「じいちゃんのとこでバイト?俺が?」

リビングのソファーに寝そべりサブスクで映画を見ていた(あおい)は帰宅した母に祖父の喫茶店でバイトをしないかと勧められた。スーパーの袋を持った母は「そうなの、おじいちゃん困ってるみたいでね」とため息を吐きながら詳しい事情を教えてくれた。

蒼の母方の祖父は三つ隣の駅にある街で喫茶店を営んでいる。母と母の弟、叔父が就職すると脱サラして喫茶店を始め、現在も細々と続けていた。数年前に祖母が亡くなってからは祖父と2人のバイトで店を回している。何でもこの春で1人が進学で辞めて以来2人で切り盛りしていたが、もう1人のバイトも家庭の事情で辞めることになってしまったらしい。バイトを募集しているが中々集まらない。流石に1人で店を回すのは厳しく、新しいバイトが決まるまでで良いから蒼にバイトを頼めないか、と祖父に頭を下げられたと母は言う。

「俺バイトしたことないよ?人手不足なのに俺が入っても役に立たないんじゃね」

蒼は自分で言うのも何だが社交的ではないし要領も良くない。いずれバイトをしようと考えてはいたが、抜けたバイトの穴を埋められるわけがなく、寧ろ足を引っ張る未来しか見えない。

「猫の手も借りたい状況なのよ。それにそんなに身構えなくても、接客とレジは慣れれば誰でも出来るようになるわ。ちゃんと教えてくれるし。当然バイト代も出るわ。あんた新しいゲーム欲しいって言っていたでしょ?」

乗り気では無かった蒼だが、バイト代という言葉に心が揺れる。高校生は何かと入り用だし、毎月のお小遣いだってそんなに多くない。バイト代が入るというのは何とも魅力的な話だ。それに祖父の店は幼い頃から通っており、頻度は減ったものの月に数回は行っている。人見知りする傾向のある蒼にとって身内のいる店は初バイトにうってつけなのではないか。蒼は悩みうんうん唸る。そして。

バイト代に釣られ、蒼が首を縦に振ったのだった。


その3日後、早くも蒼は祖父の喫茶店「星野」に来ていた。星野は母方の苗字。件の家庭の事情で辞めるバイトが蒼に直接仕事内容を教えてくれるという話になったからだ。30代くらいの女性、山本は穏やかで教え方も分かりやすい。蒼の動きが覚束なくても嫌な顔一つしなかった。相性が良かったのもあるが、蒼が数日程で一通りの仕事を覚えることが出来た。まあ、実践出来るかどうかは別問題だ。

山本が正式に辞めるまでまだ猶予があり、それまでは蒼のフォローもしてくれるらしいので心強い。祖父と話し合った結果取り敢えず週4から始めることになった。学校帰りにしか来られないので、午前中は何とか頑張って貰いたい。

放課後急いでやって来た蒼は制服から動きやすい服に着替え、エプロンを付けて店に出る。昼と夕方頃が結構混むと聞いていたが、確かに席は殆ど埋まっている。店内はそれ程広くないとはいえ、これを1人で回せというのは大変だなーと蒼は思う。祖父はバイトがどちらも休みの日は1人で回しているのだから尊敬するしかない。

さて張り切ってやるか、と気合を入れた蒼の視界が何かを捉えた。蒼の視線の先には窓側の席に座り、ノートと教科書らしきものを開いて熱心に勉強している男子。学生だろうか。この店は値段設定が安いわけではないため、学生より社会人や主婦層が多いと聞いたので若い客は目に止まる。短く切り揃えられた黒髪、パーカーにTシャツという出立ちだが、キリリとした顔立ちも相まってとても様になっている。蒼は彼に見覚えがあった。

(3年の高村先輩?けど学校とえらく雰囲気が…)

