「ロキソニンある?」

 熱も頭痛もなさそうなのに、キーボードをたたく私にふらっと里佳子は話しかけた。

「ない……いやあるけど、どっか痛いの?」

 私も鬼ではない。でも確かあと2個だったはず。
生理痛、頭痛、倦怠感……すべてに効くと気づいた21歳のころから、ロキソニンは私の常備薬だった。

 多くもらえた時に少しずつ貯めていたけど、あと2個、つまり1日分。だから気軽にあげるわけにはいかない。
 1人暮らしの時に、頭痛と発熱に悩まされ、ロキソニンを飲んで眠った。あの目覚めとともに身体が解放された瞬間からロキソニンは私を支えてくれる友達なのだ。

「歯が痛くて」
 奥歯がある頬を上から触りながら、うーんと首をかしげる里佳子。お?これと同じ光景、前にもあったぞ。

「いやそれは歯医者行きなよ。前も痛がってたじゃん」
「そうなんだけどさぁ。たまにしか痛くないから」
 私は知っている。そう言って里佳子が歯医者に行かないことを。

 歯が痛いと眠れないんだよなぁ……。仕方ない、あげるか。キーボードから手をはなし、立ち上がる。
 薬の入れてある冷蔵庫まで歩いて、止まった。

「昨日さ、里佳子が私の布団で寝たから。私寝れなかったんだよね」
「うん?」
私の手には、ロキソニンが2つ握られている。里佳子は私がくれるのを、目の前で待っていた。

「私同じ布団で、同じ毛布でしか熟睡できないのに。酔っぱらった里佳子が自分の布団じゃなくて、私の布団で寝たんだよ」
「うん?」
「自分の部屋があるのにね?」

朝起きた時に、もれなく違う場所で寝た恨み辛みを、寝起きの里佳子にきっちり伝えた。

「起こしたろか!って思ってキレてたんだけど、最終的に疲れてるから起こしちゃ可哀そうかな…って思う気持ちが勝ったんだよね」
「うん」

「だからまず私に寝かせてくれてありがとうって」
「言うから。ロキソニン」

なんだこの話は?と里佳子が、話の行方を伺ってる。

「あと1個しかないしさ」
「2つあるじゃん」
「いやあと1つをあげると、あと1個でしょ」
「うん?あげたくないってこと?」
「まあそこまで言わないけど、今日は私と同じく眠れぬ夜を過ごせばいいんじゃないかなって気持ちがある」

「いいじゃんちょうだいよ!」
「あげたくないなぁ。睡眠はなによりも大事なんだよね……。この痛みをわかってもらうチャンスじゃないかなって」
「十分今痛い思いしてるから」

数分の押し問答のあと、里佳子が歯医者に行く約束は取り付けられなかったが、自分の布団で寝る約束は取り付けられた。

「その痛いのほっとくと、あとでめっちゃ痛くなる奴だよ」

はいはいという返事もせずに、ロキソニンを飲み干す里佳子が、歯医者に行ったのは数日後のことだった。