真司より少し遅れてシャワー室に入るとどう見まわしても人の気配がなく。いくつも並ぶシャワーブースからは水の音が少しもしなかった。つまりは真司はいないということで。
 何十分も遅れて後を追ったわけでもないのにシャワー室にいないとは。川崎がすれ違ったんだからここには来たのだろう。ということはとっくにシャワーを終わって……って? その後どこに行ったのだろう。僕とはすれ違わなかったから部屋には戻ってないはずで。でもどんなスピードでシャワーを浴びたら……五分や十分で終わるものだろうか。
 そういう僕はたくさんの疑問符を頭に張り付けながらも急ぐことなくのんびりシャワーを浴びてのんびり髪を乾かして。
 ってことは全然なくて!
 シャワブースに入った途端、自分は何をやってるんだと、いや、シャワーを浴びようとしてるんだけども、何でシャワーをこんな昼下がりから浴びようとしてるのかと言えば。
 ぶわっと、顔に熱が広がって。誰も見てないのに、両手で顔を隠して、熱のせいかくらくらして、立っていられなくてしゃがみこんで。
 セ、セックスを、するため、に、僕は今。
 ほんっ、とに僕はこれから真司と……するのか。だから体を綺麗にして、じゅ、準備、を……。ダメだ顔から熱が引かない。水を浴びようか。いや、いきなり水なんて風邪を引く。湯の温度を低くして……うん、落ち着け……。
 男同士のセックスはどうやるのか、知らないわけじゃない。真司のことが好きだと自覚した時、どうしたらいいのか少しは調べてみた。だから後ろを解しておかないといけないということはわかっている。自分ですら今日まで指で触れたことがないところを真司に触れさせることになる。だから少しは僕の方で……と頭からぬるい湯をかぶりながら尻に手を伸ばして指先で窄みを探る。
 ……硬い。窄みは指の侵入を拒んで中へ入っていかない。そうなると人は何もわからなくてもどうにかして突破しようと本能が働くらしい。……窄みのまわりをゆっくりさすったり押したりして柔らかくしようと。
「ん……」
 やればできるらしい。指先が少しだけ入ると、何とも言えない感覚が走る。快感ではなくて違和感に近い。でもここに真司のが入っていくのだと思うと小さな震えが来て前の方がむずむずしてきた。いやいやいや、待て待て。一人で欲情してどうするんだ、しかもこんなところで……こ、この辺でやめておいた方がいいかもしれない。
 僕はガシガシと髪を洗い、体もボディシャンプーで泡塗れにして雑念?を洗い流した。
 ……というわけで結局三十分ほど時間が経って、僕はシャワー室から部屋に戻ってきた。
「あれ……?」
 部屋に真司はいなくて。随分待たせたからもう戻ってきていると思ったのだけど。
 風呂道具をクローゼットにしまいベッドの縁に座る、も何だか落ち着かなくて、すぐさま机の椅子に座り直した。だって、セックスを待ってます、と思われはしないかと。いつもベッドの縁に座ってるのに今はそれがいやらしく思えて。部屋が狭いから座るとしたら机の椅子かベッドの縁の二択しかないのに。どの部屋だってそう。いやいや、意識しすぎだって。でもこれからするのは間違いなくて……真司、何でもいいからとりあえずへ帰ってきて。心臓がどくどく鳴ってて口から出てきそうだ。
「波瑠、ごめんっ」
 ばん、と勢いよくドアが開いて、真司が帰ってきた。心なしか息が荒い気がする。興奮してるとかじゃなくて、運動のせいで……走ってきた?
「……真司」
 僕は動悸のせいか小さな声しか出なくて。
「どうした? 具合が悪い?」
 それをおかしいと思う真司は当然だ。
「ううん、ちょっとドキドキがひどくて」
 笑ってみたつもりだけど、ちゃんと笑えただろうか。
「……そか、ごめん、一人にして」
 そういう真司の髪からは水滴がたまにぽたりと落ちていて。
「髪、乾かしてないの?」
 それどころか、まるでシャワー浴びたてのような。
 それに真司の手には風呂道具の他に小さな半透明のレジ袋がある。
「うん、急いで帰ってきたから」
「シャワー室から、だよね?」
 念のため確認をする。僕より先に部屋を出て、そしてシャワー室には姿がなくて、なのに僕より後に部屋に戻ってきたという不思議。
「えっと……直前はそう。シャワー室から戻ってきた」
 うん?