高村雅(たかむらみやび)、蒼と同じ学校に通う3年生で1番の有名人。モデル顔負けのイケメンで成績優秀でスポーツ万能、性格も社交的で優しく常に男女問わず人に囲まれている、蒼とは住む世界が違う先輩。遠巻きに見たことがある彼はいつも朗らかに笑っており、偶に僻む人間から絡まれても涼しい顔で対応している。女子からは「王子」とかいう恥ずかしい二つ名で呼ばれており、死ぬほどモテるが誰とも付き合わない。しかしアフターフォローも完璧で断った女子から恨まれることもないという。まさに雲の上の人。

しかし今蒼の見ている彼は何処となく暗く、話しかけるなオーラを全身から発している。下手をしたら学校の高村雅と結び付かない可能性すらあった。

「あの、山本さん」

料理を運んでカウンターに戻って来た山本に小声で話しかける。

「何?どうかした?」

「窓際の席のお客さん」

「ああ、彼ね。数年前から通ってる常連さんよ」

そんなに前から、と蒼は驚いていた。もしかしたら高校に入学してからずっと通っているのかもしれない。

「彼がどうかしたの?」

「多分高校の先輩で」

「あら、そんな偶然あるのね。でも多分?」

「学校とは大分雰囲気が違うので。学校だとめちゃくちゃキラキラしてる人気者って感じなんですよ。誰にでもニコニコしていて。あんな風にクールな雰囲気初めて見たので驚いて」

今度は山本が口に手を当てて驚いた。

「そうなの?彼1人でしか来たことないし、ずっと勉強しているか本を読んでいるの。それに前店に来た若い女の子が彼に声をかけたことがあるんだけど、素っ気なくあしらっていたわ。蒼くんの言う彼とは確かに雰囲気が違うわね」

聞けば聞くほど蒼の知る高村雅とかけ離れている。女子を素っ気なくあしらうなんて、告白のアフターフォローも完璧と言われている高村からは考えられない。最も蒼も高村のことを碌に知らない。クラスの女子の噂で聞き齧った情報しか持っていないのだ。

(学校ではキャラ作ってんのかな。まああんなに周りに笑顔振り撒いてたら疲れそうだけど)

学校での疲れをここに癒しに来ているのかもしれない。身内としては祖父の店をそういう場所にして貰い嬉しい限りだ。人気者も大変だな、と考えていたら店員を呼ぶ声がしたので蒼は急いでカウンターから出て行った。


蒼が働き始めて1ヶ月たった。どうにか接客にも慣れ始め、山本も祖父も安心していた。そろそろ山本の退職日が近づいていることもあり、蒼が使い物になりつつあるのが嬉しいのだ。未だに料理を運ぶ時はつまずかないか、テーブルに置く時に零さずに置けるか内心ドキドキしているけれど。これくらい余裕だと調子に乗って空いた食器を一度に運ぼうとして、危うく落としそうになった時は肝を冷やした。もうしないと決心した瞬間だった。

「これで私も安心して辞められるわ」

「大袈裟ですよ。俺なんてまだまだですから」

太鼓判を押してくる山本に蒼は苦笑いを浮かべる。5年近く働いていた山本、4年働いていた春先に辞めたバイトを穴をたった1ヶ月しか働いていない蒼が埋められるわけがない。山本のことだからお世辞ではない可能性が高いが、過大評価されると居た堪れない。

ふと蒼は窓側の席に視線を向けた。高村は今日も来ている。大体週に3〜4の頻度で必ず1人。初めてオーダーを取った時「砂糖とミルクはお付けしますか」と訊ねると「どっちも要らないです」と答えた。ブラック派で絶対おかわりをして、時々ケーキや軽食を頼むこともある。この間季節限定デザートが追加されたのでお勧めしておいた。今日はコーヒーとチョコレートケーキ、甘いものを食べたい気分だったらしい。気づくと何故か高村を目で追っている蒼。やはり学校での高村とのギャップが物珍しいからだろうか。

高村はここに居る時無表情を貫いているが、ケーキや軽食を口に運ぶとほんの少しだけ口元が綻ぶのである。美味しいんだな、と見ている方にも伝わって来た。けど食べ終わるとスン、とした表情に戻る。会計する時も同じ、目は合うがそれだけ。完全なる無しかない。見かける学校での高村雅との落差にも慣れつつあった。

(今日も女子にきゃーキャー言われてたな。昼間の反動で夕方は表情筋が動かないんか?)

