思ったとおり今日はなかなか生徒が登校できず、ほとんど一日自習時間で終わるようだった。
今朝の一件からすでに落ち着きを取り戻したらしい至くんは、教室に入るなり無言で自分の席に着き、今は黙々と数学の参考書を解いている。
そんな彼とは対照的にまったく勉強に身が入らなかった私は、机の下でずっとスマートフォンを操作していた。

検索窓に入力している単語は、もちろん“夢魔”だ。
神話や伝承、物語や絵画など様々な検索結果が出てくる中で、ほぼ共通している夢魔の特徴は、“人の夢に入り込み、淫らな夢を見せて誘惑する”ということだった。
なるほど“夢魔”という名前だけあって、彼らは夢との関わりが深いらしい。

「ねぇ、至くんも人の夢の中に入れたりするの?」

放課後。
帰る支度をしていた至くんにこっそりと問うと、彼は「変な知識を取り入れやがった」とでも言わんばかりに顔を顰めた。

「……ああ。いちおうその能力はある」

「すごいっ! それじゃあ――」

「でも俺は他人の夢には入らない」

「ええっ、どうして? 夢に入ってお喋りでもできたら楽しそうじゃない?」

「夢の中に入るってことは、他人の夢を覗き見てしまう場合があるんだ。単純にプライバシーの侵害だろ」

至くんの眉間の皺が深くなる。
ファンタジックな話をしているはずなのに、彼の見解は妙に現実的だ。
人の夢に入れるだなんて、まるでおとぎ話みたいでわくわくするし、ぜひとも私の夢の中に遊びに来てほしいくらいなのに。
せっかくの素敵な能力を使わないなんて、なんだかとてももったいないと思うのだけれど。

「人間は夢の中では意識が曖昧になる。夢魔はそこにつけ込んで心を惑わし、精気を奪う生き物だ。俺は夢魔のそういう卑しい性質が嫌いなんだよ」

吐き捨てるように言う至くんの夢魔嫌いは、思っていた以上に根深いらしい。
怖そうな見た目に反して、やはり彼は真面目で潔癖なところがある。

それにしても、夢魔とは賢い生き物だ。
夢に至くんのようなかっこいい夢魔が出てきて、しかもその人に口説かれたりなんかしたら、誰だって舞い上がってしまうだろう。
それを利用して自分たちの糧を得ているとは。
けれど当の至くんがそんなふうに夢魔らしく人間を誘惑するところは、なんだか私にも想像がつかなかった。

「そんなことより、このあと暇か?」

「うん。特に予定はないけど」

「だったらこれから今朝とは別の方法で精気をもらいたい。あんたがそれに耐えられるようなら、今朝の話を受けさせてもらう」

「分かった。どこでやるの?」

「俺の家でよければ、そこで」

どうやら精気の受け渡しにはほかにも方法があるらしい。
しかしそんなことはどうでもよかった。
思いがけず至くんの家に行けることになり、私は自分の役割もそっちのけで浮かれてしまっていたのだ。



「おじゃましまぁす」

放課後になると積もった雪も綺麗に除雪され、私たちは難なく歩いて至くんの家に向かうことができた。
至くんが暮らすマンションは高校の最寄駅の北口から徒歩5分ほどの場所にあり、彼は見るからに高級そうな、しかも高層階の部屋に住んでいるようだった。

「ご両親は?」
「母親は仕事でほとんど帰ってこない。父親は顔も名前も知らないな」