もうすぐ昼食時間だから少なめにしておこうとサンドイッチ一箱とレーズンパンをもらって(とは言え結構な量だ)、ついでに自販機でお茶を買ってもらって。
腹が満たされてもうそれでいいんじゃないかと思ったが守矢さんの目はごまかせないようで、話を聞くよと言われた。昨日より酷い顔をしているねと。
僕は真司に昨日の晩に守矢さんに何をしてもらったかを話してしまったことをまず謝罪し、部屋に戻った僕に真司が何を言ったかを話した。そこを言わないと僕が一番言いたかった僕なりの結論をわかってもらえないと思ったし、今更守矢さんに隠すのもここまで気遣ってもらっているのに狡い気がした。守矢さんの気分を害する内容も含んでいたけど。
「野間は困った奴だね」
「……」
僕の話を聞いて守矢さんはのんびりと言った。
「勉強はできても自分のことは一ミリもわかってないんだな」
もっと怒ったり激しく真司を罵ったりするのかと思えば、守矢さんの反応はとても冷静だった。むしろ余裕というか、その口調は真司を子供扱いするような。実際僕たちは守矢さんより年下でこの前まで中学生の子供だったけれど。
「俺は何を言われても構わないけど、羽鳥君は辛かったね」
守矢さんに肯定してもらえるのも、川崎がまたご飯に行こうと言ってくれるのもとても嬉しいけど、真司のたったひとことが僕を一人にする。目の前に跪いていてもどこまでも一人ぼっちで。
「何のために諦めて君を送り出したと思ってるんだろうね、野間は」
?
「羽鳥君はお腹一杯になった?」
「え? はい……」
「もしかしたらお昼も食いっぱぐれるかもしれないから食べ足りないなら今食べていって」
守矢さんはパン屋さんの袋を持ち上げた。多めに買ったというのは嘘ではなくて、まだ袋の中にはいくつもパンが入っていた。僕にわけてくれた分もいれると相当な量だったのだけど、昼前に全部食べるつもりだったとか……はないよな。僕じゃない誰かと一緒に食べる分だったってこともあるし。それならいただいて申し訳なく思う。当然僕は予定外だったのだから。それにしても、食いっぱぐれるってどういうことだろう。
……と。
君たちの部屋へ連れていってと守矢さんが言ったのはその直後で。
いいとも嫌とも僕は言えず、背中を押されるままにドアの前まで守矢さんと来た。
野間はいるはずだと守矢さんが言った通り、ドアノブはすんなり回って。いなければいいと少し思っていた僕は腹をくくってドアを開けた。
「波瑠っ、おま……え」
ドアをノックせずに開けるのはその部屋の住人だけだ。僕だと思った真司は振り向き様に乱暴に僕の名前を呼んだが、すぐに固まった。後ろに守矢さんがいたから。
「入らせてもらっていいかな?」
守矢さんの爽やかな声に真司は苦虫を噛んだような顔でどうぞと返事した。三年生に対して拒否はできない。絶対に逆らうななんてルールがあるわけじゃないけど自然とそうなってしまう。三年生はやっぱり僕たち一年生から見たら貫禄があって大人だ。滲み出る無言のプレッシャーみたいなものがある、と思う。
守矢さんを先に部屋に入れて僕が後ろに続く。居たたまれないのは僕だけなのか、真司も連れて行ってと言った守矢さんも落ち着いているように見える。僕に守矢さんがしてくれたこと、真司が僕に言ったこと、それぞれ知っていて顔を突き合わせている。僕から何かを言い出すなんてできない。そもそも守矢さんの訪問の理由がわかってないし。
「守矢さん、波瑠の椅子でいいですか? 俺は自分の椅子に座りますので」
「構わないよ。ありがとう」
守矢さんの前で僕のことを波瑠と呼ぶのか、と思ったけど昨日すでにそう呼んだのを聞かれていたからもう隠す必要はないということだ。そう言えばドアを開けた時も聞かれたし。どれも真司には不本意だっただろうけど。