ここで見る高村を見るに確実にこっちの方が素だ。何故あんな風にキラキラを振り撒いているか知らないが、正直こっちの方が良いのではと蒼は思う。落差が凄すぎて、無理しているのでは?と赤の他人ながら心配になる。蒼がそんなことを言う訳にもいかず。出来ることと言えば、客としてやって来た高村を(自分なりに)丁寧に接客することくらいである。


次の日、いつもの時間に登校した蒼が玄関で靴を履き替えていると後方から女子が何やら騒いでいる声が聞こえた。気になって後ろを向くと、丁度高村とその友人が揃って玄関口にやって来たところだった。周囲から「朝から見れた!」「目の保養!」「同じ空気吸ったら健康になりそう!」と興奮し切った声が聞こえてくる。

(最後の奴何かやばそうなこと言ってる…)

まるでアイドル扱いである。まあ分からなくもない、高村の周囲だけ何やらキラキラとしているし、空気も澄んでそうだ。朝から眩しい、と隠キャな蒼は目を細め騒がしくなる前にさっさと教室行くか、と踵を返そうとした時。

「…」

(?)

友人と話していた高村が不意にこちらの方を向いた。端正な顔に浮かべていた朗らかな笑みを消し、真剣な顔で。物凄くガン見してくる。イケメンの目力に蒼はたじろいだ。

「え、先輩こっち見てない??」

「私達のこと見てるのかな!やば!」

蒼の後ろの方で高村達を眺めていた女子達が色めき立つ。何だ、一瞬自分のことを見ているのかと思ったが違ったようだ。男の蒼をガン見する理由もないか、と騒がしい女子達の横を通り抜け、教室へと向かった。蒼の後ろ姿を高村が凝視していることに、蒼も含め誰も気づくことはなかった。

昼休み、仲の良い友人と昼食を取ろうとしていた時。入口の方が何やら騒がしいな、と思っていたら「篠原ー」と蒼を呼ぶ声がする。声のした方を向くと入り口にいるクラスメートが蒼を見ながら手招きしている。何処からどう見ても蒼を呼んでいるようだ。

「呼んでるぞ蒼」

「みたいだな」

「早く行ってやれよ」

友人に口々に急かされ、蒼が蓋を開けてない弁当箱に目線を落としながら重い腰を上げ、呼んでいるクラスメートの元へ向かう。

「遅いぞ篠原」

「いやすぐに来ただろ。何の用だよ」

「さっきさ、篠原に用があるって声かけられたんだよ」

「用?誰に」

「高村先輩」

「は?嘘だろ」

「んな嘘ついて何になるんだよ。マジだよマジ」

嘘つき呼ばわりされたクラスメートは不服そうに眉を顰めた。蒼は信じられないとばかりに目を見開く。このタイミングで呼び出されるとは。蒼は朝の玄関先での出来事を思い出す。てっきり勘違いだと思い込んでいたが、高村は本当に蒼を見ていたのだろうか。後ろの女子ではなく。

「…高村先輩何だって?」

「お前に凄く大事な話があるから、体育館裏まで来るように伝えてくれってさ。さっきまで先輩廊下にいたんだよ」

「だからこの辺が騒がしかったのか」

「そうそう。で、篠原。先輩相手に何やらかしたんだよ」

クラスメートが疑いの目で見てくるので慌てて否定する。

「何もしてねえよ」

「何もしてない奴が面識のない先輩に呼び出されないだろ」

蒼は言葉に詰まった。実は祖父のやってる喫茶店の常連が高村だとは言えない。下手に漏らしたら高村目当ての客が一気に増えそうだし、ガヤガヤと騒がしくなったら今の雰囲気を気に入っている客が離れてしまう可能性があった。まあ黙っていた理由はそれだけではないけれど。