「買い物に行ってからシャワー行ったんだ」
 買い物を先に……なるほどそういうことか。順番が逆だったわけだ。
「俺、なんにも持ってなかったから」
 うん?
「……ゴムとか、ローションとか……」
 あ……。
「ご、ごめん、まかせきりで」
 そういうことに全然気が回ってなかった。必要なもの、だ。真司は冷静だ。やっぱりしっかりしてる。
「いや、別に俺がそうしたかったし、一緒に行くのもねえよなと思ってさ……」
 二人で使うものだから一緒に行くべきだとは思うけどやっぱりそれは少し気恥ずかしい。近くにドラッグストアがあって、僕たち生徒の御用達の一つだ。薬の他に生活雑貨やちょっとした食料品も売ってるお店。仮にそこに真司が行ったのだとしたら誰かうちの生徒と会う……わないか。帰省中でほとんどいないし何より制服を着ているわけじゃない。でもまあ違法でも何でもない。何を買おうとその人の自由だ。それがたとえお菓子だろうとパンツだろうと、コンドームだろうと。最低限のマナーだろうし、ゴムなんて。でも二人雁首揃えて売り場なりレジなりに立てば少し見方が変わる。要するにこいつら二人で使うんだなってその先が見えてしまうわけで。……真司が一人で行ってくれたのはありがたい。次があるならその時は僕が。
「うん、ありがとう」
 真司は机の上に風呂道具とレジ袋を置くとドアへ向かい、鍵をかちゃりと掛けた。
 親しき中にも礼儀あり、というかノックをせずに突然ドアを開ける人はいないが、部屋を間違えたとか、至急の用事だとか、何があるかわからない。だから施錠は当然で、これまでも、真司への奉仕の際もそうしてきた。施錠の音に一瞬体がすくんだけど、違う、もうそうじゃないから。
「波瑠、いい?」
「うん」
 こくりと頷くと真司に手を引かれ、椅子の後ろにあるベッドにそっと横たえられた。覆いかぶさるように僕を跨いだ真司の顔が目の前にあって、心臓が今以上にがんがんと胸を打つ。僕はこれから真司に抱かれる、真司とセックスするのだ。
 ゆっくりと顔に影を作りながら真司の唇が僕のそれに近付いて重なる。目を閉じて甘受した啄むように繰り返す真司のキスは優しくてあたたかくて、僕も同じように返したいと後を追う。
「ん……っん……」
 唇を重ねるたびにかすかな水音が耳を侵し、キスが深くなっていく。息をするのを忘れそうになるほど互いを貪り合う。少しも隙がないように、何一つ零さないように唇を重ねてどちらからともなく舌を絡めて。
 真司のことが好きだ。だから。
 深く、もっと深く、好きでいっぱいになった僕を知ってほしいと思う。
 真司を隣に引き寄せた。
「真司がもっと欲しい。真司にめちゃくちゃにされたい」
 狭い一人用のベッドの上で唇が触れ合いそうな距離で、吐息は熱を持って。
 酒を飲んで酔ったわけでもないのに普段なら絶対言わないような言葉が口をつく。周りから何もかもがなくなって僕には真司しかなくて心臓の音も忘れるほどに真司しか見えなくて。
「波瑠……」
 優しい眼差しながらも真司は眼を見開いた。僕だってそんな激しい感情が自分の中にあったなんて思いもしなかった。
「嬉しいけど、そんなこと言われたら歯止めがきかなくなる」
 真司は少し困ったように小さく笑う。
「いいよ、それでもいい」
 真司に溶かされたい。ドロドロに溶けて真司と一つになりたい。好きだから。命令や強制なんかじゃない、僕が望むことだ。
「大事にしたいんだよ。優しくしたい」
 そっと頬に触れてくれる指先は言葉の通り優しい。
「だからその気持ちだけもらっとく。でも波瑠の暴走はいつでも受け止めるから」
「うん」
 僕の暴走か……僕が真司をめちゃくちゃに溶かす、なんてこともそのうちあったりするのかもしれない。楽しそうだ。
「ふふ」
 思わず顔と声に出てしまって真司が怪訝そうに見る。
「何かたくらんでる?」
「内緒」
 その時、スマホが震えた。この振動の仕方は僕のじゃない。
「出ないの?」
