「その…、違ったら忘れてほしいんだけど」
熟れた桃のように赤くなった樹の顔を、燃えるような夕陽が照らしていた。
地に生えた草はずっと向こう側まで続いていて、そのどこかで鳴いている鈴虫の音は、心地よい合唱を奏でている。
「……っ、もしかして、その…、俺のこと好きだったりする…?」
きっと世界は死んだ。
羽ばたく鳥も、鈴虫の音も、そよ風も、零れそうなほどの夕陽も、すべてが死に絶えた。
樹の体温や息遣い、仕草のみが、俺の左隣で生きている。
心臓が痛いほど脈打つのに、こんなにも甘く愛おしい。
「そうだよって言ったら、逃げる?」
ピタッと樹が立ち止まったので、見てみれば、大きく見開かれた目が、俺を真っ直ぐ見ていた。
滲む涙が夕陽に照らされ、キラキラと輝き、まるで宝石みたいだ。
「な…に、なんで…」
俯き、逸らされた目が右往左往と泳ぐ。
頭の中が俺で占められてるような、思考の全てで俺を意識しているような、恥じらうその目がもう一度見たくて、視線を合わせるよう頬に手を添える。
そして、その瞳を俺で満たしたとき、心臓が爆ぜた。
「……気づいたら好きだった」
樹に送る言葉を考えてカラカラ回る思考。
一度止まってまた動き出す。
「友達のままでよかった。どっちかが結婚して、幸せな家庭を持って、おじいちゃんおばあちゃんになって。その間も友達として付き合っていけるなら友達でも良かった。樹の人生を近くで見れるなら、それで良かった」
甘く脈打つ心臓が血液だけじゃなく、言葉までをも送り出しているようだった。
「だけど、」
自分の放つ言葉が、自分に刺さるように胸が痛い。
ジグジクとした痛みには、もう慣れたはずなのに。
「っ泣くなよ」
伸ばされた手を掴んで、ぎゅっと握る。
「お願い。好きだ。友達のままでいい。このままでいいから誰のものにもならないで」
冷えた手が、樹の熱を奪う。
きれいな恋じゃない。
この感情全てを伝えることはきっとできない。
目を見開いた後、思案するように目を伏せた樹は、静かに口を開いた。
「陽向、帰ろうか。帰ってゲームしよ」
例えば、まだ読んでいる小説を途中で閉じるような、ドラマの途中で変えられるテレビ番組のような、追いつけないまま途中から時間を共有するような現実味のない言葉が、樹の口からぽろっと零れた。
子供に読み聞かせするような慈愛に満ちた顔にも見えるし、一切の感情のない無表情にも見える。
静謐をまとうような表情は、どこか冷たささえ感じた。
「待って、悪かった!こんなこと言われて気持ち悪いってわかってる!明日からまたっ、普通通りにするから、嫌いになんないで…」
深い、深い沈黙が流れた。
「……嫌いになんてなるもんか。陽向は幼馴染で親友だ。だけど、時間がほしい」
カラスが一羽、夕暮れを知らせるように鳴きながら空高く通り過ぎた。
零れるような夕焼けは大きく膨らみ、地平線の向こうへ顔を隠そうとしている。
色の濃い秋の匂いに、伸びた影が2つ。
俺は、嘆願を胸にしまい小さく頷いた。