◇
「えっーと、なんできみがまたここに?」
「きみじゃなくて早川シュンですよ」
「うーんと、シュンくん、なんでまたここに?」
「御礼です、昨日冬乃さんが助けてくれなかったら野宿するところだったから」
「御礼……」
今朝、この子のことを薄情な奴だと思ったことは訂正する。薄情どころかあまりに律儀な少年だ。
玄関前でそんな会話を繰り広げていたからか、「とりあえずお邪魔します、昨日いつでも来ていいって言われたし」と半ば強引に部屋に入ってきた。いやいや、昨日泊めてあげたのはきみが財布もスマホもなくて困っていたからであって。
本来、わたしは見ず知らずの異性を簡単に家にあげるような女ではないのである。昨日は散々無防備だのなんだの言われたけれど、自分の身は自分で守れるたちなのだ。
「キッチン借りていいですか」
「いや、ていうか昨日電車に忘れた荷物は見つかったの?」
「はい、昼間に終点駅まで取りに行きました。財布の中身も無事だったし、冬乃さんが信じる性善説も強ち間違ってないかもしれないですね」
「えーっと、だったら今日は自分の家に帰れるよね? 御礼とか私全然求めてないから……」
「あ、冬乃さんちょっとスマホ貸してもらえませんか?」
「は? スマホ?」
さっきから全然話が噛み合わないんだけど。ていうか、シュン少年が桁違いの美少年だからこの状況を許してしまっているけれど、シンプルに理解不能だ。
回らない頭のせいか、ロックを解除した状態のスマホをシュン美少年に差し出すと、何やらカタカタと動かして数秒。そのままスッとわたしの元へスマホを返す。なんなの。
「交換しときました。メッセージアプリ」
「は?」
「俺からの連絡、無視しないでくださいね」
「いやいやちょっと、なんか昨日とキャラが違わない?」
「キャラ? べつに普通ですよ、空気は読めないってよく言われますけど」
「本当にその通りだね。わたしきみと連絡先を交換したいなんて一言も言ってない」
「俺が知りたかったので」
「知って何になるのよ、ただのご近所さんでしょ」
「知りたいんですよ、冬乃さんのこと。理由なんてなんだっていい」
うん、そうだった。こいつ、こんなに綺麗な顔をしているくせに、コミニケーション能力が皆無なんだった。それは、話せないとかそういうことではなく、相手の意思を汲み取るのが下手くそだ、という意味で。
「なんなの、きみはカッコいいし頭もいいし引く手数多でしょう。わざわざわたしみたいなアラサーに構ってこなくてもいーんだよ」
「昨日俺を助けてくれたのは冬乃さんの方じゃないですか」
「それはきみが困ってたから! わたしはね、別に友達が欲しいわけじゃないの。だからこんな風に突然来られて家に上られても困るんだよ」
「困らせてるならすみません、でも俺もべつに友達になりたくて来たわけじゃないですよ」
「はあ? きみさ、大人を揶揄うのはやめなさいって、」
「─────シュンって呼んでください」
あ、しまった、昨日こいつを易々と家に入れるんじゃなかった。
呆れたわたしの手首を掴んでそう言う美少年の瞳に捕まって、わたしは何も言えなくなってしまう。
そうだ、あの日もそうだった。大雨のバスの日、栞にして欲しいと1枚の写真を渡されて。顔を上げた先に、このあまりに好みの綺麗な顔と、ひどく真っ直ぐで純粋な瞳に、捕まってしまった。その衝撃に、わたしは御礼のひとつすら言えなかったのだ。
「何が目的なの」
「目的か、理論的だな」
「きみ……シュンくんが言ってたんでしょ、危機感持てって」
「それもそうですね」
「身体目的なら別に構わないよ、それで満足するなら差し出すけど」
「そういうところ、やめてください」
「じゃあなんなの」
「冬乃さん、あなたのそういう危なっかしいところが気に食わない」
そういう危なっかしいところってなんだろう。第一、この美少年に会うこと自体、未だ3回目だというのに。とんだ言いがかりだ。
「シュンくんは随分と強引なんだね」
「そうですね、初めてのことなので、自分でも驚いてるんですが」
「初めてって……」
「言いませんでした? 付き合ったこともひとを好きたなったこともないって」
