小学四年生の頃に理科の授業で水を温めたり冷やしたりして固体・液体・気体といった「状態変化」や「燃焼」などを学ぶ為に、ガラス製のアルコールランプを使用した実験を行った。その際に芯に灯った炎を指先で摘んでしまい、右手の親指と人差し指を軽く火傷してしまった。
 同じ班の生徒達からは”美咲は馬鹿だな”と嘲笑され、担当の教師には”何故こんな事をしたのだ”と叱責された。
 幻想的で綺麗だったから触れてみたくなったのだと正直に答えたら余計に怒られてしまった。確かにピリッと刺されたような痛みはあったけれど、そこまで大袈裟に騒ぐほどの事態では無いだろうに。
 二週間ほど経過すると周りの皮膚に比べて真っ赤に腫れていた火傷の跡が、今度は白色へと変色していた。
 通院していた病院の先生が言うには、炎症後白斑と言って皮膚が強いダメージを受けたため、色素を生成するメ機能が一時的に低下してしまうことで、色ムラが残ってしまう現象だそうだ。
 時間と共に徐々に改善するが、長い年月がかかると伝えられた。早めに治療を開始すれば治るケースもあるのだと勧められた私は断固とて拒否した。
 母にはお金が掛かるのが勿体無いからと適当に理由をつけたが、本当は赤く燃え上がる炎を綺麗だと思ったように、その炎が作った火傷の白い跡もまた白百合のようだと思ってしまったからだった。
 私は人の身体は燃えると美しい色へ変わることを知った。
 けれど母は女の子の身体に、更に言えば見える箇所に傷跡が目立つのは可哀想だと、痛みが引いても登校時には決められたように包帯で傷跡を隠してくれた。
 学校から帰宅した私は丁寧に指先に巻かれた包帯を取り、傷跡を眺めることがいつの間にか癖になっていた。可哀想だとか痛たましいだとか、そんな理由でこんなにも美しいものを隠しておくのは勿体無い。
 もっとみたい。もっとみたい。もっとみたい。もっと。もっともっも…
 微睡むようにゆらゆらと揺らめく儚くて美しい燈を。勢いに任せて盛んに燃え上がる炎炎たる猛火を。
 もっとみたくなった。
 美を求めた私は欲望を満たす為に台所へ行き、ガス焜炉のハンドルを捻った。チカチカと圧電素子から火花が飛び出す音と同時にガスの吐き出される音がした後、ボッ。とガスに着火し青い炎が矢車菊のように開花する。

 ………………………きれい……。
 
 花火に見惚れていると、脇腹あたりの服を引っ張られる感覚があった。下へと視線を移すと、そこには弟の雨斗が興味津々な瞳で私を見上げるようにして立っていた。
 その時の私は酷く焦った。
 ”お姉ちゃん、何してるの?”と幼女のような声音で訪ねてくる雨斗に笑顔で誤魔化すだけが精一杯で、誰にも話さないよう口止めすることをすっかり失念していた。
 その日の夜に母が帰宅すると、私は急いで母のもとへ駆け寄り、夕食作りを手伝わせて欲しいとお願いした。
 料理をしたかったから火元を使用したことにするのためだ。
 母は大喜びで許してくれた。勿論それを織り込み済みで私は話したのだが。
 二年前に父と離婚してから、母は私に完璧を求めるようになった。
 学年トップの成績でなければ友達との遊びはおろか、食事の時間さえも削ってまで机の前に座らされ、勉強を虐げられた。
 中学は進学校に入学させ、生徒会長の座に付き、串波家の長女として相応しい子供として育て上げる。高校生になれば塾へ通わせながら幾つもの資格を取得させ早稲田大学の受援準備をさせる。卒業後は公務員に就職させ、まだ見ぬ未来の旦那と二人の孫娘とで楽しく暮らす予定だそうだ。
 今回の件だって花嫁修業の一環として考えているのだろう。恥ずかしくない娘を育てるために。
 小学六年生になると母の帰宅は徐々に遅くなり、自然と家事は全て私がする事になっていた。
 家族を養うために、一人で無理をして働いてくれているのだろう母のために、私が家のことを頑張らなければいけない、少しでも母の負担を減らさなければならないと思った。それなのに、三年生に学年が上がった雨斗は昔よりも友達と良く遊ぶようになり門限を破ることが多々あった。
 
 ……羨ましかった。

 洗濯物を干し終わると部屋に掃除機をかけ、トイレとお風呂掃除を終わらせてから夕飯の支度を始める。今日の献立はロールキャベツにコンソメスープ、粉から作ったビーフシチューだ。
 作り終えると自室に籠り、二人が帰るまでひたすらに勉強をする。
 慣れてしまえば別に苦だと思うこともなかった。決められた時間に決められたことを行い、求められる結果を成し遂げさえすれば、叱られることも叩かられることもない。母の機嫌を損ねることもないのだ。
 そんなある日、私は母の使う煙草のライターを盗みだしてしまった。返却された答案用紙をどうしても処分しなくちゃいけなくなったから。
 “百点じゃなかった”
 教師から受け取った私にクラスの全員も渡した教師でさえも皆口々を揃えて”凄いね”と笑顔で称賛してくれたけれど、私だけはその場から動けずに絶望していた。
 この紙切れ一枚を母に渡してしまったら、私は家に入れてもらえなくなるかも知れない。叩かれるくらいならまだ耐えられる。我慢すればいいだけだし、痛みは徐々に引いていく。それなのに、家に入ることを許されないと私の居場所がなくなってしまう。

 “捨てられるのは、、嫌だ”

 ライターを点火しテスト用紙の左角へとオレンジ色に灯る一つの炎を近づける。白い煙を上げながら炎が紙へと移り、そこから侵食するかのように角を摘む私の指を目掛けて登ってくる。
 そろそろ離さなければと判ってはいるのに、その迫り上がる炎の熱が私に向けられた炎自身の恋心の表れなのかもしれないと考え始めていた。
 “炎は私を愛し、私もまた熱を愛しているのだと”
 気が付けば紙は全て燃え尽きており、私の左指は火傷をしてしまっていた。