「何したんだよ」としつこく聞いてくるクラスメートを「何もしてない」の一点張りで振り払うと、妙に緊張しながら体育館裏に行くためまずは玄関に向かった。

態々学校で呼び出すなんて、一体何の用なんだろうと蒼は内心怯えながら重い足取りで玄関を出た。蒼は人の気持ちを察するのが苦手である。知らず知らずのうちに高村の気に障ることをしてしまっていたのか。記憶を探ってみるも、機嫌を損ねる程会話したこともない。一店員と客としてのやり取りのみである。

初めて高村を接客した日、明らかに緊張していて手際も悪い蒼に嫌そうな顔をすることもなく覚えている限り普通だったと思う。水をテーブルに少し溢して平謝りする蒼に「大丈夫です」と言ってくれたことを覚えている。

(そもそも表情ほぼ変わらないから、怒ってても分からねぇな)

考えれば考えるほど答えのない迷宮に迷い込んでいる気がしてきた。本人に会えば全てはっきりするのである。考えるだけ無駄だと頭を振って気持ちを切り替えた。

(…いる)

恐る恐る体育館の角から様子を窺うと、木にもたれかかって腕を組んでいる高村の姿があった。それだけなのに絵になりすぎており、早速怖気付く。近づいたら眩しすぎて目がやられるのでは、と馬鹿なことを考えていた。

しかしここでうだうだしていても何も始まらないし、こうしている間も昼休みが減っていくのだ。まだ弁当を食べてない、腹も減っている。蒼は恐れより空腹の方が勝った。よし、と一歩足を踏み出す。砂利を踏みつける音にもたれかかっていた高村が反応し、こっちを見た。木から身体を離し腕を組んだまま姿勢良く立つ。蒼はここでやっと高村の顔をちゃんと見た。

(あ…)

それは店にいる時と同じ、何を考えているか悟らせない無表情。今の高村は学校での彼ではなく、客としての彼のようだ。蒼は学校でのキラキラフェイスの高村だったらどうしようかと身構えていたのだが、寧ろ安心した。とは言っても、緊張の度合いがマシになるだけで緊張することに変わりはない。

会話が出来る距離まで近づいた蒼はまず最初に頭を軽く下げる。

「高村先輩、遅れてすみません」

「…いや、こっちも悪い。いきなり呼び出して」

初めてのちゃんとした会話。素っ気ない話し方。やはり学校での高村ではない。普段の彼なら「ごめんね、わざわざ呼び出して」という柔らかい言い方をすると思うからだ。友人と会話している時の高村を見かけたことがあるから確かなはず。

蒼の心臓は緊張からか鼓動が早い。至近距離で見てもイケメンはイケメンだ。女子が騒ぐ理由が分かるというもの。ここで黙ってはいけない。沈黙が長ければ長いほど、碌に喋れなくなる。

「…あの、俺何か気に障ることでもしてしまいましたか?」

「…え?」

「え?」

先手必勝とばかりに切り出すと高村が意外そうな顔をした。釣られて蒼の口から素っ頓狂な声が漏れる。この反応、呼び出した理由は蒼が思っていたものではないのか。

「…気に障ることって何?」

「いえ、何となく呼び出される理由がそれしか思いつかなくて」

身に覚えがなくとも勝手に変換されてしまうのだ。過去に上級生に理不尽な目に遭った同級生を見ているせいかもしれない。高村は自分が蒼を呼び出した経緯を思い出しているのか「あー、そうか。確かに」とバツが悪そうに呟いた。

「…別に気に障ることがあったわけじゃない。今朝登校したら『星野』の店員がいる、と驚いて」

「あ、朝のあれ俺のこと見てたんですか」

「それ以外ないだろ」

「後ろの女子を見ているのかと」

「そっちの方がないわ」

面倒臭そうに吐き捨てた。朝喜んでいた女子がこの高村を見たら泣いてしまいそうで不憫に思う。段々と高村の性格が分かってきた。彼は話を続ける。

「顔と下の名前しか分からないから知っている奴はいないか、伝手という伝手を辿って、2組の田中にうちの2年の篠原蒼だとさっき教えられたんだ」

田中は蒼が所属する文芸部の部長である。何と高村は蒼の素性を必死で調べていたらしい。顔を覚えられていることも含め蒼は驚いた。ここでふと気になったことがあり、訊ねてみる。