いや、それは確かに聞いたような気もする。けれどこの話の流れでそれを持ち出されると、本当にこの美少年がわたしを好いてくれているのではないかと勘違いしそうになる。勘違いであってくれたらいい、の方が正しいか。
「それ、は、」
「─────気になるみたいです、冬乃さんのこと」
あまりに真っ直ぐな視線が今は痛い。4つも年下、どころか大学生。私からみればまだまだ子供。のくせに、わたしは存分に付け込まれている。堂々と。
「……危なっかしいのはどっちよ」
「俺の方ですか?」
「恋したことないのが本当なら、ちょっと年上の綺麗なお姉さんに優しくしてもらったのを恋みたいなものと勘違いしてるだけだよ、目覚ましな」
「綺麗とか自分で言っちゃうところもいいですね」
「人の話聞いてる?」
「冬乃さんが言うこともわかるので、ここに通ってもいいですか?」
「はあ?」
「恋かどうか、決めるのは貴女じゃなく俺の方です」
若い、若すぎる。お言葉ですけど、恋はひとりでするものではないのだよ、少年。
「……シュンくん、きみ美少年でよかったね」
「どういう意味です?」
「その強引さ、一歩間違えればストーカー。シュンくんの顔が綺麗だからゆるされるだけ」
「そういうの、ルッキズムって言うんじゃないですか」
「ルッキズムに散々救われてきた側の人間でしょ、きみは」
「どうでもいいですけどね、容姿とか。まあ確かに、冬乃さんの見た目は好みかもしれないですけど」
「おもったこと全部口に出さないと気が済まないの?」
「いや、俺すごく無口だって言われるんですけどね」
「どこが?!」
「さあ、わかんない。人と話すの好きじゃないし」
はあ? 無理矢理家に上がり込んでおいてどの口が言うんだ。人と話すのが好きじゃないなんて、そんな風には見えやしない。表情が乏しいことは認めるけれど。
「話終わったならキッチン借ります。今日は御礼をしにきただけなので」
「だから、御礼とか要らないってば……」
「でも今日は、なんとなくひとりでいて欲しくないんですよ」
「はあ? もう本当さっきから意味わかんない」
「夜から大雨ですよ、あの日と同じ音、わざわざひとりで聞かなくてもいい」
ああ、不覚にも、わたしはやっぱり弱っているのかもしれない。でなければ、こんな4歳も年下の大学生に何も言えなくなるなんて、どうかしている。
振り向いてブラインド越しに窓の外を見ると、確かに雨が降り出していた。そうか、シュンくんがタイミングよく家に来たから、雨が降り出したことに気づかなかったのか。
だとしたら、なんてわかりにくいやさしさなんだろう。きみがそんなことを考えているだなんて全く想像もしていなかったよ。
そしてわたしは、自分のことにも相当疎かったみたいだ。だって、大雨の音を聞いた途端、シュンくんが懸念していたように、まるで映画の回想シーンのように元彼のことを思い出してしまったのだ。
「ほらね、言ったでしょう」
「ほらねって……」
「雨の音を聞いたら、冬乃さんが、またあの日と同じような顔をするんじゃないかって思ったんですよ」
「そんなの、なんでシュンくんが気にするのよ……」
「案の定そんな顔してるし。なんで気になるのかは、自分でもわからないです。わからないから知りたくてここに来た」
何を言っても無駄な気がする。この無表情で強引な美少年に言葉は暖簾に腕押し。非常に厄介だ。
「雨の日だけでもいいです。ここに来てもいいですか。冬乃さんの邪魔はしないから」
「邪魔って……」
「本、いつでも読みにきていいって、昨日言いましたよね」
「それは、そうだけど」
「言質とりました」
「ちが……」
満足気に少しだけ口角を上げた美少年。26歳、5年付き合った彼氏に振られて3日目。こんな厄介な問題が降り注いでくるとは一昨日のわたしはつゆ知らず。
あの日栞のかわりに差し出された1枚の写真を思い出す。そういえば、あの写真は晴れた日の夕焼け空だった。大雨の中、この状況にアンマッチなそれをじっと見つめたことを思い出す。
初めて出会ったあの時から、もしかしたらこの美少年は、雨が止むことを願っていたのかもしれない。
