体の力を抜いて、寄りかかりたかった。何も考えずに抱きしめられたかった。
 溜まりすぎた淀を落とす術がわからなくて、他人に、守矢さんに縋ってしまった。自分で決めたことなのに関係ない人を巻き込んで。
 守矢さんの指先は優しくてあたたかくて、この人は神様なんじゃないかと自分の身勝手を棚に上げて思った。
 真司のために、真司を癒すために、僕は守矢さんに癒してもらった。守矢さんの僕を思ってくれる気持ちを利用する形で。
 食堂の朝食に間に合わない時間に目が覚め、僕は守矢さんに服を借りたまま自分の、真司のいる部屋に戻ってきた。覚悟を決めてドアを開ける。
「ただいま」
 返事は期待していない。だけど何も言わないのは自分が落ち着かないから。
 この部屋の空気は昨日と変わらず重い。軽くなった心も沼に嵌るように浸食されていく。でも、僕の戻る場所はここしかない。
 案の定背中を向けて机に向かっている真司は無言で。僕は着ていた服をすべて脱いだ。昨日言っていた明日と明後日、つまり休み二日目の今日と最終日の明日は部屋を出ずに裸で過ごせと言うから。奴隷のようで嫌だと拒否したが真司は聞き入れてくれなかった。自分を押し通して真司から無視される、いないかのように振舞われるのは何よりも嫌だ。
 裸でいると何もやる気が起きない。本を読んでも机で課題をしても滑稽にしか見えないとわかってるから。この姿だと本能的な欲求しか生まれないものなのだと、思っても仕方のないことが頭に浮かんで。寝てしまおうとベッドに横になって背中を丸めた時。
「お前、一晩中何やってたんだ」
 真司の声に僕は起き上がったけど、真司は振り返らずに口を開いていた。
「一晩中って、何もしてないよ」
「あの人の竿しゃぶらされてたんだろ? それともあれか、ケツの穴に突っ込まれてたのか」
 え?
「どういう、こと……?」
 こともなげに真司は言う。
「お前、守矢さんにしゃべったんだろ。ここで何をやらされてたのか。学校側に黙っておく見返りとして女みたいに相手させられたんだろ?」
「な……っ、そんなこと! 僕はしゃべってないよ! 真司とは幼馴染で僕が傷つけたことは話さざるを得なくなって話したけどそれ以上は話してない!」
 酷い誤解だ。酷すぎる。だから声を荒げてしまった。
「そこまで言えばお前が素っ裸でうろうろしてたのは俺がやらせてるって思うだろが!」
 つられたのか真司も声を荒げて。駄目だ。僕が冷静にならねば。僕の思い描く真司がどんどん遠くなっていく。
「守矢さんは卑怯なことはしない人だよ。真司にも昨日留めておくって言ってただろ」
「あの人を庇うんだな。女になって情がわいたか」
「違う」
「俺は退学か」
「だから違うって。話を聞いて。守矢さんは脅したり見返りを要求したりしてない。ただ僕を寝かせてくれただけだ」
「あの人はどこで寝たんだよ」
 望まない方向へ話が転がっていく。皮肉にも会話が続いて。
「……同じベッドで」
「寝たってそういう意味か」
「違う。僕を……慰めてくれた」
「は? どういうことだよ」
「……僕の身体に触れて……フェラチオをしてくれて」
「へえ、あの人そんな趣味なのか。意外だな」
「そんな下衆な言い方するな。守矢さんは僕の心を軽くしてくれるために」
「咥えてもらって嬉しかったのか。やっぱお前は男に興奮するんだな」
「ちがっ……」
 いや。事実だけを見ればそうだ。真司だから、守矢さんだから、という言い訳は通らないのかもしれない。でも二人とも僕が心を許せる人だから。
「日替わりで男連れて来てやろうか? 毎晩俺の前でそいつらとセックスしろよ。金が欲しければ、俺が撮って売ってやる」
 …………。
 僕のせい、か。真司がどんどん黒くなっていくのは、目が昏くなっていくのは。僕がここに、真司の前にいるからか。僕は間違ってた。笑い合いたいとか、負の感情を消してあげたいだとか、思い上がりでしかなかった。僕がいなければ真司はこんな言葉を口にすることはなかっただろう。僕は真司の前に存在しない方がいい。
「ごめん。真司の退学はないから大丈夫」
 守矢さんは罰したいわけじゃない。トラブルがあるなら解決したいと思ってるだけだ。
 ベッドの上で昨日脱いだ僕の下着や服がそのままになっていたからそれに着替えた。さすがに裸でもう廊下には出れない。守矢さんを心配させたくはない。
 僕が自分の机の上に置いていた財布とスマホを手に取った時に横並びの机に座っている真司はようやく僕の方を見たけど、そのまま部屋を出た。
 守矢さんの服は大きくて、当然とはいえやっぱり自分の服が体に合って落ち着く。
 軽くしてもらった気持ちもまた重くどんよりしているけど、僕は一人で立っていることができている。
 僕の存在が真司の邪魔になっている。それは理解した。じゃあ僕は最終的にどうすればいいのか。どこへ行けばいいのか。寮の部屋替えか、学校を辞めるか……この世から去る、か。
 最大限の可能性を考えればこの三つだろう。ミニマムに考えれば部屋替えだろう。でもそれで真司の心は納得するだろうか。真司との約束を守らなくても目の前からいなくなればそれは自然と反故になる。目の前にいるから怒りもするのだろうし。いい条件で学校に入れてもらえたから辞めたくはないけどそれがいい気がする。この世をっていうのはまあ究極で冗談の域だ。僕にも未練はある。転校は、できるのかな。それとも別の学校に来年受験し直しかな。金はあるから心配するなと言う、僕を新しい配偶者との住まいに住まわせることの方が面倒らしい父ならどこかアパートでも借りてくれるだろう。
 真司のそばにいたかった。
 もう戻れない。
 ここで会えて嬉しかったけど、もう。
 気が付けば一番館の玄関まで来ていた。ガラス扉の向こうに寮の門が見える。もちろん出入りを制限されているわけじゃない、門限はあるけれど、寮のルールを守っての外出は許されているし昼間は鍵はかかっていない。
 今はここにいても仕方ない。昼食時間にはまだある。朝何も食べてなくて腹が減っていた。下山して(ちょっとした山の上に学校と寮がある)何か食べるものを買いに行くかと足を向けた時、ちょうど門を開けて入ってくる人がいた。その人は足取り軽く一番舘の、僕の目の前まで歩いてきて。
「羽鳥君」
 先程まで僕を元気づけてくれていた人……守矢さんだった。守矢さんは三年生で住まいは隣の棟の二番館。玄関は別だ。僕を見つけたからこっちへ来てくれたのだろうか。
「出掛けるの?」
「そういうわけではないというか、どうしようかなと」
 つける嘘もない。
「羽鳥君はあれから何か食べた?」
「いえ……」
「ご飯食べさせてあげられなかったもんね、ごめん」
「いえ……」
 それは守矢さんも同じで。多分、僕が起きるまで一緒にいてくれたのではないかと思う。
「それでパン屋に行って来たんだけど、時間あるなら一緒にどう?」
 守矢さんが手に持っていたビニールの買い物袋は昔からある、生徒御用達の散歩堂というパン屋さんのものだった。
「いえ、それは守矢さんの分ですし」
「多めに買ってきたから大丈夫だよ 裏の東屋(秘密基地)で食べよう」
 また守矢さんに甘えてしまった。一人でいるのが辛かったし、この先をどうしたらいいか決め切れなかった。