椅子を出して座ってもらうのはいいんだけど、僕はというと自分のベッドの縁に座るしかなくて。どこに身を置いたらいいかわからなかったから自動的にベッドになってよかったかもしれない。二人は膝を突き合わせるほどの距離ではないけど、狭い部屋だからそれに近い感じで相対している。……何が始まるのかわからなくて怖い。
「確認しに来たんだ、野間に」
いきなり守矢さんは斬り込むと。
「何を、ですか」
真司は気後れせずに堂々と返す。さすが学年一位、か。いや、順番なんて関係ないか、真司はどんな時でも胸を張ってた。
「羽鳥君のこと、どう思ってるのか」
「……なぜですか? 俺がどう思おうと守矢さんには関係ないと思います」
うわ、そんな言い方……。真司は一歩も引かない。引かないどころか前に出てる。
「あるよ、俺は羽鳥君が好きだからこの子を傷付ける人間は排除したいんだよ」
「俺は相部屋なので俺が仮にそうだとしても排除も何もないと思いますが」
結構爆弾発言のように聞こえた守矢さんの言葉にも顔色一つ変えずに反論する。……真司にはどうでもいいことなのかもしれないけど。
「部屋替え、できるよ。生徒会長の俺の口添えと一人、もしくは両人の申し出で理由が妥当と認められれば特例として一人部屋にできる。学校側が勝手に決めた部屋割りだからどうしても合わないことだってあるからね」
……そうなんだ。本当にできるんだ。
「野間にとって、羽鳥君はペット?」
突然の言葉にドキリと胸が鳴る。
しかし守矢さんの問いに真司は無言だった。答えを積極的に聞きたいとは思ってないけど、無言の返事は三年生相手に僕にはできない。
「オナホ?」
どぎつい言葉に耳を塞ぎたくなる。守矢さんでもそんなことを言うんだ……。
「壊れない玩具?」
……。
「それとも壊れていくのを見たいの?」
それは、あるのかもしれない。
「もしくは、奴隷?」
今度こそ答えるかもしれない。当然だと、それがどうしたのかと守矢さんにも平然と言い切るのかもしれない。
しかし真司は口を開かなかった。下を向くことなく上を向くことなく、守矢さんを見ているようで少し外れたどこかを見ている。じっと真司の顔を見ていた守矢さんは視線を僕に向けた。
「ふうん、そう。羽鳥君には興味ないってことだね。じゃあ俺、羽鳥君を今からここで抱くよ」
えっ? 今何て言った?
「好きな人と触れ合いたいと思うのは自然で、ここは羽鳥君の部屋だしね。元気のない羽鳥君につけこむ形で慰めたけど優しい羽鳥君は受け入れてくれた。こうやって何度も触れ合えばそのうち羽鳥君も俺を好きになってくれる」
……え。
真司の言葉を待つ気はないようで、そう言いながら椅子から立ち上がって、ベッドの縁に座っている僕の前に立つ。
「羽鳥君」
膝からベッドに上がった守矢さんは、、僕をとんと僕の肩を軽く押しベッドの上に倒すと、覆いかぶさって僕の首筋に舌を這わせた。
「あ……っ、まっ……ぅん……」
言葉より早く快感が走り吐息が漏れる。
いきなり何で。真司が目の前にいるというのに。どうして守矢さんは。
力が抜けてしまう前に抗おうと守矢さんの胸を両手で押し返すも逆に掴まれてしまい、片方はベッドに縫い付けられ、もう片方は指を舐められた。
「ぅ……ん……もり、やさ……や、だ……」
とっさに出た自分の言葉に驚く。嫌?…………嫌だ。身体を這う舌も肌を撫でる指も守矢さんは相変わらず優しい。でも真司の前でこんなことしたくない。僕は。
「あ……ぁ……ぅん……んっ……っ……やめ……て……っ」
気持ち良くてでも嫌で。快感と嫌悪が混じって身体がばらばらになりそうだった。守矢さんは好きだけど、僕は真司が一番で、触れていたいのは真司で。なのに僕は守矢さんに抱きしめてもらった狡い奴だけど。
嫌だ。
「あ……ああっ……んぅ……」