「えっーと、なんできみがまたここに?」
「きみじゃなくて早川シュンですよ」
「うーんと、シュンくん、なんでまたここに?」
「御礼です、昨日冬乃さんが助けてくれなかったら野宿するところだったから」
「御礼……」
今朝、この子のことを薄情な奴だと思ったことは訂正する。薄情どころかあまりに律儀な少年だ。
玄関前でそんな会話を繰り広げていたからか、「とりあえずお邪魔します、昨日いつでも来ていいって言われたし」と半ば強引に部屋に入ってきた。いやいや、昨日泊めてあげたのはきみが財布もスマホもなくて困っていたからであって。
本来、わたしは見ず知らずの異性を簡単に家にあげるような女ではないのである。昨日は散々無防備だのなんだの言われたけれど、自分の身は自分で守れるたちなのだ。
「キッチン借りていいですか」
「いや、ていうか昨日電車に忘れた荷物は見つかったの?」
「はい、昼間に終点駅まで取りに行きました。財布の中身も無事だったし、冬乃さんが信じる性善説も強ち間違ってないかもしれないですね」
「えーっと、だったら今日は自分の家に帰れるよね? 御礼とか私全然求めてないから……」
「あ、冬乃さんちょっとスマホ貸してもらえませんか?」
「は? スマホ?」
さっきから全然話が噛み合わないんだけど。ていうか、シュン少年が桁違いの美少年だからこの状況を許してしまっているけれど、シンプルに理解不能だ。
回らない頭のせいか、ロックを解除した状態のスマホをシュン美少年に差し出すと、何やらカタカタと動かして数秒。そのままスッとわたしの元へスマホを返す。なんなの。
「交換しときました。メッセージアプリ」
「は?」
「俺からの連絡、無視しないでくださいね」
「いやいやちょっと、なんか昨日とキャラが違わない?」
「キャラ? べつに普通ですよ、空気は読めないってよく言われますけど」
「本当にその通りだね。わたしきみと連絡先を交換したいなんて一言も言ってない」
「俺が知りたかったので」
「知って何になるのよ、ただのご近所さんでしょ」
「知りたいんですよ、冬乃さんのこと。理由なんてなんだっていい」
うん、そうだった。こいつ、こんなに綺麗な顔をしているくせに、コミニケーション能力が皆無なんだった。それは、話せないとかそういうことではなく、相手の意思を汲み取るのが下手くそだ、という意味で。
「なんなの、きみはカッコいいし頭もいいし引く手数多でしょう。わざわざわたしみたいなアラサーに構ってこなくてもいーんだよ」
「昨日俺を助けてくれたのは冬乃さんの方じゃないですか」
「それはきみが困ってたから! わたしはね、別に友達が欲しいわけじゃないの。だからこんな風に突然来られて家に上られても困るんだよ」
「困らせてるならすみません、でも俺もべつに友達になりたくて来たわけじゃないですよ」
「はあ? きみさ、大人を揶揄うのはやめなさいって、」
「─────シュンって呼んでください」
あ、しまった、昨日こいつを易々と家に入れるんじゃなかった。
呆れたわたしの手首を掴んでそう言う美少年の瞳に捕まって、わたしは何も言えなくなってしまう。
そうだ、あの日もそうだった。大雨のバスの日、栞にして欲しいと1枚の写真を渡されて。顔を上げた先に、このあまりに好みの綺麗な顔と、ひどく真っ直ぐで純粋な瞳に、捕まってしまった。その衝撃に、わたしは御礼のひとつすら言えなかったのだ。
「何が目的なの」
「目的か、理論的だな」
「きみ……シュンくんが言ってたんでしょ、危機感持てって」
「それもそうですね」
「身体目的なら別に構わないよ、それで満足するなら差し出すけど」
「そういうところ、やめてください」
「じゃあなんなの」
「冬乃さん、あなたのそういう危なっかしいところが気に食わない」
そういう危なっかしいところってなんだろう。第一、この美少年に会うこと自体、未だ3回目だというのに。とんだ言いがかりだ。
「シュンくんは随分と強引なんだね」
「そうですね、初めてのことなので、自分でも驚いてるんですが」
「初めてって……」
「言いませんでした? 付き合ったこともひとを好きたなったこともないって」
