「で、空峰さん?」
「はい」

 すんなりと返事する空峰さんに、戸惑いもせずにルナは肩を組む。
 時々、距離感バグってるよねルナって。
 まぁ、いい時とあるし、悪い時とあるから、一概にうん、なんとも言えないけど。

「食べてみてー! 私の超おいしい作品」

 パウンドケーキを指さして、ルナはニコニコとする。
 料理はある意味、ルナの作品ではあるなぁ。
 たしかに。
 じゃあ、なんで私に任せた!
 まぁ、良いんだけど、良いんだけど。

 空峰さんがフォークでパウンドケーキを一口切り分けて、口に運ぶ。
 私も横から手づかみで口に持っていけば、ルナが何か言いたげにため息を吐き出した。

「なに?」
「いや、なーんにも?」
「おいしいです、すごく、優しい味がする」
「自分は削ってないですけどね」
「ふふ、そうですね」

 すっかり柔らかくなった雰囲気で、空峰さんは肩に腕を掛けられたまま微笑む。

「なぁんか、過集中気味になって、色々考えすぎてたんですかね」
「ほら、そういう時こそ星空を見てぼんやりするべき!」

 ルナがドンっと胸を張って、断言する。
 ふっと鼻で笑って「だから来たんでしょ」と答えれば、空峰さんもルナも私を見て、嬉しそうに頬を緩めた。

 このゆるい空気感に、癒されてばかりだ。
 重労働もあるし、楽しいことだけじゃない。
 嫌な客に当たることもある。
 それでも、ここは、穏やかでゆるくて、息がしやすい。



 星空を見上げながら、パチパチと響く炭の音に耳を澄ませる。
 鼻の奥には、お肉が焼ける香ばしい香りが漂ってきた。

「キャンプみたいですねぇ」

 空峰さんが焼けたお肉を取りながら、私たちに話しかける。
 お菓子の一件以来、すっかり気を許してくれたようで、表情は明るくなったし、楽しそうだ。

「毎日ですよ、ここに居たら」
「ちょっと羨ましいです」
「アカリみたいに、住み込みで働きます? 大歓迎ですよ」

 ルナの調子のいい言葉に、私は空峰さんに首をぶんぶん横に振ってみせた。

「こき使われますよ、ルナに」
「住み込みで働かせてくれって言いに来たのアカリなのにー?」

 どんっと体当たりされて、踏ん張る。
 私もどんっとし返せば、想定してなかったのかルナがフラフラと倒れ込んだ。

「危ないですよ、火も使ってるんですし」

 私とルナをしっかりと抱き止めて、空峰さんに怒られる。
 私たちより、空峰さんの方がまるで従業員みたいだけど、まぁいい。
 それが、ここ「夜空荘」の持ち味だし。

「気をつけまーす」

 へらへらとするルナに、ぺしっと背中を叩いてじゃれつく。
 空峰さんはお肉を頬張ってから、私たちを見比べる。
 
「アカリさんも、お客さんだったんですか?」
「そうそう、超常連になって、住み込みで働きたーい! なんでもしますからー! って」
「なんでもしますとは言ってないでしょうが」
「あれ、そうだっけ?」

 てへっと笑いながら、私が焼いていたお肉をお皿にかさらっていく。
 ルナのお皿からお肉を奪いとれば、じゅわりと牛肉が口の中でとろけた。

「いいお肉だねぇ、おいしいー!」
「アカリさんは、どうしてここに?」

 空峰さんの質問に、ごくりと飲み込む。
 お昼頃に漬けた出汁トマトを頬張りながら、どう答えるべきか考えてみる。

 家族仲が悪かった。
 単純にそれだけ。
 家族でも馬が合わないとかあるじゃん。

 浮かぶ言葉はあるのに、どうしようもなく悲しくなってくる。
 私は、家族でいたかったのに。
 みんな、バラバラになっちゃった。
 お父さんもお母さんも勝手だな。
 成人したとはいえ、両親の離婚に傷ついたから、というのは、さすがに子供すぎて恥ずかしい。

「言いたくないなら、あの、大丈夫です」
「両親が離婚しちゃって、どこにも私の居場所ないんだなぁと思ったら、全部家族とかも嫌になっちゃったんですよねぇ」
「そうだったんですね」

 ただ、そこに事実があるように空峰さんは頷く。
 可哀想とか、悲しいですね、とか、そういうありがちな言葉ではなく、事実として。
 そんなことが、嬉しくて、つい、頬が緩んだ。

「だから、一人が嫌で、でも、他人が嫌で、一人になりに来たんです」
「私と同じですね」
「同じ、ですか?」
「創ることが好きで、でも、嫌で、逃げて来たんです。まぁ、私が勝手に考えてた、だけなんですけど」

 恥ずかしそうに、頬をぽりぽりと掻いてから星空を見上げる。
 私もつられて見上げれば、ただ、ただ、広がる夜空は静かで、美しかった。
 何度見ても、この夜空は美しいままだ、

「うん、ここはとてもいいところですね。穏やかです、全てが」
「そうなんですよ! ルナ以外、穏やかで落ち着くんですよねぇ」
「でも、ルナさんと居るのが楽しいんでしょう?」

 空峰さんの言葉に、ぐっと喉が詰まった。
 ルナが私の横で、このこのっと肘で突いている。
 調子乗ってるな、完全に。

「ちょっと、肩の力抜けました。ルナさんも、アカリさんも、含めて、ここはとても穏やかでいいところですね」

 空峰さんの言葉に、頷く。
 ルナのことも、私は好きだよ。
 お調子もののくせに、几帳面で、神経質。

「私も好きだよ、アカリのこと。考えすぎるから、全部とりあえずやっちゃおー! って、決断して雑になっちゃうとこもね」

 声に出していないはずなのに、心を読まれた。
 そんなところも、ルナといて、居心地がいい理由なんだけど。
 多めに漬けたトマトをもう一つお皿に取って齧る。

 出汁がトマトの中からじゅわりと弾けていく。

「待って、それ何個目?」
「ふぁ?」

 トマトを齧りながら首を傾げれば、空峰さんも、ルナも慌てて、トマトをお皿に取る。
 だから、多めにトマト収穫して漬けたのに。

「食べ過ぎ!」
「しーらない!」
「私もまだ、食べてなかったんですよ!」
「知らないです〜」

 二人に背中を背けて、トマトを食べ続ける。
 優しい出汁が沁みたトマトは、やっぱりおいしい。

「私、一応、お客様ですよ!」
「お肉ばっかり食べてたじゃないですか」

 もう一つ、トマトをお皿に取れば、二人に揚げ浸しのタッパーを隠された。

「食べ過ぎです!」
「アカリは、もう禁止!」
「えー」

 三人で話してるうちに、きらりと夜空が光る。
 空峰さんも、きっとここの常連になる。
 そんな予感がしていた。

 私みたいに、ルナに、この星空に、穏やかな時間をもらうために。

<了>