シャツをたくし上げられ胸の突起を摘まれると甘ったれた声が出る。身体が守矢さんの指を待ってざわついて、熱がこもって下半身が硬くなっていく。
待って。違う、僕は。
「しん、じ……」
身体は肌を滑る守矢さんの甘い指先に酔いながらも、心は悔しくて悲しくて目の端に涙が溜まる。
嫌だ、見ないで。部屋から出ていって。……いや、助けて、真司。
守矢さんの手が僕のベルトのバックルにかかる。確かに僕は勃起していたのだけどそれでも。
「……めろ」
その時真司の小さな声が聞こえた。だけど守矢さんは寛げたところから下着の中にするりと手を入れて。
「ん……い……ああ……っ……」
背中を走る快感に身体が反れた時、涙が流れて落ちた。真司がちょうど守矢さんの腕で僕からは見えない。
「ぅん……あ……ふ……」
直にペニスを緩く擦られ硬さを増していく。
このまま快楽に溺れてしまえばいいのだろうか。何も考えずに従順に乱れてしまえば忘れられるのだろうか。真司のことを。もう無理なのだと。もう届かないのだと。
「やめてくれ、頼むから!」
振り絞ったような、掠れた真司の声が部屋に響いた。
「……波瑠は俺のものだから」
初めて守矢さんは一切の動きを止めた。遮るように僕の横にあった守矢さんの腕も離れて僕の視線が自由になった時、そこには真司の土下座した姿があった。
何、それ……。
その意味が僕には理解できなくて悲しくなって。そこまでして僕を足元に置いておきたいのか。鼻先がつんと痛くなって、先ほどとは違う雫が目にじわりと滲む。
守矢さんはベッドの縁に座り直した。
「……野間はそんなに玩具を取られたのが悔しいのか。他を探せばいくらでもいるだろ、野間好みの玩具。別に羽鳥君である必要はない。羽鳥君にお前がやったことは誰にも言わないから気にせず他を当たれよ」
守矢さんの冷えた声はこれまで聞いたことのないもので。僕は真司を見たくなくて背中を向けた。
「違う。波瑠でなければ駄目だ」
……復讐というのならそうだろう。僕以外は何の意味もない。
「波瑠は俺の」
「モノじゃないだろ、羽鳥君は。お前と羽鳥君の関係に踏み込むつもりはないが、羽鳥君が壊れていく姿は見てられないんだよ。お前は楽しくても」
聞きたくなくて、両手で耳を覆う。
「楽しいわけじゃない」
「それ以上か」
「違う。俺のために疲弊していく波瑠が……いとおしくて。俺だけのものにしたいと、思って……」
それでも間近で話している二人の声は嫌でも耳に入って。
「言うことを聞く都合のいい玩具だからだろ? 四六時中自分だけを楽しませてほしいから手放したくないんだろ?」
「違う。玩具なんかじゃない。償いだと縛り付けておけば波瑠は俺から離れていかないと思って」
縛り付ける……。
「羽鳥君の気持ちは無視か」
「……俺のそばに、いてほしくて。謝りたいと思ってる波瑠にもういいと言えば終わってしまう気がして、波瑠は俺の外へ出ていって、俺のことは見向きもしなくなって」
……え。
「ちゃんと言えばいいだろ。お前の気持ちを」
「ここで最初に会ってすぐに傷付けた俺が何を言っても波瑠に届くはずがない」
「最初と気持ちが変わったのなら、顔を上げて今ここで言えばいい。言わないなら羽鳥君は連れて行く」
真司の気持ち……。
「守矢さんにも、誰にも触らせたくない。波瑠、俺のところにいて。償いなんて最初からない、お前は何も悪くない」
「って言ってるよ、羽鳥君」
守矢さんは背を向けたままの僕の頭をぽんぽんと撫でた。
……僕はどう捉えたらいいのだろう。それは僕を好きだと言ってくれてるの? それは友達として?
僕の中に少しだけあたたかい何かが生まれて、嬉しいという気持ちになったけど、僕はどうしたらいいのだろう。
「羽鳥君、この続き、俺の部屋でしてもいいんだよ?」
続き!?
