱いしてくれるの、この世界でハルタだけだと思うんだ。
 我ながらなんて単純。
 でもしょうがなかった。仕方なかった。ハルタがたぶん好きだった。本気とかそんなの知らないけれど、私はミカちゃんにもハルタが『おまえより経験ある』って言ったコトバにもちょっとだけ、嘘、だいぶ嫉妬してしまってるんだもん。
 バカ、ハルタのバーカ。
 ああでもたぶん、いやきっと、いちばんのバカは私自身だ。

「……ヒナコ」
「……」
「おい、ヒナコ」
「……」
「おいブス」
「コロス」

 つい反射的に顔をあげてしまう。しまった。バカ、バカヤロウわたし。
 でもその瞬間、ハルタが私の頬を両手でつねった。一瞬で人のほっぺた掴める反射神経どうなってんだよ。ていうかカンタンに触んなっつうの。こっちは心臓が痛いんだっつうの。

「はは、顔真っ赤」
「なっ……」
「ヒナコ、おまえかわいー顔もできんじゃん」

 はあ? って言う言葉はハルタが指先を動かして私の頬を撫でたからひっこんだ。ビックリして、ひっこんじゃったんだ。なに、なんなの、ハルタ、意味わかんない。

「なあ、おれ、先に言われてけっこうプライド傷ついたんですけど」
「先……?」
「そーだよ、おまえなんでオンナのくせに先に言うんだよ」
「先ってなんだよバーカ離せ」
「離すかよ」

 机を挟んだ一個分。ハルタはそんな距離から私を見つめて、まっすぐに射抜く。バカ、ハルタ、心臓痛いって言ってるじゃん。やめてよ。わたしまるでオンナノコみたいじゃん。

「先に好きとか言うなよ。俺だって、好きな奴じゃなきゃ放課後わざわざ一緒に残って反省文なんか書かないっつうの」
「ウソだ」
「なんでだよ」
「だって、」
「ウソじゃねえ。ヒナコ、おまえが好きだよ。バーカ、気づけよ」

 ハルタの両手がするりと落ちる。絡み合った視線を外さないまま。ああどうしよう、こんなの柄じゃない。柄じゃないのに、涙が出てきたよ。なんだこれ、わたしってバカなのかも。

「やっすいんだよコトバが、どっかの小説かっつうの」
「素直じゃねえなあ。じゃあなんだよ、なんて言ってほしいんだよ」
「なんかもっと、ないの、バカ」
「……好きって、それしかねえだろ。それこそ少女漫画だろ、バカ」
「……ハルタあ……」
「あ? なんだよ」
「……すき、たぶんわたし、本気じゃないけど、めちゃくちゃすき、かも」

 本気じゃないが余計だろ、って。ハルタが顔を赤くした。照れてるのかな。こんなのちょっと私たちらしくない。だいたいなんで私泣いてるんだよ。バカ、ほんと、わたしもハルタも、バカだ。

「……まあでも、今のはちょっと……グッときた」

 なにがだよ、って言う前にハルタが私の手を取った。そのまま私の耳元に顔を寄せたハルタがつぶやく。息がかかってくすぐったい耳を押さえながら口をパクパクさせると、かわいーじゃん、ってハルタが笑う。

『おれはたぶん、おまえに本気の恋してると思うんだけど』って、バカ。ハルタはほんとうに、バカだ。



【ハルタとヒナコ】 fin.