いや、それは確かに聞いたような気もする。けれどこの話の流れでそれを持ち出されると、本当にこの美少年がわたしを好いてくれているのではないかと勘違いしそうになる。勘違いであってくれたらいい、の方が正しいか。
「それ、は、」
「─────気になるみたいです、冬乃さんのこと」
あまりに真っ直ぐな視線が今は痛い。4つも年下、どころか大学生。私からみればまだまだ子供。のくせに、わたしは存分に付け込まれている。堂々と。
「……危なっかしいのはどっちよ」
「俺の方ですか?」
「恋したことないのが本当なら、ちょっと年上の綺麗なお姉さんに優しくしてもらったのを恋みたいなものと勘違いしてるだけだよ、目覚ましな」
「綺麗とか自分で言っちゃうところもいいですね」
「人の話聞いてる?」
「冬乃さんが言うこともわかるので、ここに通ってもいいですか?」
「はあ?」
「恋かどうか、決めるのは貴女じゃなく俺の方です」
若い、若すぎる。お言葉ですけど、恋はひとりでするものではないのだよ、少年。
「……シュンくん、きみ美少年でよかったね」
「どういう意味です?」
「その強引さ、一歩間違えればストーカー。シュンくんの顔が綺麗だからゆるされるだけ」
「そういうの、ルッキズムって言うんじゃないですか」
「ルッキズムに散々救われてきた側の人間でしょ、きみは」
「どうでもいいですけどね、容姿とか。まあ確かに、冬乃さんの見た目は好みかもしれないですけど」
「おもったこと全部口に出さないと気が済まないの?」
「いや、俺すごく無口だって言われるんですけどね」
「どこが?!」
「さあ、わかんない。人と話すの好きじゃないし」
はあ? 無理矢理家に上がり込んでおいてどの口が言うんだ。人と話すのが好きじゃないなんて、そんな風には見えやしない。表情が乏しいことは認めるけれど。
「話終わったならキッチン借ります。今日は御礼をしにきただけなので」
「だから、御礼とか要らないってば……」
「でも今日は、なんとなくひとりでいて欲しくないんですよ」
「はあ? もう本当さっきから意味わかんない」
「夜から大雨ですよ、あの日と同じ音、わざわざひとりで聞かなくてもいい」
ああ、不覚にも、わたしはやっぱり弱っているのかもしれない。でなければ、こんな4歳も年下の大学生に何も言えなくなるなんて、どうかしている。
振り向いてブラインド越しに窓の外を見ると、確かに雨が降り出していた。そうか、シュンくんがタイミングよく家に来たから、雨が降り出したことに気づかなかったのか。
だとしたら、なんてわかりにくいやさしさなんだろう。きみがそんなことを考えているだなんて全く想像もしていなかったよ。
そしてわたしは、自分のことにも相当疎かったみたいだ。だって、大雨の音を聞いた途端、シュンくんが懸念していたように、まるで映画の回想シーンのように元彼のことを思い出してしまったのだ。
「ほらね、言ったでしょう」
「ほらねって……」
「雨の音を聞いたら、冬乃さんが、またあの日と同じような顔をするんじゃないかって思ったんですよ」
「そんなの、なんでシュンくんが気にするのよ……」
「案の定そんな顔してるし。なんで気になるのかは、自分でもわからないです。わからないから知りたくてここに来た」
何を言っても無駄な気がする。この無表情で強引な美少年に言葉は暖簾に腕押し。非常に厄介だ。
「雨の日だけでもいいです。ここに来てもいいですか。冬乃さんの邪魔はしないから」
「邪魔って……」
「本、いつでも読みにきていいって、昨日言いましたよね」
「それは、そうだけど」
「言質とりました」
「ちが……」
満足気に少しだけ口角を上げた美少年。26歳、5年付き合った彼氏に振られて3日目。こんな厄介な問題が降り注いでくるとは一昨日のわたしはつゆ知らず。
あの日栞のかわりに差し出された1枚の写真を思い出す。そういえば、あの写真は晴れた日の夕焼け空だった。大雨の中、この状況にアンマッチなそれをじっと見つめたことを思い出す。
初めて出会ったあの時から、もしかしたらこの美少年は、雨が止むことを願っていたのかもしれない。