僕はがばっと身を起こした。真司がどう思うかは別として、やっぱり本当に触れてほしいのは真司で、守矢さんじゃない。ごめんなさい、都合よく利用してばかりで。
「あのっ、僕は」
「うん、少し意地悪を言ってみただけ。俺は部屋に帰るよ」
そう言って僕に向かってにこっと笑うと、守矢さんは真司には目もくれずに僕たちの部屋を出ていった。
この人は本当に神様なのかもしれない。こんなにも優しくしてくれて、僕の甘えを許してくれて。
「波瑠」
二人になった部屋で真司が僕の名前を呼ぶ。
「……うん」
それはイライラした声でもなく、冷たい声でもなく、侮蔑的でもなく。
遠い昔に聞いた響きに似ていて、突然僕の目からぽたりと涙が落ちた。もうこれだけでいいのかもしれない。その先を望むのは贅沢だ。
「話がしたい」
「……うん。ここ、座って」
僕はベッドの縁に座って、まだ床で両膝をついていた真司を隣に促した。
並んで座るなんてここに来て一度もなかった。いつも僕は真司を見上げていて、真司は僕を見下ろしていた。
ようやく、視線が同じ高さになった。
腹が満たされてもうそれでいいんじゃないかと思ったが守矢さんの目はごまかせないようで、話を聞くよと言われた。昨日より酷い顔をしているねと。
僕は真司に昨日の晩に守矢さんに何をしてもらったかを話してしまったことをまず謝罪し、部屋に戻った僕に真司が何を言ったかを話した。そこを言わないと僕が一番言いたかった僕なりの結論をわかってもらえないと思ったし、今更守矢さんに隠すのもここまで気遣ってもらっているのに狡い気がした。守矢さんの気分を害する内容も含んでいたけど。
「野間は困った奴だね」
「……」
僕の話を聞いて守矢さんはのんびりと言った。
「勉強はできても自分のことは一ミリもわかってないんだな」
もっと怒ったり激しく真司を罵ったりするのかと思えば、守矢さんの反応はとても冷静だった。むしろ余裕というか、その口調は真司を子供扱いするような。実際僕たちは守矢さんより年下でこの前まで中学生の子供だったけれど。
「俺は何を言われても構わないけど、羽鳥君は辛かったね」
守矢さんに肯定してもらえるのも、川崎がまたご飯に行こうと言ってくれるのもとても嬉しいけど、真司のたったひとことが僕を一人にする。目の前に跪いていてもどこまでも一人ぼっちで。
「何のために諦めて君を送り出したと思ってるんだろうね、野間は」
?
「羽鳥君はお腹一杯になった?」
「え? はい……」
「もしかしたらお昼も食いっぱぐれるかもしれないから食べ足りないなら今食べていって」
守矢さんはパン屋さんの袋を持ち上げた。多めに買ったというのは嘘ではなくて、まだ袋の中にはいくつもパンが入っていた。僕にわけてくれた分もいれると相当な量だったのだけど、昼前に全部食べるつもりだったとか……はないよな。僕じゃない誰かと一緒に食べる分だったってこともあるし。それならいただいて申し訳なく思う。当然僕は予定外だったのだから。それにしても、食いっぱぐれるってどういうことだろう。
……と。
君たちの部屋へ連れていってと守矢さんが言ったのはその直後で。
いいとも嫌とも僕は言えず、背中を押されるままにドアの前まで守矢さんと来た。
野間はいるはずだと守矢さんが言った通り、ドアノブはすんなり回って。いなければいいと少し思っていた僕は腹をくくってドアを開けた。
「波瑠っ、おま……え」
ドアをノックせずに開けるのはその部屋の住人だけだ。僕だと思った真司は振り向き様に乱暴に僕の名前を呼んだが、すぐに固まった。後ろに守矢さんがいたから。
「入らせてもらっていいかな?」
守矢さんの爽やかな声に真司は苦虫を噛んだような顔でどうぞと返事した。三年生に対して拒否はできない。絶対に逆らうななんてルールがあるわけじゃないけど自然とそうなってしまう。三年生はやっぱり僕たち一年生から見たら貫禄があって大人だ。滲み出る無言のプレッシャーみたいなものがある、と思う。
守矢さんを先に部屋に入れて僕が後ろに続く。居たたまれないのは僕だけなのか、真司も連れて行ってと言った守矢さんも落ち着いているように見える。僕に守矢さんがしてくれたこと、真司が僕に言ったこと、それぞれ知っていて顔を突き合わせている。僕から何かを言い出すなんてできない。そもそも守矢さんの訪問の理由がわかってないし。
「守矢さん、波瑠の椅子でいいですか? 俺は自分の椅子に座りますので」
「構わないよ。ありがとう」
