「な、何笑ってんだよ」

「ごめん。私ちょっと浮かれてるんだ」

「浮かれてる?」

「私ね、周りの女の子たちみたいに、恋人と触れ合うようなことなんて一生できないと思ってたから」

私がそう言うと、至くんは気まずそうに言葉を失った。

「もちろん私たちは付き合ってるわけじゃないけど、それでもちょっとドキドキするし楽しい。至くんってかっこいいし、なんだか少女漫画の主人公になったみたいだもん」

「ったく。ほんと能天気だな、あんた」

「もー。あんたじゃなくて、結花だってば」

「結花」

すると突然、至くんから下の名前で呼ばれて、今度は私が言葉に詰まってしまった。

結花と呼んでほしいとは言っていたけれど、彼の性格からして、それほど期待はできないと思っていたのに。

「名前を覚えていなかったって、あれは嘘だ。本当はちゃんと知ってた。初めから変な女だって思ってたから」

「え? ここにきて悪口?」

「ちげーよ」

否定はしてくれたものの、至くんはどうして私を変な女だと思っていたのかは教えてくれなかった。
初めからって、いったいいつから私のことを認識していたのだろう。
何をどうして、私みたいな平凡な人間を印象的に思ったというのか。

「ま、夢魔だとバレたのがあんたでよかったってことだ」

彼の心の底を覗き込めない悔しさを感じていると、してやったりと皮肉っぽく笑う至くんが、私の耳元で囁いた。
まるで私を堕とすかのように、低く甘い声で。
こんなふうに人の心を惑わすことができるだなんて、やっぱり彼はれっきとした夢魔であるらしい。



その日からというもの、私は朝と放課後の2回に分けて至くんに精気をあげるようになった。
定期的に人間の精気を摂取していれば、飢えたように空腹になることも、抑えきれない欲が出るようなこともなくなるらしい。
夢魔の性と戦う日々から解放され、精神的に落ち着いたせいか、目つきの悪さは変わらないものの、最近は彼本来の穏やかな性質が表に出るようになったと思う。
そして、変わったことといえばもうひとつ。

「そもそも公式を覚えてないってどういうことだよ。こんな問題、公式に当てはめるだけなんだから簡単だろ。さっさと覚えろ」

「だってその公式が全然頭に入ってこないんだもん! sinとかcosとか難しいよ! ♡とか⭐︎とか使って分かりやすくしてくれればいいのに!」

「アホみたいな文句言ってねーで、いいからとにかく頭に入れろ。おい、ここの公式はマイナスがつくから間違うなよ」

それは休み時間や放課後に、こうして二人で勉強会をするようになったということだった。
友達になるというだけでは精気をもらう対価には見合わないと思ったらしい至くんが、得意な勉強を私に教えてくれるようになったのだ。
ぶっきらぼうな口調でスパルタだけれど、彼は物覚えの悪い私に根気強く付き合ってくれる。
そして難しい問題が解けたら「やればできんじゃねーか」と言って褒めてくれる。
そんな飴と鞭のおかげか、このあいだの中間テストでは下から数えた方が早いくらいだった学年順位が、なんと20番台にまで上がったのだった。

「もうすぐ1年生も終わっちゃうね」

そんなことをして過ごすうちに、精気の受け渡しを始めてから早くも3ヶ月が経とうとしていた。
すでに至くんの前で制服を脱ぐことにも抵抗がなくなっていた私は、今日も今日とて慣れた手つきでボタンを外し、彼にむき出しの背中を向ける。
ややあって自分と違う体温が重なるのを感じながら、いつものように目を閉じた。