 しかし僕にま跨ったまま真司は動こうとしない。手元にスマホはないのに。
「だって」
 真司は頬を膨らませた。わかるというか、うん、このままもっとキスしてたいって僕も思うけど……。
「僕はここにいるから、ずっと真司のそばにいるから」
 なんて、おこがましいことを。でも今日だけじゃないから。真司の甘い罰を受けるために。
 今という時間は今だけだとでも言いそうな顔をして真司はベッドからしぶしぶ降りると、机の上にあったスマホを手に取った。
「……はい」
 スマホの画面には電話を掛けてきた人の名前なりが表示されているはずだから、その隠そうとしない不機嫌な声からすると親しい人なのかもしれない。
「……うん、できたよ。心配しなくていいから」
 真司は部屋を出ていくことなく会話を続けた。僕に聞こえてしまっているけどいいのだろうか。
「まあ、それは感謝してるし悪かったと思ってるよ」
 そう送話口に言いながらベッドの縁に座ると、
「もうないよ。そのうちちゃんと話すから、今日はもうこれで」
 電話を早く切りたいのか、もどかしそうな表情で僕を見る。重大な用事だとかそういうことではなかったのかな。
 真司はもう一度お礼を言うと、じゃあねと電話を切った。
「母さんだった」
 え、お母さん……。
 僕はその言葉にベッドから体を起こした。 
 明るくて優しかった真司のお母さんの苦痛に満ちた表情が最後だった。あの日から会うことはなかった。僕は真司のお母さんにも謝らなければならない。ごめんなさいと頭を下げないといけない。ひどく傷つけたままだ。ありもしない罪をなすりつけて頭を下げさせて。
「……用事はちゃんと済んだの?」
 わかっていたら、電話口ではあるものの少しでも謝罪したかった。僕はまだ許されていない。のうのうと真司のぬくもりに縋っていいわけじゃなかった。
「こっちに帰って来る時さ、同室の奴と喧嘩してしまって気になるから帰るって言って家を出てきたんだ。だから、その子に謝れたのか、っていう電話だった」
 ……お母さんに言った真司の言葉。無意識にでも僕のことを気にしてくれていたのだろうか。
「仲直りできてよかったね、ってさ。でもまだ同室者がお前だって言ってないんだよ。今度ちゃんと言うから。隠す必要もないし言いたい」
「うん」
 調子に乗っていた。僕は咎人なのに。隠されるようなことをしていたのに。
「明日目が覚めたら夢だったってこともあるかもしれないね」
 思わずぽつりと口をつく。
「波瑠……」
 真司を疑ってるわけじゃない。僕が僕自身を許せないだけだ。真司に優しくされたというだけの話だ。
「母さんのこと、気にしてる?」
「僕は謝れてない」
 これは絶対だ。真司が許してくれてることと真司のお母さんへの謝罪は別で。
「本当にもう母さんは気にしてないんだよ、だから波瑠も気にしないでほしい。うちに来ればわかる。だからそのうち一緒に行こう」
「うん、ありがとう」
 必ず。来てもいいと言ってくれるのなら。
「よし、この話は終わろう。でもって、なんかエロい空気、なくなっちゃったな」
 話を切り上げた真司はニヤニヤと僕を見る。
「え……あ……ごめん、僕が……」
 確かに仕切り直し、というわけにはいかないほどに空気が落ち着いてしまった。さっきの濃厚なキスへも熱へも戻れそうもない。でも、ないがしろにできないことだったから。
「いいよ、母さんの電話が悪いし俺ががっついただけだ。時間はたくさんある。今日の夜も明日も明後日もずっと。急ぐことないよな」
 真司は投げ出していた僕の手をぎゅっと握った。……それは優しくも力強くて。
「うん」
 粉々になってしまっていた僕たちの関係は今、再び形を作り始めた。昨日までよりも、あのキラキラとしていた日々よりも、もっと近くて、熱と冷静を抱いて。
 だから僕は精一杯生きようと思う。真司を悲しませないために。
 大切な人の笑顔をいつまでも見ていたいから。その隣で僕も笑っていたいから。
「ありがとう、真司。大好きだよ」