あからさまな嫉妬心に駆られていると、高梨さんは初めて会ったはずの私の名前を呼んでくれた。
どうやら恭ちゃんが彼女に私の話をしていたらしい。
私とベルの描かれた絵がとても好きだと言う高梨さんは、私の気持ちを知らずに純粋に喜んでくれている。

「……もしかして高梨さんって、恭ちゃんの彼女?」

どこか確信を持って恭ちゃんに尋ねると、彼はやはり照れ臭そうに頷いた。

「ああ。今年中には籍を入れようって話してるんだ」

「そう、なんだね」

籍を入れるって、つまり結婚をするということか。
幸せそうに笑う恭ちゃんの顔を見て、さすがに目の前が真っ暗になるというようなことはなかった。
けれど喉の奥が詰まったように引き攣って、上手く声が出せない。
動揺が顔に表れないように無理矢理に笑顔をつくる。

「おめでとう、恭ちゃん。高梨さん、よかったら私とも仲よくしてくださいね」

「ええ。こちらこそ」

顔を見合わせて、恭ちゃんと高梨さんが微笑み合う。
そんな二人を眺めていると、どんどんと体の芯が冷えていくような気がした。

私は今、きちんと笑えているだろうか。
体は震えていないだろうか。
口角が痙攣しはじめ、慌てて俯き口元を隠す。
そんなことをしていると、ふいに腕を後ろに引かれた。

「仕事があるみたいだから、邪魔にならないうちに行こうぜ」

私の腕を引いたのは、静かにそばにいてくれた至くんだった。
彼はわざとらしくない程度に、自分の影に私を隠してくれているようだった。

「悪いね。せっかく来てくれたのに気を使わせてしまって」

「いえ。このあと飯に行くつもりだったんで」

「なぁ」と同意を求められ、頷きだけで応える。
そんな約束はしていなかったけれど、至くんはとっさの嘘でこの場を切り上げてくれるようだった。
そんな冷静な至くんの態度に、少し心が落ち着く。
ひとつ息を吐いて彼の影から出ると、私はもう一度恭ちゃんに向かって笑顔をつくった。

「じゃあもう行くね」

「ああ。帰りも気をつけろよ」

「結花は俺が送っていくので心配しないでください」

「今日はありがとうございました」と言って、至くんは私の手を引きながら足早にアトリエを後にした。
彼が向かう先は最寄駅とは反対方向だ。
おそらく人気の少ない場所に向かおうとしてくれているのだろう。
3分ほど歩いて静かな公園へと辿り着くと、至くんはくるりと振り返って私を見下ろした。
その目にはこちらを窺うような気持ちが滲んでいて、私は心配をかけてしまったことを申し訳なく思った。

「至くん、ありがとう。あと1分でもあそこにいたら、たぶん泣いちゃってたと思う」

「別に」

「そんな気まずそうな顔しないでよ。大丈夫。いつかこんな日が来るって分かってたし、ずっと心の準備はしてたから」

私が恭ちゃんと結婚できることは絶対にない。
だからこの日が来る覚悟はしてたのだ。

「だけど覚悟してたとはいえ、やっぱり辛いな」

堪えられなくなった涙が頬を伝う。
初めはひとすじ流れただけだったそれは、次第に壊れた蛇口のように溢れ出し、私の顔をひどい有り様にさせた。