「俺の下の名前知ってるんですか」

「オーナーやもう一人の店員さんが蒼くんと呼んでいるのを聞いた。オーナーの孫だという話も自然と耳に入ってきたんだ」

聞き耳を立てていたわけではないと高村は釘を刺した。別に一ミリも疑っていない。

「てっきり星野って名字かと思ったら、星野蒼って名前の男子は探してもいなかった」

「オーナー母方の祖父なんです」

「だから名字が…」

高村は納得したように頷いた。蒼は話の流れに身を任せていたものの、高村が何故自分を呼び出したのかという疑問は解決出来ていない。話を整理すると玄関で蒼の顔を見て星野の店員だと知り、態々人に聞いてまで蒼の素性を調べてこうして呼び出した。

(マジで分からん)

高村の目的が見えてこない。当の高村は急に黙ってしまったため、変な沈黙が流れる。これは蒼から聞き出さないといけないのか、そっちが呼び出したのだからと助けを求めるつもりで高村と目を合わせようとしたら、スススーと逸らされた。

(あれ?やっぱ怒ってる?)

密かにガーンとショックを受ける。気に障ったことはないと本人は否定したが、碌に目も合わないし要件も話してくれない。マイナスなことを考えても仕方がないだろう。

(え?何これ?さっきマシだったのにまた緊張してきたんだが?)

ただでさえ人と話すのは苦手なのに相手は先輩だ。より一層緊張してしまう。やべーと内心パニックに陥りかけていた蒼はこの気まずい状況を打破するべく、頭を回転させた。

1人アワアワしていた蒼の耳に「篠原」と呼ぶ声が届く。

(篠原…俺だ)

自分の名字すら一瞬忘れていた。ハッと我に返った蒼は地面に注がれていた視線を上げる。改めて高村と目が…合いそうで合わない。やはり微妙に逸らされている。

(あれ?目合わすの苦手なんかな)

正直蒼も苦手だが、気合いでどうにかやろうとしていた。高村が苦手とはあまり信じられない。普段の陽キャ軍団と楽しげに談笑している姿を思い出すと尚更だ。

しかし高村が名を呼んだということはいよいよ要件を話してくれるのだろう。ふと気づく、高村に初めて名字を呼ばれたことを。

(バイト中名札付けないから俺の名字を知ったのは今日だろうし)

蒼の方は当たり前のように名前を認識し呼んでいたが、高村の方はそうではない。片や人気者、片やモブの1人。高村に名前を呼んでもらうなんて仲の良い人間かクラスメート、取り巻きくらいしか経験出来ない。貴重な体験が出来たと自慢したいところだが、やはりペラペラ喋ることは出来ないと諦める。

さて遂に蒼を悩ませていた要件が高村の口から。

「……」

「……?」

明かされなかった。またも沈黙。高村は口を開け、何かを話そうとしてるがそれを声として発することはない。繰り返されること数回。気まずい空気が流れる。

「…あの」

沈黙に堪え兼ねて蒼が折れた。高村はというと助けが来た救助者みたいな目で蒼を見つめてくる。本人もこの雰囲気はきつかったらしい。作り出した張本人なのに。

何だか蒼が一肌脱がなければいけない気がしてきた。理由は知らないが高村は要件を切り出しにくいようだし。

(逆に何を言いに来たんだよ。そんなに言いたくないって)

寧ろ知りたくなくなってきた蒼は碌に使わない頭をまたフル回転させる。

(要件として可能性が高いやつを適当に上げるか)

それが奇跡的に当たれば良し、外れたらじゃあ何なんですか?と聞き返すきっかけになる。ここまでお膳立てすれば高村も話してくれる、はず。多分。

(これで駄目なら、単刀直入に聞くしかないわ)

