真司の心を深く傷つけた。きっとナイフで抉るように。

 僕、羽鳥波瑠(はとりはる)と真司、野間真司(のましんじ)は小学校からの友達で、一番仲がよかった。六年間の内、三度同じクラスになって。そもそもが大きな規模の小学校ではなかったから三クラスしかなくて、みんな仲が良かった。
 そして中学進学は道を違えることになって、僕は私立の中学、真司は公立の、卒業生のほとんどが通う近所の中学へ進んだ。
 それでも僕と真司は、平日は部活動や僕の通学時間が理由で会うことはできなかったものの週末は一緒に遊んでいた。中学一年生なんて小学校の延長のようなもので、互いの家に行ってお菓子を食べながらゲームしたり漫画を読んだり、これまでと変わらない僕たちだった。
 それが。中学二年生になってすぐの頃。あの事件が起きた。
 僕の家は僕と両親と父方の祖母の五人が同居していて、その祖母がお金を盗まれたと言い出した。
 ちょうど年金支給の日だったらしく銀行で下ろしてきたと言う。しかし盗まれたと言っても、僕も母も家にいて泥棒が入る隙はどう考えてもない。気が付かないうちに祖母の部屋に入ってお金の入った封筒を盗んでいったなんて……。
 どこかにしまって、その場所を忘れてしまったのではないかと僕も母も言ったが祖母は盗まれたのだと言い張って。挙句の果ては僕の母が盗んだのだろうと。母と祖母はそう仲が良いわけじゃない。母もそれにはキレて、まだ仕事中だった父を会社から呼び戻し事が大きくなっていった。
 家族で家中探し回っても封筒は出てこない。ほら見ろ、梨沙子(りさこ)さんが盗んだんだと祖母は母に詰め寄り。
 そして追い詰められたのだろう母はとんでもないことを言ったのだ。
「真司君が盗んでいったのよ!」
 場が静まり返る。
「私じゃない、波瑠でもない、もちろんお義母さんでもない、そしたらさっきまでうちで遊んでいた真司君しかいないじゃない!」
 タイミングが悪いとしか言いようがない。確かに真司は先程までうちにいて僕と僕の部屋でテレビゲームをして遊んだ。だけど。
 違うと僕は言った。真司がそんなことをするはずない。何度うちに遊びに来たと思ってるんだ。今までそんなこと一度もなかったのに。絶対ない。ありえない。真司がそんな人間なら僕は友達になってない。
「波瑠、真司君をここに呼んで! 本当のことを言うまで帰さないわよ」
 どんなになだめても母は真司を呼べの一点張りで父が根負けして僕に電話をさせ、真司が呼ばれた。
 真司はお金のことを話したのだろう、一緒に真司のお母さんも来た。多分仕事の途中で来たのだと思う。会社の制服のようなものを着ていた。
 当然、真司は盗んでないと言い切り。ずっと一緒にいた僕も真司は違うと言ったが、母は真司が盗ったんだと、なぜ嘘をつくのかと責めて。
 真司もやってないことを認めるはずもなく話は平行線をたどり、母が警察を呼ぶと言い出した。それには父も呆れたようで、いいかげんにしろと母を叱りつけた。なくなったのはたかだか数万円で真司君が犯人だという証拠もない、みっともないことをするなと。すると母は、あなたは誰の味方をするのかと泣き出してどうにも収まりがつかなくなって。
「弁償いたします。この度はご迷惑をおかけしました」
 玄関先で真司のお母さんが頭を下げた。真司も僕もぎょっとなって。そんなことないのに。弁償なんて、頭を下げる必要なんてないのに。
「俺、盗ってないよ!」
 真司はお母さんの腕を掴んで叫んだ。
 わかってる。真司は盗ってない。
「真司君、あなたうちで遊んでいる時、お手洗いに行ったでしょう? その時よね? お義母さんが庭いじりをしている時、お義母さんの部屋に入って封筒を盗っていったのよね?」
 勝ち誇ったように言う母。祖母の部屋から離れたところにトイレも僕の部屋もある。なのに。
「そんなこと真司がするわけない!」
「波瑠は黙って。真司君のお父さんはアル中で亡くなってるの、野間さんは真司君を一人で育てるために昼も夜も働いて真司君の躾もままならないの。だから真司君はやっていいことと悪いことが分からないのよ。人のものを盗ってはいけないということがわからないの」
 僕は母が何を言っているのかわからなかった。この人は頭がおかしくなったのだと子供心に思って。
「そうでしょう? 野間さん、真司君をほったらかしだったのよね?」
 真司のお母さんはうつむき、明らかに真司の顔に怒りが走った。
 母一人子一人の家だと僕も知ってる。だけど、そのせいで真司が分別のつかない人間だなんてことはないし、真司のお母さんも明るく優しい人で僕は大好きだった。
 お父さんがアルコール依存症がきっかけで亡くなったことは今は何の関係もないし、それがまるで悪いことのように、そのせいで真司が盗んだのだと言うのはおかしい。
「母さんは何も悪くないし、金を盗った盗らないに何の関係もないだろ! あんたおかしいよ」
 真司が激昂するのは当たり前で。母の言葉は酷すぎだ。
「ほらみなさい、きちんとした言葉遣いもできないのね、真司君」
「このクソババアが! 勝手なことを言うな!」
 拳を握りしめた真司の顔は憎悪に満ちていて僕は心臓が止まりそうだった。これ以上真司を怒らせたくない。そんな姿を見たくない。これ以上母に何も言わせたくない。これ以上何かを言えば。
「真司」
 と、真司の拳に触れたお母さんが真司の前に立ち。
「私は息子を信じています。ですがお騒がせしたことのお詫びとして、お母様がなくされた分は私の方で後日お持ちいたします。この度は申し訳ございませんでした」
 再び深々と頭を下げ、真司を連れて玄関を出ていった。
 これが真司と僕の最後で。
 真司は僕を一切見なかった。