生理的な涙を流しながら、我妻くんの動きに翻弄されていく。
しかしそんな状況下にいても、私は彼の意図になんとなく気づけたような気がしていた。
おそらく彼は私の唾液を啜ろうとしているのだ。
どうしてそんなことをするのかというところは、まったく見当もつかなかったけれど。

「はぁっ……」

色気も何もない捕食のようなキスが終わると、我妻くんの拘束も解け、私はその場にへたり込んだ。
荒くなった息をどうにか整え、酸素を肺に満たしていく。

キスというものがこんなにも息苦しい行為だったなんて知らなかった。
テレビドラマや少女漫画で見ていたようなロマンチックで心がときめくものとは違う、まるで嵐が過ぎ去るのを待つような時間だった。
もしかしたらただ単純に私が経験不足で下手くそだったせいかもしれないけれど、それでも想像していた甘さなんてひとかけらもなかったことに、私はただただ驚いていた。

いまだ呆然としつつ、濡れた口元を手の甲で拭う。
それからちらと視線を上げると、その先で惚けたように虚ろにしている瞳が見えた。
彼の目はいつの間にか元のブラウンに戻っていて、私と目が合うなり数度瞬きをした。
そして我に返ったように目を見張ると、額を床にぶつけそうなほどに勢いよく頭を下げたのだった。

「わっ、悪い……!」

「あが、つまくん……?」

「いや、謝って済むようなことじゃないよな。なんというか腹が減ってて……って違っ、そうじゃなくて、その……。ああクソッ、とにかく本当に悪かった」

前髪を乱雑に掻きながら、我妻くんが声にならない声で唸る。
どうやらあからさまに気が動転してしまっているらしい。
こういうとき自分より混乱している人を見ると、やけに落ち着けてしまうのはなぜなのだろう。
バツが悪そうに顔を顰める我妻くんを見て、そんな表情もできるのだなと、私はどこか感慨深い気分になった。

「あの、我妻くん、落ち着いて。どうしたの? すごく体調が悪そうだったけど大丈夫?」

「ああ、もう平気だ」

「そっか。それならよかった」

本人の言うとおり、先ほどまでの姿がまるで嘘のように、今の我妻くんはピンピンとしていた。
むしろいつもよりも血色がよく見えるくらいで、どうやら本当に体調は持ち直したらしい。

「その、さっきね、我妻くんの目が金色に見えたんだけど……」

無事を確認したところで核心をつく質問をすると、我妻くんは少し肩を揺らしてから、小さく舌打ちした。
おそらく自分自身に対して苛立っているのだろう。
ふいに強い眼差しで探るように顔を見つめられ、私も負けじと我妻くんを見つめ返す。
するとそのうち諦めたようにため息を吐いた彼は、重たそうな口をやっと開いてくれた。

「登校に時間がかかったから、手持ちの食い物がなくなっちまって。コンビニに寄るより購買部に行く方が早いと思ってここまで来たけど、飢餓感で急に動けなくなったんだ」

「えっと、お腹が空くとあんなふうになるの?」

「ああ。夢魔なんだよ、俺」

「夢魔って……?」

「人間の体液を啜って、そこに含まれる精気を得ながら生きる悪魔のことだ。信じてほしいなんて言わないけどな」

我妻くんが自嘲するように笑うのを見て、私は言葉を失った。

――人間の体液を啜って、そこに含まれる精気を得ながら生きる悪魔。

そんな非現実的なものを、すぐさま信じられるわけがない。
けれど先ほどの事象を説明するには、あれこれ論理的な話をされるよりも、彼が人間ではないと言われた方が素直に納得できると思った。