こっちの高村はどうやら消極的な性格らしい。やれやれ、と蒼は先輩相手にも関わらず世話を焼いている気分になった。

「…口止めに来たんですか?」

「口止め」

「俺のバイト先に高村先輩が良く来てるって、周りに言わないように。違うんですか?」

1番可能性があったのがこれだ。というか蒼はこれしか思いつかなかった。渋る高村の様子を見る限り違うのだろうが、きっかけを作れれば良いのだから問題ない。

「…!」

高村はハッとし、たった今気づいたみたいな顔をした。

(これ違うな、うん)

口止めに来たわけではないらしいし、何ならそこまで考えたことすら無かったようだ。蒼が周囲に自慢したがる性格でペラペラ話した結果、店にファンや野次馬が押し寄せて困るのは高村だが。意外と警戒心が薄いみたいだ。

「口止めに来たわけじゃない。正直今の今まで考えたことすら無かった」

「今朝俺のこと認識して、こうして呼び出されたのでてっきりそうかと。あ、安心してください。誰かにベラベラ話したりしないので」

「…助かる。あの店の雰囲気気に入ってるから、騒がしい奴らが増えて店に迷惑かけるならもう行けなくなるからな」

高村はホッとしたように言った。常連なだけあって星野をかなり気に入ってくれているらしい。そしてサラッと自分のファンを騒がしい奴らと一括りにしていることに苦笑する。

「祖父の店をそこまで気に入ってくれてるなんて、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」

祖父に代わって礼を伝える。嬉しさから自然と口元が綻んだ。すると高村がカチンと固まり口元を手で覆ってしまった。

「…大丈夫ですか?」

(コクコク)

心配になって訊ねると無言で首を縦に振った。話せないほどだから大丈夫じゃないと思う、と蒼はますます不安になるが本人の言い分を信じることにした。そして流れが出てきたと、蒼は遂に切り出す。

「先輩…結局俺を呼び出した理由って何だったんですか」

「……き」

「?え?」

「連絡先、を聞きたくて…」

高村の口から放たれた言葉の意味が一瞬分からず蒼はキョトンとした。目をパチクリさせ、高村の顔を見返すと…信じられないことに耳が赤くなっているようだった。

(え?え?え?え!)

蒼はついつい高村を凝視してしまう。その反動か、見るなとばかりにジリジリと高村が後退り、蒼も遠ざかるだけ距離を縮めて行った。気づけば高村がもたれかかっていた木から数メートルほど離れてしまっている。側から見たら蒼が高村に迫っていると思われてしまう光景だ。これが学校一モテる男か、と疑わしいほどの逃げっぷりを発揮した高村に蒼は追求の手を緩めない。

「連絡先ってもしかしてなくても俺のですかね」

「…」

「沈黙は肯定と受け取りますよ」

それで良いです、とばかりに高村は何も言わない。代わりに蒼が口を開く。

「俺と友人になりたいってことですか」

すると首を振ることで意思表示をしていた高村が顔を上げた。大事なことは自分の口から告げなければ、という堂々とした面持ちであり蒼の身体に無意識に緊張が走る。

「友人になりたい、という意味も含めて仲良くなりたいとは思ってる」

堂々としていたのは見かけだけで、物凄く遠回しな言い方で告げてきた。つまり…。

「どういう意味です?」

「…え?伝わってない?」

「すみません、ちょっと」

申し訳なさそうに伝えるとマジかよ、と高村の顔が驚愕に染まる。目元に手を当て徐に上を向くと、はーーーっと深く息を吐いた。それで気分を落ち着かせたのか、再び蒼と顔を合わせる。

「…初めて篠原を見た時、何か危なっかしい奴だなと思って。でも一生懸命なのは伝わってくるし失敗したら真剣に謝って、楽しそうに仕事してるから妙に気になって、無意識に目で追うようになった」