守矢さんの前で僕のことを波瑠と呼ぶのか、と思ったけど昨日すでにそう呼んだのを聞かれていたからもう隠す必要はないということだ。そう言えばドアを開けた時も聞かれたし。どれも真司には不本意だっただろうけど。
椅子を出して座ってもらうのはいいんだけど、僕はというと自分のベッドの縁に座るしかなくて。どこに身を置いたらいいかわからなかったから自動的にベッドになってよかったかもしれない。二人は膝を突き合わせるほどの距離ではないけど、狭い部屋だからそれに近い感じで相対している。……何が始まるのかわからなくて怖い。
「確認しに来たんだ、野間に」
いきなり守矢さんは斬り込むと。
「何を、ですか」
真司は気後れせずに堂々と返す。さすが学年一位、か。いや、順番なんて関係ないか、真司はどんな時でも胸を張ってた。
「羽鳥君のこと、どう思ってるのか」
「……なぜですか? 俺がどう思おうと守矢さんには関係ないと思います」
うわ、そんな言い方……。真司は一歩も引かない。引かないどころか前に出てる。
「あるよ、俺は羽鳥君が好きだからこの子を傷付ける人間は排除したいんだよ」
「俺は相部屋なので俺が仮にそうだとしても排除も何もないと思いますが」
結構爆弾発言のように聞こえた守矢さんの言葉にも顔色一つ変えずに反論する。……真司にはどうでもいいことなのかもしれないけど。
「部屋替え、できるよ。生徒会長の俺の口添えと一人、もしくは両人の申し出で理由が妥当と認められれば特例として一人部屋にできる。学校側が勝手に決めた部屋割りだからどうしても合わないことだってあるからね」
……そうなんだ。本当にできるんだ。
「野間にとって、羽鳥君はペット?」
突然の言葉にドキリと胸が鳴る。
しかし守矢さんの問いに真司は無言だった。答えを積極的に聞きたいとは思ってないけど、無言の返事は三年生相手に僕にはできない。
「オナホ?」
どぎつい言葉に耳を塞ぎたくなる。守矢さんでもそんなことを言うんだ……。
「壊れない玩具?」
……。
「それとも壊れていくのを見たいの?」
それは、あるのかもしれない。
「もしくは、奴隷?」
今度こそ答えるかもしれない。当然だと、それがどうしたのかと守矢さんにも平然と言い切るのかもしれない。
しかし真司は口を開かなかった。下を向くことなく上を向くことなく、守矢さんを見ているようで少し外れたどこかを見ている。じっと真司の顔を見ていた守矢さんは視線を僕に向けた。
「ふうん、そう。羽鳥君には興味ないってことだね。じゃあ俺、羽鳥君を今からここで抱くよ」
えっ? 今何て言った?
「好きな人と触れ合いたいと思うのは自然で、ここは羽鳥君の部屋だしね。元気のない羽鳥君につけこむ形で慰めたけど優しい羽鳥君は受け入れてくれた。こうやって何度も触れ合えばそのうち羽鳥君も俺を好きになってくれる」
……え。
真司の言葉を待つ気はないようで、そう言いながら椅子から立ち上がって、ベッドの縁に座っている僕の前に立つ。
「羽鳥君」
膝からベッドに上がった守矢さんは、、僕をとんと僕の肩を軽く押しベッドの上に倒すと、覆いかぶさって僕の首筋に舌を這わせた。
「あ……っ、まっ……ぅん……」
言葉より早く快感が走り吐息が漏れる。
いきなり何で。真司が目の前にいるというのに。どうして守矢さんは。
力が抜けてしまう前に抗おうと守矢さんの胸を両手で押し返すも逆に掴まれてしまい、片方はベッドに縫い付けられ、もう片方は指を舐められた。
「ぅ……ん……もり、やさ……や、だ……」
とっさに出た自分の言葉に驚く。嫌?…………嫌だ。身体を這う舌も肌を撫でる指も守矢さんは相変わらず優しい。でも真司の前でこんなことしたくない。僕は。
「あ……ぁ……ぅん……んっ……っ……やめ……て……っ」
気持ち良くてでも嫌で。快感と嫌悪が混じって身体がばらばらになりそうだった。守矢さんは好きだけど、僕は真司が一番で、触れていたいのは真司で。なのに僕は守矢さんに抱きしめてもらった狡い奴だけど。
嫌だ。
「あ……ああっ……んぅ……」
シャツをたくし上げられ胸の突起を摘まれると甘ったれた声が出る。身体が守矢さんの指を待ってざわついて、熱がこもって下半身が硬くなっていく。
待って。違う、僕は。
「しん、じ……」
身体は肌を滑る守矢さんの甘い指先に酔いながらも、心は悔しくて悲しくて目の端に涙が溜まる。
嫌だ、見ないで。部屋から出ていって。……いや、助けて、真司。