「はあ…」

「かといって、客と店員の立場からどう仲良くなれば良いかさっぱり分からないし、連絡先なんてとてもじゃないけど聞く勇気がなかった」

「自分から連絡先聞いたことないんですか」

「向こうから寄ってくるから、自分から聞く必要が無かったんだよ」

流石イケメン、と蒼は心の中で拍手を送った。レベルが違いすぎて妬みすら湧いてこない。

「で、ウジウジ悩んでたら1ヶ月経って、今日登校したら同じ高校だって分かったんだが…気づかなかった俺はもしかしなくても馬鹿なのか?」

真剣な顔で聞かれても返答に困る。が、蒼の意見を聞きたがってるので自分なりに言葉を選んで答えた。

「馬鹿ではなく、色々抜けてるだけかと」

「フォローしてるのか微妙なんだが」

蒼の答えが不服だったようだ。今までのことを振り返ると抜けてると評されても仕方ないと思う。本人に自覚はなさそうだけど。

と、話が少し逸れてしまったが結局高村の話を総合すると。

(そういうこと?17年間一度もされたことがなかった俺の初告白の相手が高村先輩…)

現実味が無さすぎて信じられないが、紛うことなき現実である。事実として自分の中で受け入れると、急に恥ずかしくなってきた。照れ隠しなのか、誤魔化すために余計なことを口走る。

「…先輩って趣味悪いですね」

「あ?」

「ごめんなさい今のなしで」

ふと口を衝いてしまった言葉が気に障ったのか、高村が凄んでくる。あまりの迫力に咄嗟に謝罪した。しかし本心である。だって蒼の知る限り高村の知り合いや取り巻きは皆レベルが高い。彼らに囲まれているのに、蒼が気になるとは。

(偶には平凡なものが目に留まるとか、そういうやつかな)

それならば分からなくはない。が、蒼の心を読んだのか高村は鋭い目つきで釘を刺してくる。

「言っとくけど、偶々とか気の迷いじゃないからな?本気」

「本気」

鸚鵡返しをすると満足したように笑った。至近距離の微笑みをもろに浴びた蒼はおもっきり顔を背ける。心臓がバクバクしている。

(あっぶね、別の扉開くかと思った)

ギリギリセーフなのか微妙なところである。どうにか落ち着きを取り戻した蒼がゆっくりと振り向くと、視界には高村の端正な顔が。

(ちっか!)

思わず距離を取ろうとしたらガシッと腕を掴まれた。

「で、ここから大事な話なんだけど。俺は篠原に今すぐ返事して欲しいわけじゃない。取り敢えず連絡先交換して、友達から始めたいと思ってる」

「友達から」

気になったところを繰り返すと高村が意地悪く笑う。

「押しまくれば、そのうち落ちてくれるんじゃないかと期待してる」

「俺そんなにチョロくないです」

正直過ぎる高村に蒼はすかさず反論する。もうギャップがとか、キャラがとか、そういったことは些細な問題な気がしてきた。

(おかしい、さっきはめちゃくちゃヘタレだったのに急に立場が逆転してる)

ここぞという時に攻めるという戦い方。油断し切っていた蒼には効果的だった。本気を出したグイグイくるイケメンに隠キャが勝てるわけが無い。蒼はすぐに折れた。

「…連絡先の交換、します」

「良かった、じゃあスマホ」

「あ、教室に置いてきました」

「…」

高村は仕方ないな、と眉を下げると「教室戻るか」と言ったので同意した。このまま教室行ったら騒ぎになると蒼が言うと「別に良いよ、隠したいわけじゃ無いし」とさらりと告げてくるのでほとほと反応に困ってしまった。

高村の圧に負けて友達から、という申し出に頷いてしまったが本当に良かったのだろうか。自分が肉食獣にロックオンされた草食動物になった気分になるのは、果たして気のせいなのか。自問自答を繰り返すも、後悔しているのかと問われれば答えは否だ。

蒼は高村の為人を良く知らないので、当然友人としての好意もましてやそれ以外の好意も今は抱いていない。

(俺、先輩のこと好きになったりするのかな。うーん、分からん)

蒼はそんなことを考えながら、付いてきているか振り返って確認してくる高村の隣に並んで歩く。

「ところで先輩、結局どっちが素なんです」

「こっち」

「やっぱり。疲れません?普段あんなにキラキラしてて」

「昔からだから慣れたわ。まあ篠原の前だとこっちでいれるから、凄く気が楽」

「…」

「ん?何か耳赤」

「気のせいです」

蒼は歩みを進め、ずんずんと先を歩いて行った。