守矢さんの手が僕のベルトのバックルにかかる。確かに僕は勃起していたのだけどそれでも。
「……めろ」
その時真司の小さな声が聞こえた。だけど守矢さんは寛げたところから下着の中にするりと手を入れて。
「ん……い……ああ……っ……」
背中を走る快感に身体が反れた時、涙が流れて落ちた。真司がちょうど守矢さんの腕で僕からは見えない。
「ぅん……あ……ふ……」
直にペニスを緩く擦られ硬さを増していく。
このまま快楽に溺れてしまえばいいのだろうか。何も考えずに従順に乱れてしまえば忘れられるのだろうか。真司のことを。もう無理なのだと。もう届かないのだと。
「やめてくれ、頼むから!」
振り絞ったような、掠れた真司の声が部屋に響いた。
「……波瑠は俺のものだから」
初めて守矢さんは一切の動きを止めた。遮るように僕の横にあった守矢さんの腕も離れて僕の視線が自由になった時、そこには真司の土下座した姿があった。
何、それ……。
その意味が僕には理解できなくて悲しくなって。そこまでして僕を足元に置いておきたいのか。鼻先がつんと痛くなって、先ほどとは違う雫が目にじわりと滲む。
守矢さんはベッドの縁に座り直した。
「……野間はそんなに玩具を取られたのが悔しいのか。他を探せばいくらでもいるだろ、野間好みの玩具。別に羽鳥君である必要はない。羽鳥君にお前がやったことは誰にも言わないから気にせず他を当たれよ」
守矢さんの冷えた声はこれまで聞いたことのないもので。僕は真司を見たくなくて背中を向けた。
「違う。波瑠でなければ駄目だ」
……復讐というのならそうだろう。僕以外は何の意味もない。
「波瑠は俺の」
「モノじゃないだろ、羽鳥君は。お前と羽鳥君の関係に踏み込むつもりはないが、羽鳥君が壊れていく姿は見てられないんだよ。お前は楽しくても」
聞きたくなくて、両手で耳を覆う。
「楽しいわけじゃない」
「それ以上か」
「違う。俺のために疲弊していく波瑠が……いとおしくて。俺だけのものにしたいと、思って……」
それでも間近で話している二人の声は嫌でも耳に入って。
「言うことを聞く都合のいい玩具だからだろ? 四六時中自分だけを楽しませてほしいから手放したくないんだろ?」
「違う。玩具なんかじゃない。償いだと縛り付けておけば波瑠は俺から離れていかないと思って」
縛り付ける……。
「羽鳥君の気持ちは無視か」
「……俺のそばに、いてほしくて。謝りたいと思ってる波瑠にもういいと言えば終わってしまう気がして、波瑠は俺の外へ出ていって、俺のことは見向きもしなくなって」
……え。
「ちゃんと言えばいいだろ。お前の気持ちを」
「ここで最初に会ってすぐに傷付けた俺が何を言っても波瑠に届くはずがない」
「最初と気持ちが変わったのなら、顔を上げて今ここで言えばいい。言わないなら羽鳥君は連れて行く」
真司の気持ち……。
「守矢さんにも、誰にも触らせたくない。波瑠、俺のところにいて。償いなんて最初からない、お前は何も悪くない」
「って言ってるよ、羽鳥君」
守矢さんは背を向けたままの僕の頭をぽんぽんと撫でた。
……僕はどう捉えたらいいのだろう。それは僕を好きだと言ってくれてるの? それは友達として?
僕の中に少しだけあたたかい何かが生まれて、嬉しいという気持ちになったけど、僕はどうしたらいいのだろう。
「羽鳥君、この続き、俺の部屋でしてもいいんだよ?」
続き!?
僕はがばっと身を起こした。真司がどう思うかは別として、やっぱり本当に触れてほしいのは真司で、守矢さんじゃない。ごめんなさい、都合よく利用してばかりで。
「あのっ、僕は」
「うん、少し意地悪を言ってみただけ。俺は部屋に帰るよ」
そう言って僕に向かってにこっと笑うと、守矢さんは真司には目もくれずに僕たちの部屋を出ていった。
この人は本当に神様なのかもしれない。こんなにも優しくしてくれて、僕の甘えを許してくれて。
「波瑠」
二人になった部屋で真司が僕の名前を呼ぶ。
「……うん」
それはイライラした声でもなく、冷たい声でもなく、侮蔑的でもなく。
遠い昔に聞いた響きに似ていて、突然僕の目からぽたりと涙が落ちた。もうこれだけでいいのかもしれない。その先を望むのは贅沢だ。
「話がしたい」
「……うん。ここ、座って」
僕はベッドの縁に座って、まだ床で両膝をついていた真司を隣に促した。
並んで座るなんてここに来て一度もなかった。いつも僕は真司を見上げていて、真司は僕を見下ろしていた。
ようやく、視線が同じ高さになった。